B級グルメの集い

一条真也です。

29日の午後から、「第18回 毎日・北九州フォーラム」に行ってきました。
会場は、JR小倉駅の隣りにある「ステーションホテル小倉」です。
「地域の食とまちおこし〜B−1グランプリを前に」がテーマでした。


毎日・北九州フォーラムのようす



今年の10月、北九州市で「第7回B級ご当地グルメの祭典! B−1グランプリin北九州」が開催されます。それを前に、B―1の仕掛け人である富士宮やきそば学会・渡辺会長を迎えて、B―1の成り立ちやその意義を語ってもらいました。
また、北九州市の北橋市長との対談を通して、北九州の街づくりにいかに生かしていくかを語り合いました。ということで、15時〜15時35分は渡辺英彦講演会「如何にB級ご当地グルメは存在するか」で、15時40分〜16時30分は渡辺氏と北橋市長との対談「B級ご当地グルメと街の活性化」が開かれました。
司会進行は、RKBリポーターの磯田さんでした。
450人もの多くの人が集まり、会場は満員になりました。


第一交通産業・田中社長の挨拶

懇親会での乾杯のようす

毎日新聞西部本社の原代表と



そして、16時45分からは懇親会が開催されました。
最初に、北九州商工会議所の副会頭で、今回のB―1グランプリ最高責任者である第一交通産業・田中社長から挨拶がありました。続いて、毎日新聞西部本社の原代表(毎日新聞社取締役)による音頭で乾杯となりました。


とうふちくわ!

富士宮焼そば!

田川ホルモン鍋!

そして、小倉焼うどん!



この懇親会には、鳥取名物の「とうふちくわ」をはじめ、各地のB級グルメが並んでいました。なんでも、鳥取の人たちは「こんにちくわ」とダジャレで挨拶するそうです。
そして目玉は、なんといっても、富士宮やきそば、田川ホルモン鍋、そして小倉焼うどんといったB級グルメの実演試食です。会場には多くのノボリが立ちました。
わたしも、それらの実演試食を大いに堪能し、満腹になりました。
いろいろ味わった中で、田川ホルモン鍋が一番おいしかったですね。


わが社の松下社員がTV取材を受けました



会場では、毎日新聞およびRKB毎日放送の取材も行われていました。
わが社からは、社長であるわたしをはじめ、冠婚事業部の山下部長、企画部の松下社員の3人が参加していましたが、わたしと山下部長ではなく、なぜか松下社員ばかりが取材を受けていました。松下君はナイスガイなので、B−1グランプリのイメージに合ったのかもしれませんね。テレビの取材に堂々と答える松下君の姿を見て、わたしも頼もしく感じました。ほんとに。


中締めの挨拶をしました



そして、中締めの挨拶は、わたしが指名されました。
商工会議所の副会頭さんたちをはじめ、地元経済界の重鎮の方々がズラリと並ぶ中で大変恐縮しましたが、せっかくの御指名ですので、お受けしました。
わたしは「孔子文化賞の受賞者」という紹介を受けて登壇し、まずは孔子がグルメであり、それも庶民の味を愛した人であったと話しました。
それから、「ハートフル」が北九州市のキャッチフレーズとして謳われていますが、つまるところは孔子が説いた「礼」と同じ意味であると述べました。
わたしは、北九州市ほど外部に対して「思いやり」のある街はないと思っています。
それは、東日本大震災の被災者の受け入れもそうですし、このたびの被災地の瓦礫の受け入れにしてもそうです。北九州市は、被災地の痛みを共有する姿勢を示しました。
まさに、「義を見てせざるは勇なきなり」という『論語』の言葉の通りです!


ホスピタリティのロケット砲を打ち上げよう!



そして、『論語』の一番最初には「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」とあります。
これから北九州に、遠方から多くのお客様をお迎えすることは素晴らしいことです。
B級グルメの最高のスパイスは、その土地に住む人の「人情」であり、「思いやり」です。
10月には、北九州市に50万人以上の方が訪れると言われていますが、ぜひ北九州の人たちは持ち前の「人情」や「思いやり」を示して、「ホスピタリティのロケット砲を打ち上げましょう!」と述べたところ、盛大な拍手をいただきました。


最後は「末広がりの五本締め」で



そして、最後はサンレー名物の「末広がりの五本締め」をやりました。
簡単にやり方を説明してから行ったところ、多くの方々から「これは素晴らしい!」とのお声をいただいて感激しました。この「末広がりの五本締め」には、1人では何もできないけれど皆が力を合わせれば大きなことができるというメッセージが込められています。
ぜひ、みんなで力を合わせて、ハートフルな北九州市民の「礼」と「ホスピタリティ」を示したいと思います。このブログを読んでおられる方々も、ぜひ北九州へお越し下さい!


