『舟を編む』

一条真也です。

舟を編む三浦しをん著(光文社)を読みました。
言わずと知れた、2012年本屋大賞に輝いた作品です。「辞書編纂」というマニアックなテーマながらも多くの読者を得て、ベストセラー街道を邁進中です。


言葉の海に魅せられる人びとの物語



玄武書房に勤める馬締光也は、営業部に在籍していましたが、変人として持て余されていました。ところが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられます。問題が山積みの辞書編集部でしたが、馬締は辞書の世界に没頭します。
個性的な面々ばかりの辞書編集部では、言葉こそが最大の絆でした。
果たして、『大渡海』は完成するのでしょうか。
すでにベストセラー作家としての地位を得ている著者が、「言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを」謳いあげた最新長編小説です。



わたしは、この話題の小説を遅まきながら読みました。
すると、気に入った点と気に入らなかった点がありました。
まず、気に入った点は、わたしの大好きな「辞書」をテーマとし、その製作過程をストーリーに織り込んでいること。わたしは中学生くらいから、とにかく辞書や百科事典の類が好きで、買い集めてきました。『広辞苑』をはじめとした各種の国語辞典はもちろん、本書『舟を編む』にも登場する小学館の『日本国語大辞典』、大槻文彦の『大言海』、諸橋徹次の『大漢和辞典』、吉田東伍の『大日本地名辞書』、田口卯吉の『大日本人名辞書』、物集高見・物集高量の『広文庫』、それに『古事類苑』、吉川弘文館の『国史大辞典』、『角川日本地名大辞典』といった大部の辞典や事典もすべて揃えました。
現在、それらのコレクションは、ブログ「実家の書庫」に書いたプライベート・ライブラリーである「気楽亭」に収められています。



高校時代には、それらの辞書を精読するのが趣味となりました。
愛宕」という小倉高校の校内誌に「辞書を読む」というエッセイを寄稿し、高見順の言葉を引いて、「良い辞書は“愛(あい)”ではじまり、“女(をんな)”で終わる」などと一人前に書いた記憶があります。そんなわたしにとって、「辞書」そのものをテーマとした本書は非常にスリリングな読み物となりました。



一方、気に入らなかった点は、登場人物たちのキャラ設定です。
「真面目」という言葉を連想させる「馬締」クンや、「かぐや姫」をイメージさせる「香具矢」サンなどをはじめ、この小説に出て来る人々はどうもアニメのキャラっぽいのです。
ですから、彼らが動き回る場面はなんだかライトノベルみたいで軽い感じがしました。
はっきり言って、辞書編纂の部分をもっと詳しく書いてもらいたかったです。
恋愛うんぬんのサイドストーリーの部分は、わたしには邪魔でしたね。
登場人物で唯一、興味を抱かせた人物がいました。
『大渡海』の監修者である松本先生です。
しかし、この松本先生の描写が少なすぎて、物足りませんでした。
そして、本書の後半部分での松本先生の扱いがあまりにも拙速です。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、「もっと丁寧に書き込めば良かったのに」と残念でなりません。でも、最後に書かれている「死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生み出した」という一文には共感しました。
これを読んで、「芸術は長し、人生は短し」という漱石の言葉を思い出しました。



舟を編む』というタイトルを最初に知ったとき、わたしは「おおっ!」と思いました。
馬締哲也を発見した荒木公平という編集者が冒頭に登場しますが、彼が『大渡海』という新しい辞書の名前について、「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」と説明します。
荒木はまた、「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」とも言います。
そう、辞書とは言葉の海を渡る舟なのです。



じつは、わたしは『論語』を船のような存在ではないかと思っていました。
それで、『舟を編む』という言葉に反応してしまったわけです。
もっとも、『大渡海』という名前は、大槻文彦が独力で作った伝説の辞書である『大言海』を明らかに意識していますね。「言葉の海」という発想そのものが、大槻文彦のオリジナルなのです。ちなみに、大槻文彦と『大言海』について詳しく知りたい方は、『言葉の海へ』高田宏著(洋泉社MC新書)を読まれるといいでしょう。



『大渡海』が言葉の海を渡る舟なら、『論語』は人生を渡る船ではないかと思います。
志学」や「而立」や「不惑」や「知命」や「耳順」や「従心」といったものは、人生の港ではないでしょうか。『論語』という船に乗れば、安全に次の港に辿りつけるような気がしてならないのです。ブログ「49回目の誕生日」に書いたように、わたしは誕生日にあたって、「不惑より港を出でし論語船 知命へ向かふ礼を求めて」という短歌を詠みました。
わたしたちの先祖たちの多くも、『論語』で人生の海を渡りました。
世界には、『旧約聖書』や『新訳聖書』や『コーラン』を船としてきた人々もいます。
辞書にしろ、辞書以外の書物にしろ、本とは基本的にすべて舟なのです。
それにしても、言葉の持つ力というのはまことに偉大ですね。


2012年5月28日 一条真也