「裸の島」

一条真也です。

新藤兼人監督の「鬼婆」と「藪の中の黒猫」について、続けてブログに書きました。
今年で97歳の現役最年長監督ですが、本当に凄い芸術家だと心から感服しました。
わたしは、黒澤明小津安二郎木下恵介といった日本映画の巨匠はほぼ全作品を観ていますが、これまで新藤映画で観たのは「裸の島」だけでした。
それでも、心に鮮烈な印象を残す素晴らしい作品であったことは記憶しています。


人間にとって最も必要なものとは?



今日、10年以上ぶりにDVDで鑑賞しました。
驚きました。新しい発見があったからです。
この映画は全篇セリフなし、映像と音楽のみでストーリーを進めていくという画期的な実験作品です。資金はすべて新藤監督の手出し、スタッフは10名あまり、そして瀬戸内海の宿弥島でのオールロケという試みでした。
日本の配給会社からは完全に無視され、全国の貸ホールや公民館、名画座などで細々と公開されました。しかし、その後、思わぬ展開を迎えます。
なんと、公開の翌年にモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するのです。
それ以来、各国の業者が殺到し、結局は64カ国に配給されたのでした。
なんだか昨年アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」を連想させますね。
ところが、「裸の島」と「おくりびと」の共通点は国際的な評価を受けたことだけではありませんでした。わたしは、もっともっと大事な共通点に気づいたのです。


「裸の島」の舞台は瀬戸内海の小さな島です。
そこに一組の夫婦と二人の息子が暮らしています。
島のてっぺんまで耕した段々畑の耕作が夫婦の仕事です。
しかし、この島には井戸がありません。
井戸どころか川さえないのです。
そのために、近くの大きな島へ小舟を漕いで渡り、そこで水を汲まなければなりません。汲んだ水はまた舟を漕いで自分たちの島へ持ち帰り、その水を山頂まで担ぎ上げなければなりません。
そうして、ようやく畑に水が撒けるのです。でも、乾ききって痩せた土地は、苦労して得た水を一瞬にして呑み込んでしまいます。
それでも、夫婦は一年中、夜明けから日没まで、ひたすら舟を漕いで畑に水を撒き続けるのでした。ここには生活するための人間の極限の姿があります。



現在の日本では、「格差と貧困」がより一層深刻化しています。
まじめに働いて年収が200万円に満たない「ワーキングプア」、住む場所のない「ネットカフェ難民」、5件以上の債務に苦しむ「多重債務者」、さらには「生活保護受給者」、「ホームレス」の数も増加する一方です。
生きることに疲れた方々も多いのではないでしょうか。
でも、そういう方々にこそ、ぜひ「裸の島」を観ていただきたいと思います。
きっと、「生きる」という営みについて感じるところがあるはずです。



さて、「裸の島」の物語は、ある夏の日に急転回します。
小学生の長男が高熱を出して倒れ、夫が医者を求めて舟を漕ぎ出すものの間に合わず、帰らぬ人となってしまうのです。
そして、長男の葬式の日、お坊さん、担任の先生、同級生たちが舟に乗って島にやって来ました。迎える夫婦は喪服も着ていません。そんな贅沢品、持っていないのです。兄の葬式だというのにランニング姿の幼い弟を見ると、泣けてきます。
出棺のとき、息子の遺体が入った棺の前を母が持ち、父が後を持ちました。
そして、両親は我が子の棺を担いだまま段々畑を登っていきます。唯一の兄弟である兄を失った弟が母の傍らに寄り添い、その後をお坊さん、同級生、先生が続きます。
山頂に掘られた穴に棺を納め、お坊さんはお経をあげます。
同級生たちは持ってきた小さな花束を穴の中に放り込み、手を合わせます。
それを見ていた母は突如として駆け出し、家に戻ります。そして、亡き子が愛用していたオモチャの刀を手に取ると、また駆け戻ってきて、刀を棺の上に置くのでした。
わたしは、こんなに粗末な葬式を知りません。
こんなに悲しい葬式を知りません。
そして、こんなに豊かな葬式を知りません。
貧しい島の貧しい夫婦の間に生まれた少年は、両親、弟、先生、同級生という、彼が愛した、また愛された、多くの“おくりびと”を得て、あの世に旅立って行ったのです。
これほど豊かな旅立ちがあるでしょうか。
そう、1960年に製作された「裸の島」は「おくりびと」に先立つこと48年ですが、両作品はともに、人間にとって葬式が必要であることを粛然と示す映画だったのです。