2012年6月30日 一条真也


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日々の訃報

一条真也です。

芸能人の訃報が相次いで発表されました。
28日、タレントの小野ヤスシさんが腎盂がんのため亡くなられました。
29日、俳優の地井武男さんが心不全のために亡くなられました。


「スポーツ報知」6月30日号



小野ヤスシさんは、軽妙なトークで人気を博しました。
今月13日に入院して自らの死期も悟っていたそうです。
19日頃、薄れゆく意識の中、小野さんは家族に「(葬儀は)どうか盛大にやってくれ」と告げ、奥さんや2人のお子さんたちにそれぞれ細かく指示を出したといいます。
「葬儀はしなくていい」とか「誰にも知らせるな」など言い残す者もいる昨今で、小野さんの態度は素晴らしいと思います。葬儀とは、お世話になった方々に感謝の意を伝える場であり、「あの人らしかったね」と言われる人生の卒業式だからです。
通夜および告別式は7月2・3日に東京・青山葬儀所で営まれます。
小野さんの遺言に沿って、盛大な音楽葬になるそうです。
これから、「盛大にやってくれ」が流行語になる予感がします。


「スポーツ報知」6月30日号



地井武男さんは、「ちい散歩」などのバラエティー番組や、ドラマ「太陽にほえろ!」「北の国から」などでの人情味あふれる演技で人気を集めました。
6年間出演した 「ちい散歩」は5月4日放送分で終了しました。
その最終回で「突然病に倒れ、私自身もびっくりいたしました。この際、治療に専念すべくお休みさせていただくことにいたしました」と視聴者に報告、「大変楽しくあっという間の6年でした」と振り返っていました。
ちい散歩」の後は、加山雄三さんの「若大将のゆうゆう散歩」が始まっています。




どうも東日本大震災以来、芸能人の訃報が多いような気がします。
小野ヤスシさんや地井武男さんは、おそらくわたしのことは知らなかったでしょう。
でも、わたしは小野さんや地井さんをよく知っていました。
なぜなら、お二人は有名な芸能人だったからです。わたしにとって、「知った顔」でした。
お二人の訃報は、わたしにとって「知っている人が亡くなった」なのです。
でも考えてみれば、芸能人だけでなく、一般の人々も日々亡くなっています。
テレビでよく目にして親しみを持っていた芸能人が亡くなると、多くの人は「ああ、人はやっぱり死ぬのだなあ」と改めて痛感するのではないでしょうか。
「散る桜 残る桜も 散る桜」とは良寛の句です。この真理を知らせてくれるという役割が、芸能人をはじめとした有名人の訃報にはあるように思います。


思い出ノート』と「著名人の死亡年齢」のページ



訃報に接して、まず気になるのは亡くなった方の年齢です。
小野ヤスシさんは72歳で、地井武男さんは70歳でした。
わたしが監修した『思い出ノート』(現代書林)は好評につき現在6刷ですが、巻末には「著名人の死亡年齢」一覧が掲載されています。これを読めば、さらに「死なない人はいないのだ」という事実を受け入れやすくなるという声があります。
坂本龍馬を尊敬している人なら「龍馬は32歳で死んだ。自分はもうその倍も生きているのか」との感慨を抱いたりするわけです。
わたしの場合も、三島由紀夫を愛読してきましたが、彼が自害を遂げた45歳を迎えたとき、「これから、三島の人生以上の年月を自分は生きるのだ」としみじみ思いました。
誰でも死ぬのは怖いものです。でも、「死の不安」を軽くするための方法はあります。
そのうちの1つが、有名人の死によって、「死に慣れる」ことでなないでしょうか。



さて、わたしたち日本人は、は超高齢化社会を迎えました。
そこで求められるのは、単なる「死」ではなく、「幸福な死」ではないでしょうか。
<死>についての教育再考」という興味深い論考をネットで見つけました。
東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻(VALDES)が2011年に創立15周年を迎えました。その記念プロジェクトとして、「価値システム専攻から社会への発信」をテーマに、 在校生、卒業生、教員など関係者から論考を募ったそうです。
<死>についての教育再考」は、その中の応募作品です。VALDESの卒業生である野村総合研究所の中山久子氏が書かれたもので、「『魂の輪郭』に擬えた生き方を求める方法として」という副題がついています。そこに、次のように書かれています。
「多くの人が死を怖れ、自分が永遠に生きていくというような錯覚に陥った背景には日常生活から<死>が遮断されてしまったことが背景にあるといえよう。昨今になって自宅での看取りが見直されてきたが、<死>に近い人間は病院という隔絶された空間に排除され<生>の空間から覆い隠されてしまう。小さい子供に<死>を説明する時、“星”やその他の寓話を引用したことはないだろうか。だが、<死>はメルヘンではなく、否応なしに人が一生に一度は引き合わされる現実である。その<死>を忌み嫌うことは<生>を否定することに他ならないのではないだろうか。現在、日本が世界有数の自殺大国として不名誉な名を馳せているのも<死>の存在を軽んじて来た代償の一部ではないだろうか」
この中山氏の意見に、もちろん、わたしは全面的に賛成です。


「美しい死」について提唱しました



それにしても、「価値システム専攻から社会への発信」というテーマで、このような「死」についての「価値」の問題が取り上げられることに大きな意義を感じます。
続いて、中山氏は拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)を取り上げ、「一条真也(2005)は『美しい死、豊かな死、平和な死、楽しい死、幸福な死というものがデザインされているだろうか』という疑問を投げかけ『「私は死ぬ」から「私は美しく死ぬ」へのデザインが必要』と提唱している」と述べています。




わたしは、若い頃から「死」について考え続けてきました。
政治・経済・法律・科学・医療・哲学・芸術・宗教などなど人類の営みにはさまざまなジャンルがありますが、それらの偉大な営みが何のために生まれ、発展してきたかというと、それはすべて「人間を幸福にするため」という一点に集約されると思います。
そして、人間の幸福について考えて考えて考え抜いたとき、その根底には「死」という問題が厳然として在ることを、わたしたちは思い知るのです。
「死」の 問題を抜きにして、人間の幸福は絶対にありえません。
日々の訃報に接しながら、これからも「美しい死」について考えていきたいです。
最後に、小野ヤスシさんと地井武男さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2012年6月30日 一条真也