『春昼・春昼後刻』

一条真也です。

泉鏡花の「春昼」が読みたくなりました。
澁澤龍彦 書評集成』の中に出てくる吉村博任著『泉鏡花〜芸術と論理』の書評で、澁澤が「春昼」について触れていたからです。
ちょうど、北陸大学の講演にあわせて金沢入りすることもあって、岩波文庫版の『春昼・春昼後刻』をバッグに放り込みました。
もともと、金沢出張には鏡花の本を持っていくことが多かったのです。
鏡花の怪しい世界は、故郷である金沢で読むと、いっそう怪しさを増してきます。
ましてや、兼六園をはじめ、まだ桜が咲いている四月の金沢にあっては。
また、「春昼」という題名がいい。
うとうとと夢でも見そうな春の昼下がりの物語は、今の季節にぴったりです。
ホテルクラウンプラザ金沢の一室で一気に読み終えました。
昔読んだことのある物語ですが、金沢で読むと、やはり味わいが違います。


                     鏡花随一の傑作


泉鏡花は、日本古来の伝承や江戸期の怪談に素材を求めつつ、独自の怪異の世界を切り開きました。
彼の描いた怪異には、日本人の「こころ」の琴線に触れるものがあります。

「春昼」は、鏡花が33歳のときに書かれた幻想文学で、「鏡花随一の傑作」との呼び声も高い作品です。

彼が体調を崩して逗子に滞在していたときに書かれたそうです。
のどかな春の午後、逗子の古刹岩殿寺へ足をのばした男が寺の住職から不思議な恋の物語を聞きます。
前年の夏、この寺には一人の「客人」が逗留していました。

ある夜、客人はどこからともなく聞こえてくる祭囃子に誘われて、寺の裏山へと登って行ったところ、靄の中から舞台が現れました。
そこへ一人の女性が上がり、客人の方をじっと見ました。
その女こそ、客人が恋する女だったのです。

彼女を慕う客人とのあいだには、人智を絶した夢の感応が生じます。
そして、愛し合う二人は、この穢土を離れ、浄土に魂の合一を求めるのです。
まさに、二人は「結魂」を果たすのです!
形の上では男が先に死に、そこで「春昼」はいったん終わります。
次に、後追い心中のように女が死んで、続編である「春昼後刻」の物語が結ばれます。



まことに妖しくロマンティックな恋の物語ですが、とにかく鏡花の文章の美しさには魅了されます。
それは、もう読む者の意識を変容させる「魔術的文章」と呼んでもいいでしょう。
たとえば、「春昼」のラストは次のように終わります。
「雨が二階家の方からかかって来た。音ばかりして草も濡らさず、裾があって、路を通うようにである。美人の霊が誘われたろう。雲の黒髪、桃色衣、菜種の上を蝶を連れて、庭に来て、陽炎と並んで立って、しめやかに窓を覗いた。」
ため息が出るような美文ですね。
では、次に「春昼後刻」のラストを見てみましょう。
「さらば、といって、土手の下で、分れ際に、やや遠ざかって、見返った時ーーその紫の深張を帯のあたりで横にして、少し打傾いて、黒髪の頭おもげに見送っていた姿を忘れぬ。どんなに潮に乱れたろう。渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅、渚の雪、浪の緑。」
どのようにしたら、こんなに美しい日本語を生み出すことができるのでしょうか。
谷崎潤一郎三島由紀夫も、いかに鏡花に影響を受けて、鏡花のような美しい文章を書こうと努めたかがよくわかる気がします。



この物語は美しいだけではなく、恐ろしい物語でもあります。
なぜなら、客人の男の分身が登場するという超常現象が起こるからです。
昭和43年、中央公論社刊『日本の文学』第4巻の月報で、三島由紀夫澁澤龍彦が鏡花について対談しました。
そのとき、澁澤は次のように発言しています。
「僕が恐いのは『春昼』ですね。自分が出てくる。自分が出てくるというのは、鏡花の恐さの中によくありますよ。『眉かくしの霊』もそうですね。」

