「地獄」(中川信夫監督)

一条真也です。

地獄を描いた日本映画といえば、もう一本、どうしても紹介しなくてはなりません。
そうです、中川信夫監督の「地獄」です。
1960年に新東宝で作られた作品です。
東宝という映画会社そのものがカルト的存在だったのですが、その中でも最大のカルト・ムービーとされるのが本作品です。
中川信夫は、最高傑作との呼び声が高い「東海道四谷怪談」や化け猫ものなど、怪談映画の名手として知られました。
そんな彼は、夏興行の定番となっていた怪談映画に「地獄の責め苦の映像化」を持ってくるというアイデアを打ち出します。
もちろん仏教の八大地獄の映像化がメインテーマですが、ダンテの『神曲』やゲーテの『ファウスト』など、キリスト教思想における地獄のイメージも盛り込まれていることが特徴と言えるでしょう。
主演の天地茂の怪演が「素晴らしい!」の一言です。
それに閻魔大王を演じているのは、なんと嵐寛寿郎です!
ラカン閻魔大王とは、なんとも贅沢な配役ですね。


                  何はともあれ、地獄を恐れよ!


さて、あなたは、あの世を信じるでしょうか。
あの世を信じること、つまり「来世信仰」は、あらゆる時代や民族や文化を通じて、人類史上絶えることなく続いてきました。
紀元前3500年頃から伝えられてきた『エジプトの死者の書』は、人類最古の書物とされています。その中には、永遠の生命に至る霊魂の旅が、まるで観光ガイドブックのように克明に描かれているのです。
同じことは『チベット死者の書』にも言えます。

『聖書』や『コーラン』に代表される宗教書の多くは死後の世界について述べていますし、世界各地の葬儀も基本的に来世の存在を前提として行なわれています。
日本でも、月、山、海、それに仏教の極楽がミックスされて「あの世」のイメージとなっていますね。



人間は必ず死にます。
では、人間は死ぬとどうなるのか。
死後、どんな世界に行くのか。
これは素朴にして、人間にとって根本的な問題です。

人類の文明が誕生して以来、わたしたちの先祖はその叡知の多くを傾けて、このテーマに取り組んできました。
それでも、現在にいたるまで人間は死に続けています。
死の正体もよくわかっていません。
実際に死を体験することは一度しかできないわけですから、人間にとって死が永遠の謎であることは当然です。
まさに死こそは人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。 

世界中の宗教は、いずれも最初は身近な死後の世界観を持っていました。
アフリカなどの原始宗教でも、この世とあの世はほとんど変わらない世界です。
しかし、宗教が国家宗教や世界宗教へと成長していくにつれ、あの世の姿も変化していきます。おそらく哲学や他の宗教の影響を受けるのでしょう。
ある意味で、宗教が成長するにつれて、身近だった死後の世界がファンタジックな世界へと物語化していくのですね。まさに、それが天国と地獄であると言えるでしょう。

わたしは、昨年の夏に刊行された『「天国」と「地獄」がよくわかる本』(PHP文庫)という本の監修をしました。
これまで人類が想像してきたありとあらゆる天国と地獄が紹介されている本です。
それは、コミックやアニメやゲームに登場するような幻想世界のカタログでもあります。
でも、それだけではありません。世界各地に伝わる神話や伝承などに基づいて、多くの人々の心の死生観を浮き彫りにする本なのです。


               あなたは、どちらへ行きますか?


いま、天国や地獄を信じる人は少なくなりました。
しかし、昔の人々は信じていました。
心の底から天国に憧れ、震えあがるほど地獄を恐れていました。
天国や地獄を信じなくなった結果、人の心は自由になり、社会は良くなったでしょうか。
いや、反対に心の闇は大きくなり、社会は悪くなったのではないでしょうか。
凶悪犯罪はさらに増加し、より残虐になっています。
親が子を殺し、子が親を殺すような事件も多くなってきました。
まさに、「ありえないことなど、ありえない」状況です。
未曾有の不況による貧困社会を迎えた現代の日本。
日本人の心はますます荒廃するばかりです。
わたしたちには、「良いことをすれば天国や極楽に行ける」「悪いことをすれば地獄に落ちる」というシンプルな人生観が再び必要なのかもしれない。
何はともあれ、天国と地獄を信じましょう!
そして、限りある生を精一杯に人間らしく生きようではありませんか!


2010年3月21日 一条真也