『エッセイ脳』

一条真也です。

『エッセイ脳』岸本葉子著(中央公論新社)を読みました。
著者は、がん体験をしたことで知られる人気エッセイストです。
本書は、京都芸術造形大学通信教育部における授業に基づいているそうです。


                 800字から始まる文章読本


わたしは、いわゆる文章読本の類を一切読まないのですが、エッセイの書き方ということで、本書に興味を持ちました。
わたしも毎月、かなりの数のエッセイを新聞や雑誌に連載しているからです。
エッセイとは何か。著者は、次のように定義します。
A「自分の書きたいこと」を、
B「他者が読みたくなるように」書く。
本書でいうエッセイは、長さが800字から1600字までのものを指すそうです。
序章「エッセイを書くとき、頭の中で起きていること」には、次のように書かれています。
「これから行うのは、エッセイを書くとき、頭の中で起きていることを、自分でとらえ直し、分析し、言語化し、整理する作業です」
そして、その作業について「エッセイする脳を解剖する試み」とも言っています。
この「エッセイ脳」はエッセイストだけでなく、万人に必要なものです。なぜなら、この世で生きていく上でまったく文章を書かない人というのは基本的にいないからです。
作文や小論文は学生だけかもしれませんが、手紙、メール、ブログなど、現代人の生活は書くことの連続です。また、ビジネスマンの場合ならなおさらです。
ブログ『新書がベスト』で紹介した小飼弾氏も、「現代において文章を書かずにお金をもらえる仕事はほとんどありません。たとえば、会社勤めをしている人は、頻繁に報告書やレポートを書いているでしょう。まったく文書を書く必要がないのは、特殊な分野の職人くらいのものです」と述べています。
そして、文章を書く上で最も必要なものこそ「エッセイ脳」なのかもしれません。



もともとが通信教育の教材だけあって、本書はテキスト風にまとめられていますが、じつにエッセイの構造をシステマティックに考えているので驚きました。
わたしは文章の構造など考えず、いつも思いつくままにエッセイを書いていますので。
まず、著者はエッセイを書くとき、概念ではなく、そのテーマで書ける具体的なことは何かを考えるそうです。
「テーマ」と「題材」はよく混同されますが、著者によれば、「テーマ=一般的、抽象的」、「題材=個別、具体的」となります。わかりやすいですね。



エッセイには、テーマが与えられるものと与えられないものとがあります。
あるとき、著者は「思い出に残るご馳走」というテーマを与えられました。考えたあげく、腸の出術で7日間絶食した後に食べた病院食のお粥について書いたそうです。
「思い出に残るご馳走」というテーマは、なかなか難しいものです。
例えば、一流レストランや料亭での高級食材を使った、本物のご馳走について書いたら、読者はどう思うでしょうか。
「そんな贅沢なものを食べたら、そりゃあ思い出にも残るでしょうよ」と、そっぽを向かれるのがオチです。
著者がエッセイで最もおそれるという「あ、そう」という結果に終わるわけです。
ならば、どうするか。著者は次のように書いています。
「いっそ、度外れた贅沢メニューを書いて、呆れ半分好奇心半分で読者をひきつけるという方法もなくはない。それには芸が要ります。そこまでの技巧のない私は、リスク回避と、また、呆れ半分好奇心半分で読者をひきつけることができるほどのご馳走の記憶もなかったため、この題材を持ってきました。でも、わざとおいしくなさそうなものを選んで、奇をてらったわけではない。自分にとっては思い出に残っている、この題材でもテーマにはかなっている。そういうテーマとの関係を、最後に押さえて、はぐらかされた読後感を残さないようにしました」
いやあ、さすが人気エッセイストですね。
実際に書いたエッセイの最後の文章はこうです。
「食い意地の張った私は、退院後、絶食した分を取り返すかのごとく、あれこれの料理を味わったけれど、あの病院食のぬるく、水っぽいお粥は、忘れがたい一品である」



特に注目すべきは、文章の起承転結について解説したくだりです。
小学校や中学校の国語教育で、わたしたちは文章の起承転結というものを教わり、併せてその中で「結」が最も大事であると教わってきました。
でも、それに従ってエッセイを書こうとすると「転」のところで困ると、著者は指摘します。
そしてエッセイの特徴とは、自分の書きたいことの中心を、「転」に持ってくることだというのです。この「転」こそが、題材であり、具体的なエピソードだというのです。
この部分など、まさにプロの視点です。わたしにも非常に参考になりました。
そして、たくさん出版されている著者のエッセイ集が読みたくなりました。
人に読まれる文章を書きたいと思っているすべての方に本書を推薦します。


2010年7月29日 一条真也