靖国から月へ

一条真也です。

今年も、8月15日の終戦記念日が来ました。
日本人だけで実に310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって65年目を迎えました。
今から5年前の終戦60周年に当たる2005年8月、わたしは次の短歌を詠みました。
ひめゆりよ 知覧ヒロシマ長崎よ 手と手あわせて 祈る八月」

                8月16日付「朝日新聞」朝刊より


さて、終戦記念日というと、必ず靖国神社の問題が取り上げられます。
わたしは「死は最大の平等である」であると信じています。ですから、死者に対する差別は絶対に許せません。
官軍とか賊軍とか、軍人とか民間人とか、日本人とか外国人とか、死者にそんな区別や差別があってはならないと思います。
いっそのこと、みんなまとめて同じ場所に祀ればよいと真剣に思うのです。
でも、それでは戦没者の慰霊施設という概念を完全に超えてしまいます。
靖国だけではありません。アメリカのアーリントン墓地にしろ、韓国の戦争記念館にしろ、一般に戦没者施設というものは自国の戦死者しか祀らないものです。
しかし、それでは平等であるはずの死者に差別が生まれてしまう。


では、どうすればよいか。そこで登場するのが月です。
靖国問題がこれほど複雑化するのも、中国や韓国の干渉があるにせよ、遺族の方々が、戦争で亡くなった自分の愛する者が眠る場所が欲しいからであり、愛する者に会いに行く場所が必要だからです。
つまり、死者に対する心のベクトルの向け先を求めているのです。
それを月にすればどうか。月は日本中どこからでも、また韓国や中国からでも、アメリカからでも見上げることができます。
その月を死者の霊が帰る場所とすればどうでしょうか。
これは古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方をそのまま受け継ぐものです。


終戦60周年の夏、わたしは靖国神社を参拝しました。
その後、東京から京都へ飛び、宇治の平等院を訪れました。
もともと藤原道長の別荘としてつくられた平等院は、源信の『往生要集』に出てくるあの世の極楽を三次元に再現したものでした。
道長はこの世の栄華を極め、それを満月に例えて「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けこともなしと思へば」という有名な歌を残しています。
わたしは、「天仰ぎ あの世とぞ思ふ望月は すべての人が帰るふるさと」と詠みたい。
死が最大の平等ならば、宇治にある「日本人の平等院」を超え、月の下にある地球人類すべての霊魂が帰り、月から地球上の子孫を見守ってゆく「地球人の平等院」としての月面聖塔をつくりたいです。
靖国から月へ。平等院から月面聖塔へ。これからも地球に住む全人類にとっての慰霊や鎮魂の問題を真剣に考え、かつ具体的に提案していきたいと思っています。


                   月面聖塔の模型の前で


2010年8月15日 一条真也