マザー・テレサ生誕100周年

一条真也です。

昨日は、マザー・テレサの生誕100周年の記念日でした。
わたしの敬愛するピーター・ドラッカーの生誕100周年は昨年でした。
ですから、ドラッカーマザー・テレサは1歳違いということになります。
マネジメントとキリスト教、道は違えど、ともに「人類の幸福」を求め続けた2人でした。


わたしは、マザー・テレサを深く尊敬しています。
「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も、相愛しなさい」
このイエスの言葉に、マザーの一生は要約されていると言っていいでしょう。
エスが行った無償の愛を20世紀後半に実行した人であり、宗教、民族、年齢、性別、社会的地位等に一切関わりなく、必要とする人々に愛の手を差し伸べた人でした。まさに、「隣人愛」を実践したのです。
マザー・テレサは1979年度のノーベル平和賞をはじめ、数多くの賞を受賞しました。
また多くの大学から、人類愛を顕著に示した人に贈られる博士号を受け、多くの賞金も添えて贈られました。
マザーは、これらの賞や賞金を決して自分のものとすることなく、貧しい人々の名において受け、1銭残らず、彼らのために使い果たしています。
マザーが帰天された後に残っていたものは、着古したサリーとカーディガン、古びた手さげ袋と、すり切れたサンダルだけだったと言われています。
目に見える遺品は誠にわずかで貧しいものでしたが、マザーは計り知れないほどの"目に見えない"遺品を残してこの世を去りました。



ある日のこと、マザーは、歩道で死にかけている女性を見つけました。彼女の苦しみを和らげ、ベッドで心静かに人間らしく死なせてやりたいと思って、女性を連れて帰りました。この愛の行為をきっかけとして、マザーは、1952年8月に「清い心の家」にルマン・ヒリダイとも呼ばれる「死を待つ人の家」を開設することになりました。
「死を待つ人の家」では、数え切れないほど多くの人の死を看取りました。
マザーは、ヒンドゥー教の人やイスラム教の人が亡くなるときは、その宗教のお経を唱えて送ってあげました。
それでいて、マザーの活動の源泉は、ゆるぎないカトリックの神への信仰でした。
その根源にあるものは、人間の生命は限りなく尊いというイエスの教えであり、それこそ、一神教多神教といった枠組みを超えて今後のすべての宗教のあるべき姿ではないでしょうか。
それを失うと、宗教とは心の狭い原理主義に陥り、最後は戦争にまでつながります。



じつは今日、渋谷のNHK放送センターを訪れました。そこでNHK報道局・報道番組センター・社会番組部ディレクターの佐野広記さんという方にお会いしました。
佐野さんは、つい最近まで大分放送局にいたそうです。
そのときに大分県速見郡の日出町にある大法輪寺というお寺の話をして下さいました。
住職の田口学法さんは「仏教の原点に戻る」ことをめざし、無料でお経をあげ、さらには仏教以外の宗教の葬儀も引き受けられるそうです。
まさにマザー・テレサと同じ大きな志を抱かれている方のようです。
ぜひ、大法輪寺を一度伺ってみたいです。



さて、「20世紀の聖女」マザー・テレサは1910年8月26日に生まれ、1997年9月5日に亡くなりました。マザー亡き後も、インドのカルカッタでは彼女の後継者たちが「死を待つ人の家」を守っています。
死にゆく人々の口に最期に含ませるチョコレートや死者の顔にかける白布さえ不足しているそうです。 ぜひ「人間尊重」をミッションとする企業の名にかけて、わが社は「死を待つ人の家」に対してサポートをさせていただきたいと考えました。
創立40周年のとき、ささやかな寄附などもさせていただきました。
わが社がめざす「天下布礼」の道と、マザー・テレサが歩んだ「神の愛に生きる」道とは、同じ目的地へと続いているような気がしてなりません。



2010年8月27日 一条真也