『へルタースケルター』

一条真也です。

ヘルタースケルター岡崎京子著(祥伝社)を読みました。
7月14日から公開される沢尻エリカ主演映画の原作コミックです。
初めて読んだつもりでしたが、途中で以前読んだことがあることに気づきました。
たしか、そのときは絵が雑に感じられて読むのを中断したように記憶しています。


「老病死」への怖れを描いた問題作



ヘルタースケルター」とは、「混乱しています」という意味です。
この物語の主人公は、完璧な美しさを持つモデルの「りりこ」。絶大な人気を誇る彼女には、大がかりな全身の整形手術とメンテナンスを受けているという秘密がありました。
りりこは、女優や歌手としても活躍し、人気の絶頂を迎えます。
しかし、その体は次々に崩れ始め、不吉な運命が迫ります。
それにつれて、りりこの心と人生は、手がつけられないほどに壊れていくのでした。



本書を読んで、わたしはブッダが唱えた「生老病死」が心に浮かびました。
仏教では、生まれること、老いること、病むこと、そして死ぬこと、すなわち「生老病死」を人間にとっての苦悩とみなしています。現在においては誕生を苦悩と考える人はあまりいないでしょうから「生」を外すとしても、「老病死」の3つの苦悩が残ります。
わたしは『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)という本を書きましたが、ブッダの悟りを知ったからといって「老病死」の苦しみは直ちには消えません。


ブッダは「老病死」を苦悩とした



現代人は、健康、スポーツ、美容、化粧などに異常なまでの関心を寄せています。
その背後には、どうも、空間や身体への執着がひそんでいるように思います。
「老病死」に対する恐怖や苦しみから逃れようとしているのではないでしょうか。
また、現代人はテレビ、DVD、インターネットの動画サイトなどの映像文化装置に夢中になっています。そこにも、尽きることのない空間への執着があるのかもしれません。
どこまでいっても、現代人は「老病死」から逃れられないのでしょうか。
本書『ヘルタースケルター』では、そんな現代人が抱く「老病死」への怖れが最大限に誇張されて描かれています。



ところで、わたしは「儒教の徒」と自分で思っています。儒教では親から授かった身体を傷つけることを嫌いますので、わたしも美容整形には良い印象を持っていません。
しかし最近、東京にある有名な美容整形のクリニックに勤務する人から話を聞いて少し考え方が変わりました。その人は治療の内容や料金などの相談を受けるカウンセラーなのですが、先日、20歳前の女性がクリニックを訪ねてきたそうです。
彼女には小さな子どもがいました。いわゆる「ヤンママ」です。
その若い母親が整形手術を受けたいというのです。左右の目の大きさが明らかに違っているので、それを直したいとか。聞くと、幼い時に火事に遭って大ヤケドを負い、目の大きさが違ってしまったそうです。そのために、昔から「ブス」と罵られることもしばしばで、ずいぶんと辛い思いをしてきました。そのような思い出を話しているうちに彼女は泣き出してしまい、カウンセラーの人も貰い泣きしたそうです。
そして、彼女にはやはり同年代の若い夫がいましたが、この夫が無職とのこと。
彼女も働く必要があるのですが、今の顔のままでは採用面接に必ず落ちてしまう。
これでは職を得ることが難しいので、どうしても整形手術を受けたいというのです。
手術のお金がないので、彼女の実家の父親にローンを組んでもらうことになりましたが、このお父さんが東北の人で、このたびの東日本大震災で会社が倒壊し、そのまま解散してしまって、現在は無職だそうです。そんな話をカウンセラーから聞いているうちに、わたしまで悲しくなり、泣きたい気分になってきました。
ブッダが言うように、この世は苦悩に満ちているのでしょうか?
それはともかく、世の中にはこのような事情で整形手術を受ける人もいるのだと知り、「整形手術は良くない」などと安易には言えないなと思った次第です。



もう1つ、考えを改めたところがあります。
このコミック、絵が雑に感じられて、どうしても好きになれませんでした。
「単行本にするなら、せめて手直しをすればいいのに」とも思いました。
しかし、本書の最後のページに書かれた次の文章を読み、考えさせられました。
「本作品の連載が終わった96年5月、岡崎さんは飲酒運転の車にはねられ、現在もリハビリ中です。本来であれば単行本化にあたってかなり加筆修正されるのですが、今回は一部を岡崎さんに確認して修正しただけで出版することになりました。少しずつ着実に回復していらっしゃり、将来、より完成度の高い版が世に出ることを願うものです」
このような事実があったとは、まったく知りませんでした。数年前に読んだときは途中で中断したために、最後の文章を読んでいなかったのです。岡崎京子氏は現在もリハビリを続けておられるとのことで、1日も早い全快をお祈りしたいと思います。


さて、「ヘルタースケルター」といえば、ビートルズの曲名です。
わたしは、基本的にビートルズは好きですが、「ヘルタースケルター」は別です。
非常にガチャガチャとした騒がしいサウンドで、個人的には嫌いな部類に入ります。
まさに「混乱」のイメージそのもので、さらには「狂気」さえ感じる部分があります。
その狂気のせいか、この曲はかの「チャールズ・マンソン事件」に影響を与えたことでも知られています。悪魔崇拝者グループのリーダーであったチャールズ・マンソンと仲間たちが、女優シャロン・テートを猟奇的に殺害した忌まわしい事件ですね。
殺されたシャロン・テートは映画監督ロマン・ポランスキーの夫人で、殺害当時は妊娠していたそうです。ちなみに、本書『ヘルタースケルター』の中には、主人公りりこがハリウッドに進出して、ロマン・ポランスキーの監督作品に出演するというくだりがあります。


ビートルズの曲にも、コミックである本書にも、「ヘルタースケルター」の名の通りに、たしかに混乱している部分を感じます。そして、本書を映画化した「ヘルタースケルター」にも、きっとその「混乱」のDNAは受け継がれているのでしょう。
ブログ「週刊文春」に書いたように、一連のスクープ記事で主演の沢尻エリカは非常にまずい状況にあります。一部の報道によれば、映画「ヘルタースケルター」の公開自体が危ぶまれているそうです。もしも、映画の公開中に主演女優が逮捕という事態にでもなれば前代未聞の出来事になりますから。
しかし、この物語は「混乱」の物語です。実際に混乱している女優が主演していたって、それこそ「別に」構わないのではないでしょうか。
これほど物語と現実がリンクして、観客の想像力をかき立てる作品もそうはありません。
わたしは、映画化された「ヘルタースケルター」をぜひ観たいと思っています。


2012年6月26日 一条真也