博覧強記は誰だ!?

一条真也です。

『百科全書』と世界図絵」をブログに書いたら、すかさず、「さすが、博覧強記の面目躍如ですね!」というメールを知人からいただきました。
最近、よく「博覧強記の一条真也」といった言い方をされます。
もともとは三五館から出している著書の著者プロフィールに「無類の博覧強記として知られ」と書かれていましたが、その後、『あらゆる本が面白く読める方法』を上梓してから、そのイメージが強くなったようです。
そう言われるたびに、恥ずかしい思いでいっぱいになります。
もちろん、わたしは自分のことを「博覧強記」などと思ってはいません。



かつて、『遊びの神話』を東急エージェンシーから出したとき、山口昌男さんの本からたくさん引用させていただいたので、礼状を書いて本をお送りしたことがあります。
すると、なんと山口さんから直接お電話があり、お会いすることになったのです。
その日の夜、新宿の「火の子」というバーでご馳走になりました。
「火の子」は吉本隆明さんや栗本慎一郎さんも愛用した店です。
山口昌男さんといえば「知の巨人」として知られていますが、『遊びの神話』が刊行された1989年当時は「ニューアカの親分」として大変な威光でした。
わたしは山口さんの著書をほとんど読んでいました。



当時は博覧会ブームで、「花と緑の博覧会」「横浜博覧会」「アジア太平洋博覧会」など、さまざまなイベントを東急エージェンシーが受注し、新人だったわたしも企画やプロモーションなどの末端の仕事を担当していました。
山口さんの著書は文化の本質に触れており、イベントのコンセプト立案やプランニングなどに役立つこと大だったのです。
そのことを「火の子」で山口さんにお伝えし、「山口先生みたいな博覧強記の方に憧れますよ!」と言ったところ、「博覧強記?キミは博覧会狂気じゃないの、ワッハッハ」と高笑いされたことを憶えています。
その御縁で、山口昌男さんとは『魂をデザインする〜葬儀とは何か』という本で対談させていただきました。その本では、山折哲雄さんや井上章一さん、横尾忠則さんなどとの対談も収められています。何よりも、義兄弟の鎌田東二さんに初めてお会いしたきっかけとなった本であり、わたしにとって忘れられない人生の宝物です。



さて、「博覧強記」といえば、対談させていただいた山口昌男山折哲雄井上章一鎌田東二といった方々の知識量はハンパではありませんでした。
その他、「博覧強記」としてすぐに思い浮かぶのは、立花隆松岡正剛荒俣宏高山宏鹿島茂といった方々です。
ちなみに、荒俣宏さんは松岡正剛さんによって発見されました。また、鎌田東二さんは『世界神秘学事典』(平河出版社)や『神秘学カタログ』(河出書房新社)などで荒俣宏さんに抜擢されました。わたしの著書についてのアマゾンか何かのレビューで、「松岡正剛荒俣宏を発見し、荒俣宏鎌田東二を発見し、鎌田東二一条真也を発見したのです」というものがあり、たいへん感激したことがあります。


                    博覧強記の饗宴
 
ビジネスマンが読む本の著者では、渡部昇一谷沢永一堺屋太一大前研一といった「一」がつく名前の方々が「博覧強記」として浮かんできます。
歴史を遡ればキリがありません。たとえば江戸時代では、新井白石荻生徂徠本居宣長も三浦梅園も「博覧強記」でした。
群書類従』を完成させた塙保己一も、『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴もそうでした。
明治以降の日本人では、幸田露伴徳富蘇峰南方熊楠柳田國男折口信夫樋口清之安岡正篤白川静澁澤龍彦といったところが正真正銘の「博覧強記」でしょうか。吉川英治司馬遼太郎松本清張といった近代の作家たちも「博覧強記」ですね。
以上のメンバーは、あくまで日本だけの話です。
世界に人選の枠を拡げれば、もう際限がありません。


わたしは、自分がまだ何も知らないことを知っています。
ソクラテスの「無知の知」を気取るわけではありませんが、本当の「知」とは自分が知っていることと知らないこととの区別を知ることではないでしょうか。
安岡正篤は、「物識り」よりも「物分り」が大事と喝破しました。
ネット検索で簡単に知識が手に入る時代において、わたしは今後も好奇心のおもむくままに読書しながらも、いつの日か本物の「物分り」になりたいと切に願っています。


2010年3月6日 一条真也