泉鏡花記念館

一条真也です。

金沢に来ています。
『春昼・春昼後刻』を読んだ余韻で、泉鏡花記念館を訪れました。


                    泉鏡花記念館の前で


ここには何度も来ていますが、いつ来ても浮世離れした雰囲気に酔わされます。
この記念館は、鏡花の生家の跡に建てられているのです。
鏡花が子どもの頃に愛用した「雀のお宿」なども置かれています。
雀の餌置き場のことで、今でいう「バード・フィーダー」ですね。


                   鏡花が愛した「雀のお宿」


ちょうど、企画展で「幽霊と怪談の展覧会Ⅱ」が開催されており、怪談好きのわたしとしては狂喜しました。
明治40年代の文壇は、田山花袋の作品などに代表される自然主義文学を中心としたリアリズムへの志向が次第に強まっていました。
その一方、もっとも現実から遠く離れた世界をみつめていた文学者たちの間では怪談ブームが起こっていました。


                 明治の怪談ブームにふれる


その中心にいた人物こそ、鏡花でした。
高野聖』『草迷宮』『夜叉ヶ池』『天守物語』『化鳥』など、怪奇幻想文学の名作を多く生み出した鏡花は、また大の怪談愛好家でもありました。
この展覧会では、鏡花が愛読した怪談本などが展示されていました。


                     鏡花が愛読した本


その中には、柳田國男の『遠野物語』の初版本もあり、興味をそそられました。
柳田は、怪談愛好における鏡花の盟友であり、さらには鏡花の臨終に立ち会った無二の親友でもありました。
鏡花は自分の怪異志向について、「予の態度」という文章に次のように書いています。
「私がお化を書く事に就いては、諸所から大分非難がある様だ、けれどもこれには別に大した理由は無い。(中略)お化は私の感情の具体化だ。幼ない折時々聞いた鞠唄などには随分残酷なものがあつて、蛇だの蝮だのが来て、長者の娘をどうしたとか、言ふのを今でも猶鮮明に覚えて居る。」
この文章は、パネル展示されていました。


                  泉鏡花記念館の青山館長と


泉鏡花記念館の青山克弥館長にもお会いし、いろいろとお話させていただきました。
わたしが小倉の出身であることを知ると、青山館長は松本清張記念館について尋ねてこられました。
そのうち、昨年映画化もされた清張の『ゼロの焦点』の話題になりました。
わたしが、『ゼロの焦点』における金沢や能登半島の描写は偏見に満ちており、まったくもって不愉快千万であると申し上げました。
青山館長は、小倉出身のわたしが逆に金沢をかばうので意外な顔をされながらも、『ゼロの焦点』が最初に映画化されたときの話をされました。
そのとき、能登半島への観光客が増え、それによって観光地としての能登が育ったというのです。しかしながら、能登半島日本海に飛び込んで自殺する者が激増したため、清張が自ら「早まるな」と自殺者に呼びかける碑を建立したとか。
泉鏡花記念館の館長さんに意外にも清張秘話をお聞きしました。
青山館長、ぜひ小倉にも遊びに来られて下さい。
わたしが松本清張記念館にご案内させていただきます!



2010年4月14日 一条真也