この「自分が出てくる恐怖」、いわゆるドッペルゲンガーの恐怖は、恐怖小説の世界では古くから重要なテーマでした。
精神病理学的には「自己像幻視」とか「多重人格症」などと呼ばれます。
澁澤は、精神病理学からのアプローチがいかに精緻をきわめていようとも、それによって美そのものの秘密が解けるわけないと考えます。
「人間の秘密を解いたつもりになっても、美の秘密は依然として残る。そうでなければ、私たちが鏡花を読む意味はなくなってしまう」と述べたあと、澁澤は鏡花文学の魅力を次のように切々と語ります。
「私は名作『春昼』のなかの、物語の男の分身の登場する、あの妙にノスタルジックな、笛太鼓の音の聞える、山の谷間の祭の舞台の場面を初めて読んだ時の、ぞっとするような異様な感動を、今でもありありと想起することができる。いや、読み返すたびに、初読の印象と全く同じ強烈さで、この感動は何度でも私の心に甦るのである。それは単なる恐怖というのではなく、前世とか、既視感(デジャ・ヴュ)とかいった、何かしら神秘の情緒と結びついた、言うに言われない悲哀の情緒に近いものでもある。」
澁澤龍彦もまた、鏡花という言葉の魔術師に心を奪われた一人だったのでしょう。


               『春昼』のジオラマ泉鏡花記念館)


なお、金沢市にある「泉鏡花記念館」には、「春昼」のジオラマが展示されており、恋のせつなさが伝わってくる名場面をサウンド入りパノラマで展示しています。
わたしは、これが好きで好きで、この記念館を訪れるたびに、何度も繰り返し見入ってしまいます。
ある意味で鏡花の怪異の世界を受け継いだ江戸川乱歩の「押絵と旅する男」ではありませんが、わたし自身がジオラマの中に入り込んでしまうような錯覚をおぼえます。


                     鏡花の写真の前で


2010年4月14日 一条真也

泉鏡花記念館

一条真也です。

金沢に来ています。
『春昼・春昼後刻』を読んだ余韻で、泉鏡花記念館を訪れました。


                    泉鏡花記念館の前で


ここには何度も来ていますが、いつ来ても浮世離れした雰囲気に酔わされます。
この記念館は、鏡花の生家の跡に建てられているのです。
鏡花が子どもの頃に愛用した「雀のお宿」なども置かれています。
雀の餌置き場のことで、今でいう「バード・フィーダー」ですね。


                   鏡花が愛した「雀のお宿」


ちょうど、企画展で「幽霊と怪談の展覧会Ⅱ」が開催されており、怪談好きのわたしとしては狂喜しました。
明治40年代の文壇は、田山花袋の作品などに代表される自然主義文学を中心としたリアリズムへの志向が次第に強まっていました。
その一方、もっとも現実から遠く離れた世界をみつめていた文学者たちの間では怪談ブームが起こっていました。


                 明治の怪談ブームにふれる


その中心にいた人物こそ、鏡花でした。
高野聖』『草迷宮』『夜叉ヶ池』『天守物語』『化鳥』など、怪奇幻想文学の名作を多く生み出した鏡花は、また大の怪談愛好家でもありました。
この展覧会では、鏡花が愛読した怪談本などが展示されていました。


                     鏡花が愛読した本


その中には、柳田國男の『遠野物語』の初版本もあり、興味をそそられました。
柳田は、怪談愛好における鏡花の盟友であり、さらには鏡花の臨終に立ち会った無二の親友でもありました。
鏡花は自分の怪異志向について、「予の態度」という文章に次のように書いています。
「私がお化を書く事に就いては、諸所から大分非難がある様だ、けれどもこれには別に大した理由は無い。(中略)お化は私の感情の具体化だ。幼ない折時々聞いた鞠唄などには随分残酷なものがあつて、蛇だの蝮だのが来て、長者の娘をどうしたとか、言ふのを今でも猶鮮明に覚えて居る。」
この文章は、パネル展示されていました。


                  泉鏡花記念館の青山館長と


泉鏡花記念館の青山克弥館長にもお会いし、いろいろとお話させていただきました。
わたしが小倉の出身であることを知ると、青山館長は松本清張記念館について尋ねてこられました。
そのうち、昨年映画化もされた清張の『ゼロの焦点』の話題になりました。
わたしが、『ゼロの焦点』における金沢や能登半島の描写は偏見に満ちており、まったくもって不愉快千万であると申し上げました。
青山館長は、小倉出身のわたしが逆に金沢をかばうので意外な顔をされながらも、『ゼロの焦点』が最初に映画化されたときの話をされました。
そのとき、能登半島への観光客が増え、それによって観光地としての能登が育ったというのです。しかしながら、能登半島日本海に飛び込んで自殺する者が激増したため、清張が自ら「早まるな」と自殺者に呼びかける碑を建立したとか。
泉鏡花記念館の館長さんに意外にも清張秘話をお聞きしました。
青山館長、ぜひ小倉にも遊びに来られて下さい。
わたしが松本清張記念館にご案内させていただきます!