思えば、夫婦が一緒に運んだものは水と息子の亡骸の入った棺でした。
二人は、ともに水桶と棺桶を運んだのです。
そして、その二つの桶こそ、人間にとって最も必要なものを容れる器だったのです!



わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)でも書きましたが、人類にとって何よりも大切なものは水です。
水がなければ、人は生きることができません。
ブッダの「慈悲」も老子の「慈」も、もともとは水に由来する思想です。孔子の説いた「仁」もそうです。「仁」「慈」「慈悲」の語源にはいずれも、水が与えられて植物が育つという意味があるのです。
さらに孔子儒教を開きました。
儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。
ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があるのです。
すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。



孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。
雨を降らすことも、葬式をあげることも同じことだったのです。
雨乞いとは天の雲を地に下ろすこと、葬式とは地の霊を天に上げること、その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。
その母を深く愛した孔子は、葬礼というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。



水がなければ、人は生きられない。そして、葬式がなければ、人は死ねないのです。



吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞ではありませんが、「裸の島」にはテレビも電話もピアノもなければ、車など一台も走っていいません。
いわば極限までに無駄なものを削った生活だからこそ、人間にとって本当に必要不可欠なものを知ることができるのです。
そして、その必要不可欠なものこそ、水と葬式でした。



悲嘆にくれる母は、息子を失った後、大切な水をぶちまけながら号泣します。
もし、葬式をあげなかったら、この母親の精神は非常に危険な状態になったはずです。
『葬式は、要らない』を書かれた島田裕巳氏にもぜひ観ていただきたい場面です。
島田氏は批判の最大の矛先を「戒名」に向けておられます。
映画では、葬式の後、お坊さんから息子の戒名を授かり、山頂の墓に立てられた卒塔婆に戒名が記されます。
傷心の夫婦は、きっと亡き息子はお経と戒名のおかげで成仏でき、あの世で幸せに暮らせると思ったことでしょう。
田舎の小さな寺の僧侶が授けた戒名が、愛する人を息子を亡くした夫婦に「癒し」の物語を与えたのです。
よく、「葬式仏教」という言い方がされます。たしかに、日本仏教の現状を見ると、葬式仏教であり、先祖供養仏教と言えるかもしれません。
それに対しては、島田氏のみならず、さまざまな批判があります。
そして、わたしもそのことを100%良いとは思っていません。
しかし、日本の仏教が葬式と先祖供養によって社会的機能を果たし、また一般庶民の宗教的欲求を満たしてきた事実だけは認めなければなりません。



人は一人では生きていけません。
一人では水桶も棺桶も担げません。
でも、二人なら担げます。二人なら生きていけます。
「裸の島」に暮らす人々には、親戚も隣人もいません。
でも一人ではありません。家族がいるからです。
なんと家族とは「有難い」ものか、つまり有ることが難しい奇跡的なものか。
そして、家族の最小単位とは夫婦であり、親子であり、兄弟です。
人は家族を失ったら、平然としていられません。
家族を失うことは世界の一部が欠けることです。時間と空間がグニャリと歪んだ異次元の世界の中で、平然とこれまでの生活を続けることはできません。葬式によって、歪んだ時間と空間をいったん断ち切り、元の世界を回復しなければなりません。
愛する人を亡くしたとき、人は葬式を必要とするのです。


なんということでしょうか。「鬼婆」「藪の中の黒猫」に続き、単純に新藤映画を楽しむ目的で鑑賞した「裸の島」が、『葬式は、要らない』に対する答えを教えてくれました。
こんなことがあるのでしょうか。わたしは、いま、呆然としています。
この映画は『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で取り上げました。


死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

2010年2月28日 一条真也