出版寅さん

一条真也です。

東京に来ています。
昨夜は、出版プロデューサーの内海準二さんと新しい本の企画について打ち合わせしました。その後、赤坂見附で飲みました。わたしは、大学卒業後、赤坂見附に本社のある東急エージェンシーに勤めていました。内海さんは、その東急エージェンシー時代の先輩です。当時は出版事業部に所属されており、わたしの処女作『ハートフルに遊ぶ』をはじめ、多くの本を編集してくれました。「一条真也」というペンネームも内海さんと相談して最終的に決めました。いわば、「一条真也」の生みの親ですね。


                      内海準二さん


わたしが東京から九州に居を移したこともあって連絡が絶えていましたが、あることからふと内海さんを思い出し、じつに10年ぶりに電話をしてみました。
すると、その日が偶然にも内海さんの東急エージェンシー退職の日だったのです。内海さんは、フリー編集者として独立することになっていたのです。本当に縁というのは摩訶不思議ですが、その電話がきっかけで数日後に東京で再会し、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)という本の出版に至りました。最初の出会いが『ハートフルに遊ぶ』で、再会して『ハートフル・ソサエティ』。
今でこそ「ハートフル」は時代のキーワードのようになっていますが、最初は内海さんと一緒に考えたコンセプトでした。わたしにとって、「ハートフル」という言葉はいつも内海さんの思い出とともにあります。
内海さんへの電話はまさに心理学者ユングのいう「シンクロニシティ共時性)」だと思いました。シンクロニシティとは個人の運命を変える鍵であり、世界によって使命が与えられた印であるとユングは述べています。
ですから、『ハートフル・ソサエティ』をはじめ、その後の『愛する人を亡くした人へ』『思い出ノート』(ともに、現代書林)や一連の「日本人の癒し」シリーズなど、内海さんと一緒に作った本には、すべて何らかのミッションがあると思っています。
いま、内海さんと進めている仕事は、「婚活ノート」と「結婚式準備ノート」を合体させた、まったく新しいノートのプロデュースです。また、「先祖」や「隣人」、さらには「無縁社会」をテーマとした本も企画しています。内海さんと本の話をしながら飲むのは本当に楽しく、わたしにとって至福の時間です。また、「なぜ、自分は本を書くのか」という初志を思い出させてくれる貴重な時間です。



内海さんは最近、帽子をかぶっています。
そのイデタチは、一見「マダム・キラー」のジゴロのようでもありますが、なんだか「男はつらいよ」の車寅次郎みたいでもあります。そうです。いろんな出版社に自由に出入りし、いろんな本を世に送り出す内海さんは「出版寅さん」なのかもしれません。これからも出版寅さんとハートフルな本を続々と世に出していきたいと願っています。


2010年2月16日 一条真也