「第9地区」

一条真也です。

映画「第9地区」を観ました。
話題のSF映画で、ネットでの評価も非常に高いです。
評判では、ブログにも書いた「ナイン」や「シャッターアイランド」を圧倒しています。
もともとSF映画は好きなので、ワクワクしながら観ました。


映画がスタートして2〜3分の説明があった後、いきなり異星人(エイリアン)と地球人(人間)が共生しているので驚かされます。
その後は、エイリアンと人間との関係性の話が続きます。
そして、エイリアンと人間の遺伝子を併せ持つ存在さえ登場するのです。
わたしは、いつも「人間が問題なのではなく、人間関係が問題なのだ」と述べています。
それにならえば、この映画では「エイリアンが問題なのではなく、エイリアンとの関係が問題なのだ」となるでしょう。



これまでのエイリアンを描いた映画では、エイリアンそのものが正体を現わすまでがストーリーの重要な要素でした。「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」とか「地球の静止する日」などの古典SF映画に顕著です。
正体を見せたエイリアンに対して、人間は驚愕し、戸惑い、どのように彼らに対処するか悩みます。たいていは、エイリアンのほうが人間を攻撃し、地球を征服しようとするのですが。
宇宙戦争」や「インデペンデンス・デイ」などの作品が代表的ですね。
日本映画では、「宇宙人、東京にあらわる」なんていうのもありました。
その一方でスピルバーグは、「未知との遭遇」でエイリアンと人間との正常なコミュニケーションが描き、さらに「E.T.」で両者の心の交流を描きました。
明らかに、エイリアンと人間との関係は変化してきたのです。
それをアメリカ政府の陰謀ととらえるトンデモさんたちもいました。
じつはロズウェルの宇宙船墜落事故をはじめ、アメリカ政府はエイリアンたちを接触しており、その事実を公表する日にあわせて米国民のショック緩和の必要がある。
そのため、スピルバーグに依頼して、「未知との遭遇」や「E.T.」などの親エイリアン映画を製作したのだというのです。
またトンデモさんたちは、アポロは実際に月には行っておらず、キューブリックに依頼して「2001年宇宙の旅」のセットを利用して着陸映像を撮影したとも主張しています。



それはともかく、エイリアンと人間との関係は、これまで攻撃されるか、仲良くするかの二つしかなかったのです。それが、この「第9地区」では、人間がエイリアンを支配し、攻撃するという内容になっています。
巨大な宇宙船が現れたのがニューヨークでも北京でもなく、南アフリカの首都ヨハネスブルクであることも象徴的です。
この映画がアパルトヘイトの強烈な風刺になっていることぐらい小学生でもわかりますが、それにしても南アそのものへの差別意識を逆に感じてしまいます。
ヨハネスブルグの民衆がエイリアン相手にあこぎな商売し、異種間の売春まで行うというのは、いくらなんでも酷いのでは?
せっかくネルソン・マンデラの奮闘を描いた映画「インビクタス」によって南アのイメージが変わりつつあるのに、直後にこんな映画が発表されることには意図的なものさえ感じます。それは、映画「おくりびと」が絶賛された直後に『葬式は、要らない』という本が刊行されたことにも通じます。
社会的な反作用とでも言うのでしょうか。


あと、興味深かったのは、「第9地区」におけるエイリアンの姿形です。
それは醜悪な姿で、「エビ」というあだ名そのものの形をしています。
昔、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」の影響で、エイリアンというとタコのようなイメージがありました。
それから、ロボットのような宇宙服を着たヒューマノイドになりました。
つまり、異星人が人間化したのですね。
さらには、「グレイ」という小人型エイリアンや、 「レプティリアン」という爬虫類型エイリアンが主流になりました。
それなのに今度はエビです!
せっかくタコから人間に近づいていったのに、いきなりエビです。
これは、どういうことなのでしょう。
おそらくは、制作者は従来のイメージにない新しいエイリアン像を作りたかったのかもしれません。醜い被征服者としてのシンボルとしても必要な造形だったのでしょうね。



               エイリアンの姿も、その関係も変化しました


2010年4月19日 一条真也