「知命」への船旅

一条真也です。

今朝の「西日本新聞」の「ひと」欄に、わたしが登場しました。
ブログ「沖縄復帰40周年」で紹介した大庭麻依子記者が書いて下さった記事です。
このたびの「第2回孔子文化賞」受賞についてのインタビューを受けたのです。


西日本新聞」5月17日朝刊



記事の冒頭には、「論語は船旅のようだ。年を重ねながら孔子の思想の“港”に寄ると、心が豊かになる」と書かれています。本当に、その通りです。
わたしは、『論語』とは船のような存在ではないかと思っています。
人生の荒波を超えて無事に航海していける船ではないかと思うのです。
志学」や「而立」や「不惑」や「知命」や「耳順」や「従心」といったものは、人生の港ではないでしょうか。『論語』という船に乗れば、安全に次の港に辿りつけるような気がしてならないのです。ブログ「49回目の誕生日」に書いたように、わたしは誕生日にあたって、「不惑より港を出でし論語船 知命へ向かふ礼を求めて」という短歌を詠みました。



記事には、次のようにも書かれています。
論語との出会いは40歳になる直前。かつて教科書で読んだ『われ四十にして惑わず』という一文が、ふと頭をよぎった。何度も論語を読み返して誕生日を迎えたとき『孔子の説く「礼の尊重」こそ、冠婚葬祭業を営む私の使命だ』と感じるようになった。
故人の中には孤独死や不慮の事故で人生を終える人がいる。常に遺族の胸のうちを想像し、社員には『人にして仁ならずんば、礼をいかん(思いやりがなければ礼儀にかなっていても仕方がない)』と語る。『老人を大切にせよ』の教えに従い、2008年から地域の高齢者が交流する『隣人祭り』を北九州市内で年間500回以上開く」



また、わたしが大学の客員教授として「孔子研究」の講義を担当していること、その内容をまとめた『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)を刊行したことなども紹介して下さいました。そして、「敷居の高いイメージだが酒や音楽を愛した人物でもあった。そんな人間らしい親しみを込め、語り継ぎたい」と、わたしの孔子に対する想いを書いて下さいました。



最後は、「『われ五十にして天命を知る』に近づく、49歳」と書いて下さいました。
まさに、「不惑」という港を出発した論語船は「知命」という次の港に向かって航海を続けています。「不惑より港を出でし論語船 知命へ向かふ礼を求めて」の短歌は、わたしの最新刊『礼を求めて』(三五館)の「はじめに」の末尾にも掲載されています。
同書は、孔子文化賞受賞記念出版として刊行されます。
明日、その受賞祝賀会を縁のある方々のご厚意で開いていただくことになりました。
本当に、皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
達意の文章で記事を書いて下さった「守礼記者」の大庭麻依子さんにも心から感謝いたします。大庭さん、にふぇーでーびる(ありがとう)!


2012年5月17日 一条真也