『1Q84』 BOOK1&2

一条真也です。

わたしは、昨年の5月に村上春樹氏の長編小説を集中して読みました。
きっかけは、同年の2月15日にイスラエルで行われた村上氏の例のスピーチです。
そう、エルサレム賞受賞スピーチの内容(「高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私は常に卵の側に立とう」という言葉はあまりにも有名になりました)を知り、「彼の全作品をどうしても、いま、読まなければならない」と強く感じたのです。
そういうわけで、デビュー作の『風の歌を聴け』から『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『国境の南、太陽の西』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』『アフターダーク』へと至る彼の長編小説を一気に固め読みしました。
その中には既読のものもありましたが、未読の作品もありました。
感じたことは、内田樹氏も指摘していたかと思いますが、村上作品の多くには「幽霊」が登場すること。幽霊でなくとも、死者の存在というものが大きい。
つまり、村上作品とは、基本的に死者と生者との交流を描いているということです。


                   「こころ」を見つめた小説


きわめて短期間に村上ワンダーランドにどっぷり浸かったわたしですが、その直後に『1Q84』BOOK1&2が発売され、満を期して読み始めました。なにしろ、2009年5月29日の発売日の時点ですでに4刷、68万部という超話題のベストセラーです。
1984年に刊行されたジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』とは逆に、2009年の未来からの近過去小説、それが『1Q84』です。とにかく、冒頭からハラハラドキドキ、文字通り寝食を忘れて読み耽ってしまう面白さでした。「小説とは、こんなにも面白いものか!」と久々に思わせてくれる作品でした。やはり、ノーベル文学賞に一番近い作家とされるだけあって、その筆力は当代一ではないでしょうか。
そこには実に奇妙な世界が描かれています。
1Q84年は、本来の1984年とはまったく異なった世界なのです。
セックス描写のみならず殺人描写までがこれ以上は不可能なほど具体的に描かれていますが、紛れもなく人間の「こころ」を深く見つめた作品だと思います。



その理由は主に3つあります。
第1に、『1Q84』は純愛小説だからです。
一組の男女が、10歳のときに手を握ります。ともに特殊な家庭環境にあった二人は、その後20年間も会わないのに、相手のことを忘れずに深く愛する。
こんな純粋な恋愛が他にあるでしょうか!
ラスト近くでは、相手を愛するがゆえの究極の自己犠牲の姿まで描かれています。
著者の代表作『ノルウェイの森』は「100%の恋愛小説」と謳われましたが、『1Q84』はさらにその上をゆくピュアな純愛小説だと思います。



第2に、『1Q84』は宗教小説だからです。
これまで、著者は『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』では「宗教」をテーマとしましたが、長編小説で真正面から扱ったのは今回が初めてです。
いくつかの宗教団体が登場しますが、架空の教団の名で描いていても、そのモデルがエホバの証人ヤマギシ会、そしてオウム真理教であることは一目瞭然です。
教団の裏側を描き、「信仰」や「祈り」の本質に迫る部分は、篠田節子の『仮想儀礼』にも通じるリアリティがあります。著者がずいぶん宗教団体について調べたことがわかります。『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』のインタビューが大いに役立ったことと思われます。主人公の一人である天吾は、「誰に世界のすべての人々を救済することができるだろう?」と自問します。
「世界中の神様をひとつに集めたところで、核兵器を廃絶することも、テロを根絶することもできないのではないか?アフリカの旱魃(かんばつ)を終わらせることも、ジョン・レノンを生き返らせることもできず、それどころか神様同士が仲間割れして、激しい喧嘩を始めることになるのではないか。そして世界はもっと混乱したものになるかもしれない。」と思います。これは、明らかにエルサレムで繰り広げられているユダヤ・キリスト・イスラムの宗教衝突を揶揄しています。
また、「宗教とは真実よりもむしろ美しい仮説を提供するもの」であるとか、「非力で矮小な肉体と、翳りのない絶対的な愛」があれば「宗教を必要としない」とか、『1Q84』には神や宗教の本質についての著者の結論のようなものが、ある種の覚悟をもって直球で明言されているのです。こんなにもストレートに宗教を語るくだりは文中にも登場するドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を連想させます。
1Q84年の日本に、大審問官がよみがえる!
その他にも、オーウェルの『1984』はもちろん、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』など、さまざまな世界の名作が気前良く作品中に登場してきます。
小説のみならず、なんと民俗学の古典中の古典であるフレーザーの『金枝篇』までも!ある意味で、『1Q84』は日本には珍しい教養小説の側面も持っているのです。



「こころ」を深く描いている第3の理由は、『1Q84』が月を描いた小説だからです。
わたしは、かつて『ロマンティック・デス』で、『ノルウェイの森』の真の主人公は月ではないかと指摘したことがありますが、今回も月が物語の重要な役割を果たしています。
それも、1Q84年の世界では、空には二つの月が浮かんでいるのです。
アーサー・C・クラークは、『2001年宇宙の旅』の続編である『2010年宇宙の旅』で空に二つの太陽を浮かべましたが、村上春樹は二つの月です。
月とは人間の心のメタファーであり、「ハートフル」とは「心の満月」です。
そして、愛する二人は同じ月を見ている
かつて、同じ月を見ていた人々がいました。ユダヤ・キリスト・イスラムの三姉妹宗教のルーツは月信仰にあったと、わたしは考えています。同じ月を見て同じ神を信仰していた人々が、三つの宗教に分かれ、傷つけ合い、血を流し合いました。
そう、純粋な「愛」を説き、「宗教」なるものを真正面からとらえた、このシュールな月の小説は、あのエルサレムでの著者のスピーチにつながっているのです。たぶん。



BOOK1&2で完結するのか、それとも続編が出るのか、ずいぶん議論が交わされましたが、続編はやはり出ることになりました。
もうすぐ、『1Q84』のBOOK3が読めると思うと、ワクワクしますね。


2010年3月20日 一条真也