有縁社会を語る

一条真也です。

今日の10時05分からNHK「徹底討論 ふるさと再生スタジアム〜どうする?あなたのお葬式・お墓」が再放映されました。
わたし自身の番組の感想については、ブログ「NHK放映」に書きました。
先日の放映に続いて、今日の再放映も、多くの方々が自身のお葬式やお墓について考えていただく機会になったのではないかと思います。
その番組では、NHKが一貫してテーマとしている「無縁社会」も取り上げられました。


             NHKの番組で「無縁社会」が取り上げられました


早朝から松柏園ホテルの神殿で「月次祭」が行われました。
その後、恒例の「平成心学塾」が開催されました。
今日は、「無縁社会から有縁社会へ」という話をしました。
まず、「縁」とは何かから考えてみました。
この世にあるすべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは一つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。
すべてはバラバラであるのではなく、緻密な関わり合いがあります。
この緻密な関わり合いを「縁」と言うのです。


               平成心学塾で「縁」について話しました


わが社は冠婚葬祭業を営んでいますが、結婚式にしろ葬儀にしろ、人の縁がなければ成り立たない商売です。わたしは常々、この仕事にもしインフラがあるとしたら、それは人の縁に他ならないと広言しています。
いま、日本は「無縁社会」などと呼ばれています。
ぜひ、これを「有縁社会」へと変えなければなりません。
人間には、家族や親族の「血縁」をはじめ、地域の縁である「地縁」、学校や同窓生の縁である「学縁」、職場の縁である「職縁」、業界の縁である「業縁」、趣味の縁である「好縁」、信仰やボランティアなどの縁である「道縁」といったさまざまな縁があります。
今言った「縁」を結んだ人々は、いずれも自分の葬儀に参列してくれる可能性のある人たちです。つまりは、「おくりびと」になってくれる人たちです。
これらの「縁」がいずれも希薄化しているから社会が「無縁化」し、通夜や告別式を行わずに火葬場に直行する「直葬」なども増えているわけですね。
でも、それらの絆をもう一度強く結び直す具体的な方法があります。
すなわち、血縁を結び直す「法事」、地縁を結び直す「隣人祭り」、学縁を結び直す「同窓会」、職縁を結び直す「OB会」、業縁を結び直す業界の「勉強会」、好縁を結び直す「サークル」、そして道縁を結び直す各種の「集会」などです。
そして、それらすべての「縁」に関連しているものこそ、「冠婚葬祭」ではないでしょうか。
すべての「縁」という川は、「冠婚葬祭」という大河あるいは海に流れ込むのではないかと思います。以上のようなことを、今日の平成心学塾では語りました。


             さまざまな「縁」が「冠婚葬祭」に流れ込む


平成心学塾を終えた後も、しばらく「縁」について考えました。
新卒者への説明会では私自ら話をすることが多いが、必ず、「みなさんとは縁がある」の一言ではじめることにしています。
まだ採用しておらず、社長と社員の関係にはなっていなくても、宇宙という無限の時間と空間の中で「いま」「ここに」居合わせていること自体が縁であり、奇跡なのだと説明するのです。



異色の哲学者である中村天風は、こう言いました。
「要するにこの広い世界に、幾多数え切れないたくさんの人という人のいる中に、自分たちだけが、一つ家の中に、夫婦となり、親となり、子となり、兄弟姉妹となり、さては使うもの使われるものとなって、一緒に生活しているということが、並々ならぬ、換言すればとうてい人間の普通の頭では考えきれない縁という不思議以上の幽玄なるものが作用した結果だという、極めて重大な消息を、重大に考えないからである」と。
天風の有名な「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という言葉も、この世に張りめぐらされた「縁」というネットワークの不思議以上の幽玄さを表現しています。



陽明学者である安岡正篤は、こう言いました。
「仏語に、縁尋機妙という語がある。縁尋機妙とは、縁が尋ねめぐって、そこここに不思議な作用をなすことである。縁が縁を産み、新しい結縁の世界を展開させる。人間が善い縁、勝れた縁に逢うことは大変大事なことなのである。これを地蔵経は聖縁・勝縁という」
さすがに中村天風安岡正篤も、豊かな「縁」を得て、幾多の政治家や実業家を指導しただけあって、含蓄のある言葉を残していますね。
「縁」というものの本質を考え、あの手この手で「有縁社会」を呼び込むお手伝いがしたいと思います。


2010年7月17日 一条真也