常盤平団地

一条真也です。

金沢から東京に入りました。
小松空港から羽田空港へ。羽田空港からモノレールで浜松町へ。
浜松町から赤坂見附に向かい、ホテルに荷物を置いて、そのまま上野へ。
そこで(社)全日本冠婚葬祭互助協会の山村直毅さんと待ち合わせ、JR常磐線で松戸まで行きまました。そこから新京成電鉄に乗り継ぎ、やって来ました、常盤平!



                    常盤平駅のホームで


そうです、ここには「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた常盤平団地があるのです。
全国のニュータウンに先駆けて50年前に建設され、1960年(昭和35年)4月に入居開始された団地です。4、5階建ての中層集合住宅です。
総戸数が4839で、全戸の入居が完了したのは1962年(昭和37年)でした。
団地の中には保育所や幼稚園、小中学校、郵便局、商店街まで備えられていました。


                       常盤平団地


まさに一つの新しい町、つまり「ニュータウン」が忽然と誕生したのです。
そして、常盤平団地は「東洋一の団地」と呼ばれ、入居希望者が殺到。
抽選倍率は、なんと20倍を超えたそうです。
若い夫婦と子どもたちであふれていた夢の団地は、半世紀近くの時間を経て、「孤独死」を招きいれてしまいます。
それは、2000年秋に起きました。
72歳の一人暮らしの男性の家賃の支払いが滞ったために何度も公団から催促状が発送されたにもかかわらず、何の連絡もありませんでした。
異常を感じた管理人は警察に連絡し、警察官がドアを開けます。
そこにあったのは、キッチンの流しの前の板間に横たわる白骨死体でした。
かつての「東洋一の団地」に衝撃が走りました。
住民たちは、「自分たちの団地から、孤独死が出るなんて!」「隣人とのつながりとは、そんなに希薄なものだったのか」「恥ずかしい、人に知られたくない」という気持ちをそれぞれ抱いたそうです。
誰もが大きなショックを受けました。みんな、孤独死とは団地などではなく、特別な状況下で起こるものであると思い込んでいたからです。
しかし、さらに独居老人の多くなった常盤平団地で、孤独死が続きます。


                   孤独死防止のメッカに

                孤独死予防センターで、中沢氏と


そこで立ち上がったのが、中沢氏を会長とする常盤平団地自治会のメンバーでした。
孤独死ゼロ」を合言葉に、崩壊したコミュニティを復活させるという目標を立てます。
そして、団地自治会を中心に、常盤平団地地区社会福祉協議会、民生委員が一緒になって、孤独死問題に対処するためのネットワークやシステムを作りました。
みなさんの努力が実って、常盤平団地孤独死は激減しました。
今では「孤独死防止のメッカ」とも呼ばれています。
そのシンボルとなる場所が、「いきいきサロン」です。


               まるでホテルのような「いきいきサロン」

                 「いきいきサロン」看板娘のお二人


「いきいきサロン」は、2007年4月にオープンした、高齢者の集いの場です。
このサロンの目的は、誰でも気軽にお茶を飲める場を設けることです。
サロンに来て、近所の人たちと気軽にしゃべることによって、仲間を作ってもらうのです。
サロンの入室料は一人100円で、コーヒーや紅茶などが飲み放題です。
わたしもコーヒーを御馳走になりましたが、スタバやタリーズみたいなシアトル系のコーヒーみたいに味が濃くて、美味しかったです。
また、看板娘のお二人をはじめ、ここのスタッフの方々は明るい方ばかりです。
そして、とてもホスピタリティに溢れていました。
サロンもとても清潔で綺麗な場所でした。まるでホテルのロビーのようです。
このサロンは、一人暮らしの人が弁当持参で昼食を食べに来てもいいのです。
これまで家の中でテレビばかり見ていた人も、サロンが開設されると、よく訪れるようになったといいます。
なぜなら、テレビは話相手になってくれませんし、あいさつしても無反応です。
でも、サロンで誰かに声をかければ返事が返ってきますし、いろんな話もできます。
最初は、しょんぼりしておっかなびっくりサロンに来ていた人も、そのうち話し相手を見つけます。すると、その人の表情が変わってくるそうです。
人と接して話しているうちに、サロンに来る人々の表情が明るくなってくるので、中沢氏らは「これだ!」と思ったそうです。


                  50周年を迎えた歴史の重みが

                   50周年記念モニュメント


最初、孤独死予防センターに中沢氏をお訪ねしたら、50周年記念モニュメント、いきいきサロンなどを自ら案内して下さいました。
50周年記念モニュメントは、インド産の黒御影石でつくられた大きな玉で、「幸せを呼ぶ 健康長寿」の文字が刻まれていました。



また、常盤平団地ケヤキ並木が見事!
中沢氏はもう団地が出来たときから50年間ここに住んでいるそうですが、最初は苗木ぐらいだったので半世紀を経てこれだけの並木の育ったそうです。
今では、読売新聞から「日本街路樹100選」に選ばれるまでになったとか。
常盤平団地からの帰り道、堂々たるケヤキ並木を見上げながら、わたしは常盤平団地の50年に歴史の重みを感じたような気がしました。


                    ケヤキ並木が見事でした


2010年7月7日 一条真也