2010年4月14日 一条真也

兼六園

一条真也です。
金沢に来ています。
今日は、朝から紫雲閣の建設候補地を視察しました。
金沢市野々市町などを車で回りました。なかなか良い物件をいくつか見つけたので、これから楽しみです。
道すがら、何度か桜吹雪が宙を舞っていました。最初は、「春の雪?」と見間違ってしまいました。金沢の雪と同様、金沢の桜の花びらも滞空時間が長いように思います。能が盛んな金沢では、桜吹雪さえ「幽玄」そのものです。

金沢城址の前で

夢の空間への入口


そこで、どうしても兼六園の桜が見たくなりました。いつもは4月初めに北陸大学の入学式に出るために金沢を訪れますので、そのときに兼六園に足を伸ばし、桜を楽しみます。
でも、今年はスケジュールがどうしても合わず、入学式に出れなかったのです。タイトなスケジュールを何とかやりくりして、車を金沢城址まで飛ばしました。
そこからは、1人で兼六園を散策しました。

見事に咲き誇る兼六園の桜

まさに日本最高の名園

桜の花びらが浮く池を泳ぐ錦鯉


しばし、時を忘れ、呆然と桜をながめていました。
兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま残しています。日本三大庭園のひとつというよりも、日本最高の名園です。まさに、加賀百万石が誇る「美」の最高傑作が兼六園でしょう。
今日は、良い目の保養というか、命の洗濯ができました。
これから、北陸大学で開催される講演に向かいます。


2010年4月14日 一条真也

北陸大学フレッシュマンセミナー

一条真也です。

春休みをはさんで、久しぶりに北陸大学にやって来ました。
こちらも見事な桜が咲き誇っています。
北陸大学のキャンパスは、「太陽が丘」という場所にあります。
自然が豊かで、本当に美しいところです。


                北陸大学にも桜が咲き誇っていました


そして、講演のスタートです。
新1年生のうちで、わたしの教え子に「フレッシュマンセミナー」として講演しました。
演題は、「リベラルアーツとしての読書〜あらゆる本が面白く読める方法」です。
拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の内容をもとに話しました。
約280名が参加しており、そのうち130名近くが中国からの留学生でした。
まだ日本語に慣れていない留学生も多いはずです。
それで、なるべく黒板に漢字をたくさん書くようにしました。
書いて、喋って、喋って、書く。
ふと気づくと、わたしのスーツは白墨の粉で真っ白になっていました。



                   黒板に漢字を書きまくる

                 だんだん気合が入ってきます

            若い人たちに何かを伝えられることは幸せです

             280名が、みんな真剣に聞いてくれました


90分間、書き通し、喋り通しでした。
本こそは、時間も空間の制約から自由になれる真の「リベラル・メディア」であり、さらには「こころの食べ物」だと訴えました。
新入生たちが少しでも読書に興味を持ってくれると嬉しいのですが。
講演の最後には、少しだけ孔子ドラッカーの話をしました。
わたしは、『論語』とドラッカーの一連の著作によって人生の難所を切り抜けてきました。
その経験を話し、孔子ドラッカーも時代を超えて、ともに「社会の中で、人間がいかに幸せに生きるか」を追求した人であると述べました。
そして、孔子は古代のドラッカーであり、ドラッカーは古代の孔子であるとして、来月からの「孔子研究」の講義のイントロダクションにつなげました。
みんな、90分間、まったく私語もせず、真剣に聞いてくれました。
特に、中国の留学生たちに孔子の話ができることは大きな喜びであり、孔子への最大の恩返しだと思っています。
今日は、北陸大学の北元理事長をはじめ、教授の方々もたくさん講演を聴いて下さいました。みなさん、本当にありがとうございました。
これからも、北陸大学の客員教授として恥じないように精進する所存です。


2010年4月14日 一条真也