『さよならもいわずに』

一条真也です。

まだハリーを亡くした喪失感から立ち直れません。
そんな中、『さよならもいわずに上野顕太郎著(エンターブレイン)を読みました。
著者は、人気の高いギャグ漫画家です。
本書の冒頭には、次のような献辞があります。
「本作は、前妻キホに捧げる最後の作品である。
大切な人を失ったすべての人に。
そして大切な人がいるすべての人に」
そう、著者は突然の悲劇で最愛の妻を亡くしてしまったのです。心が張り裂けるような真実の物語がリアルな劇画調で描かれていきます。

              
                  最愛の妻との最後の日々
 

とにかく、あらゆる意味で、本書はすごい本です。
いきなり表紙に涙がこぼれたような跡があり、タイトルも著者名も滲んでいます。
帯の裏には、次のように書かれています。
「ささやかだけれど、とても幸せな家族だった・・・・・あの日までは。漫画家・上野顕太郎に突然訪れた、永訣の刻。最愛の妻との哀切きわまる最後の日々を、稀代のギャグ漫画家があらゆる技術を駆使して描ききる、慟哭と希望のドキュメント」
著者は、うつ病の治療を続けていた妻を2004年12月9日に亡くしました。
二人の間には、小学4年生の娘が一人いました。
著者は、娘と二人で新しい生活をスタートします。そして、ようやく深い悲しみが癒えた頃、新しいパートナーと出会い、再び三人家族の生活が戻ってくるのです。
著者は、本書に次のように書いています。
「これは、一人の男を突然襲った悲しい出来事と、その後の1年間を描いた物語だ。
残念ながら1年後も彼は絶望の淵にいた。
しかしその後、彼は新たな幸せを見つけ、希望を取り戻してゆくのだが、
それはまた別のお話」
著者は、新しいパートナーに対する配慮も見せています。
「ただ、内容が内容なだけに、新たなる家族には、本当に申し訳なく思う。
自分自身も『何故苦しい思いをしてまで描かねばならないのか?』
という事実に、執筆を開始してから思い至るような有様だ」



なぜ、心が張り裂ける苦しい経験を思い出してまで、また新しい家族の心を傷つけてまで、本書を書いたのか。著者は、その理由を述べます。
「ただそれでも『描かずにはいられなかった』わけだが、ではそれは何故か?
『自分の思いを誰かに知ってもらいたかった』
ということに、尽きるのではないだろうか。
辛い目にあった人々は多かれ少なかれ、『誰かに話を聞いてもらいたい』とか、
『気持ちを分かってもらいたい』と、思うようだ」
著者が言っていることは本当です。わが社では、グリーフケア・ワークのサポートをやらせていただいていますが、愛する人を亡くした人にとって何よりも必要なことは、誰かに自分の悲しみや苦しみを伝えることだと思います。



著者は、続けて本書を書いた理由を述べます。
「まして自分は表現者だ、これを描かずにいられるだろうか。
いや、あえて俗っぽく言うなら、
表現者にとっての『おいしいネタ』を描かぬ手はない」
この偽悪的な著者のコメントには、なんだか泣けてきてしまいます。
もちろん、「おいしいネタ」というのは本意ではなく、辛い経験を表現しなければならない自分を鼓舞するためのものだと思います。
著者は、序文のようなモノローグの最後をこう締めくくっています。
「この作品に思いを込め、過去は過去として気持ちを整理し、
この先の未来を見据えてゆきたい。
この作品の最後にあるのは絶望だ。
だがその先には希望があることを今の私は知っている」



結論から言いますと、著者の意図は完璧な成功を収めたと思います。
漫画に限らず、小説も映画も演劇も全部ひっくるめて、愛する人を亡くした人の「こころ」をここまで見事に描いた作品を知りません。
愛する人を亡くしたとき、時間も空間も歪みます。
まるでSFのような異次元となるのです。
そんな異次元にそのまま人間が身を置いていたら、必ず、その人の「こころ」は悲鳴をあげてしまいます。それを防ぐものが、「葬儀」と呼ばれるものなのです。
葬儀は歪んだ時間と空間を儀式の力でいったん断ち切り、正常な時空に戻す働きをするのです。本書には、まさに主人公のいるはずの空間がグニャリと歪み、時間も歪んで過去と現在が交錯する場面が登場します。



また、葬儀の大きな役割に、「悲しみの処理」というものがあります。
これは残された生者のためのものです。残された人々の深い悲しみや愛情の念を、どのように癒していくかという処理法のことです。
通夜、葬式、その後の法要などの一連の行事。
それらは、遺族にあきらめと決別をもたらしてくれます。
愛する者を失った遺族の心は不安定に揺れ動いています。
そこに儀礼というしっかりした形のあるものを押し当てることによって、「不安」をも癒します。
親しい人間が消えていくことによって、これからの生活における不安。その人がいた場所がぽっかりあいてしまい、それをどうやって埋めたらよいのかといった不安。
残された者は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。
心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。これは非常に危険なことなのです。
つまりは、「うつ病」などの「心の病」へと至るのです。
人間はどんどん死んでいきます。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつの「形」を与えることが大事であり、ここに、葬儀の最大の意味があります。



さらに、葬儀は接着剤の役目も果たします。愛する人を亡くした直後、残された人々の悲しみに満ちた心は、ばらばらになりかけます。
それをひとつにつなぎとめ、結びあわせる力が葬儀にはあるのです。
多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の心の内に引きこもろうとします。誰にも会いたくありません。何もしたくありませんし、一言もしゃべりたくありません。ただ、ひたすら泣いていたいのです。
でも、そのまま数日が経過すれば、どうなるでしょうか。残された人は、本当に人前に出れなくなってしまいます。誰とも会えなくなってしまいます。
葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出します。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張りだすのです。葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。それが、残された人を「この世」に引き戻す大きな力となっているのです。



このような葬儀の持つ力を本書は見事に描いており、「葬式は必要!」と確信させてくれる内容となっています。
本書はグリーフケア・コミックの最高傑作です。
そして、漫画のさらなる可能性を感じさせてくれる作品です。
帯には、漫画評論家夏目房之介氏が「『作品全体をはるかに越える『悲しみ』『喪失感』が、最後には祈りのような清々しささえもたらす」という言葉を寄せています。
わたしは、すでに本書を3回読みました。そして、3回泣きました。
こんなに魂が揺さぶられるようなコミックを読んだのは久々です。
読後、妻に対して限りない感謝の念が湧き、娘たちがたまらなく愛しくなりました。
家族のいる方は、ぜひ、本書をお読み下さい。



最後に、本書には平井堅の代表作「瞳をとじて」が登場します。
亡くなった主人公の最愛の妻が携帯の着メロに使っていた曲です。
主人公は妻の死を、自分と妻の両親、そして友人や知人たちに伝えるという「人生における最悪の電話」をかけた後、眠りについたとき、この曲を思い浮かべるのです。
映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」の主題歌です。
何度聴いても、泣きたくなるような名曲ですね。


2010年8月27日 一条真也