月と映像

一条真也です。

今朝、「京都の美学者」こと秋丸知貴さんからメールが届きました。
秋丸さんのメールには、本日の13時35分からNHK総合で「わたしが選ぶあの番組(1)〜立花隆〜」が放映されることが書かれていました。



                                     

これは、著名人が自ら選んだ思い出のNHK番組を語るシリーズです。
第1回目は、ジャーナリストの立花隆氏が選んだ番組が取り上げられました。
立花氏が選んだのは、1969年に生中継で12時間以上にわたって放送された特別番組「アポロ11号月着陸」と「月に立つ宇宙飛行士」です。
月面に人類初の一歩を記した感動的な姿を、約38万km離れた場所からリアルタイムで伝えた記念すべき番組です。
ちなみに、アポロ11号の月面着陸の場面は、世界中で6億人が視聴しています。
月面着陸という宇宙開発史上におけるビッグ・イベントは、人類のメディアの歴史においても最大のビッグ・イベントだったのです。


                人類史上最大のビッグ・イベント


もともと地球の重力圏から脱出することなど絶対に不可能だとされていました。
すなわち、学識のある教授たちが、1957年にスプートニク1号が軌道に乗る1年ほど前までは、こんなことは問題外だと断言し続けてきたのです。
その4年後の61年には、ガガーリンの乗った人間衛星船ヴォストーク1号が打ち上げられ、人類最初の宇宙旅行に成功しました。
さらに69年には、アポロ11号のアームストロングとオルドリンが初めて月面に着陸したわけです。ここに、古来あらゆる民族が夢に見続け、かつ、シラノ・ド・ヴェルジュラック、ジュール・ヴェルヌH・G・ウェルズといったSF作家たちがその実現方法を提案してきた月世界旅行は、ドラマティックに実現したのです。
そう、気の遠くなるほど長いあいだ夢に見た結果、人類はついに月に立ったのです!


                     人類、月に立つ!


あらためてアポロの月面着陸は、「人類史上最大の偉業」であったと思い知りました。
その偉業を達成したアメリカが、広島・長崎への原爆投下という「人類史上最大の愚行」を冒したことが何とも皮肉ですが。
余談ながら、アポロの月面着陸がヤラセだったと本気で信じている人々が今も多く存在するのには驚かされますね。また、「マヤの予言」なるものを信じて、人類が2012年に滅亡すると信じている人々が存在するのにも驚かされます。
わたしは、どうも、よく神秘主義者と見られるようです。
でも、神仏や霊魂の存在は信じても、「アポロは月に行かなかった」とか「人類は2012年に滅亡する」などの話はまったく信じていません。悪しからず。(笑)


               宇宙飛行士の無事を祈る高田好胤


わたしは普段はほとんどテレビを観ませんが、今日の番組は非常に興味深く観ました。
当時の映像で面白かったのは、意外な人物が登場していたことです。
まず、「アポロ11号月着陸」の音声レポートを石田純一の父である石田武アナウンサーが務めていたことは聞いていましたが、その容姿を初めて見ました。
非常にハンサムで、英語の発音も素晴らしかったです。
「月に立つ宇宙飛行士」は、かの鈴木建二アナが総合司会者でした。
ゲストとして、薬師寺高田好胤歌人中村汀女、指揮者の岩城宏之、デザイナーの森英恵などが出演していたので驚きました。
また、生中継ならではのハプニングも面白く、アポロの月面着陸についてのソ連の反応を聞くべく、東京のNHKスタジオからモスクワにいる特派員に国際電話をかけたのですが、うまく通じません。そこで、アナウンサーが「どうも、うまく繋がらないようです。月との交信のほうがうまくいくようで・・・」これには、爆笑しました。でも、こんな場面を観ると、きっと「アポロは月に行かなかった」派が勢いづくのでしょうね。(笑)


                  五島プラネタリウムの老婦人                 


市井の人々へのインタビューもいくつか流されましたが、中には鋭い意見がありました。
「アポロ11号月着陸」では、東京・渋谷ので中継イベントが開催されましたが、そこでマイクを向けられた老婦人が、こう言ったのです。
「童謡や童話に出てくるお月さまは、ロマンティックでした。本当は、月をそのままにしておきたいのですが、今回だけは人類の知恵と努力に心から敬意を表したいですね」
わたしは、これを聞いて、ビックリしました。その老婦人は、当時ですでに70歳代くらいのように見えるのですが、これはなかなか即座に言えるコメントではありません。
高齢でありながら、わざわざ深夜の中継イベントに来ているところを見ても、おそらく只者ではないと思います。本人か御主人か、名のある人物だったのでは?
それから「月に立つ宇宙飛行士」では、東京・銀座で街頭インタビューが行われ、大学生風の若者が月着陸について次のようにコメントしていました。
「これは、自由に対する最大の勝利であると思います。これからはサイバネティックスの時代です。さまざまなイデオロギーは終焉を迎え、人間は自由になってゆくのです」
このコメントにも、わたしは、ある意味で驚きました。
69年当時に、「サイバネティックスの時代」を叫ぶ日本人がいたとは!


                   現代日本の「知の巨人」


さて、NHKが「わたしが選ぶあの番組」の第1回目の選者を立花隆氏にしてくれたことが嬉しかったです。わたしは昔から立花氏の大の愛読者で、その著作はほとんどすべて読んでいます。現代日本を代表する「知の巨人」であると思っています。
特に、『宇宙からの帰還』(中央公論社)と『臨死体験』上・下巻(文藝春秋)には、ものすごく影響を受けました。わたしが28歳のときに書いた『ロマンティック・デス』(国書刊行会幻冬舎文庫)には、『宇宙からの帰還』と『臨死体験』の強い影響が見られます。
立花氏は、自分の仕事はすべてアポロの月面着陸をテレビで観たインパクトの延長線上にあると述べていました。月面着陸以来、立花氏は「人類」や「地球社会」といった大きなことを考えはじめるようになったそうです。それぐらい、「丸ごとの地球」を見たという体験は大きかったのです。ガガーリンは「地球は青かった」と言いましたが、それを初めて人類が視覚で体験したのがアポロの月面着陸でした。


                  わが書斎の立花隆コーナー


今日の番組を観ながら、思ったことは3つ。
1つめは、「NHKは、良質の番組を日本人に提供してきた」ということ。
2つめは、「20世紀とは、まさに映像の世紀だった」ということ。
NHKで連続放映された「映像の世紀」という素晴らしい作品があります。米国ABCとの共同企画番組です。わたしはDVDを全巻持っており、何度も繰り返して観ています。
オープニングのタイトルバックなんか、本当に涙が出るほど感動的です。
まさに、「映像の力」というものを強烈に感じます。
立花氏は、月面に立つ宇宙飛行士をテレビで観ながら、その「映像の力」に大きなショックを受けたそうです。レベルというか次元がまったく違いますが、ブログ「尖閣ビデオ」
で紹介した「YouTube」の投稿映像にも、たしかに「映像の力」はありました。
今日の番組の最後には、69年の「東大安田講堂攻防戦」、70年の「よど号ハイジャック事件」、72年の「連合赤軍事件」のリアルな映像が流されました。
いずれもNHKアーカイブスに所蔵されているものです。同アーカイブスには、90万本のフィルムが眠っているそうです。


                    「映像の世紀」のDVD


さて、今日の番組を観ながら思ったことの3つめは、「月は全地球人が見上げられる」ということです。そこに、国際問題としての「戦争」や国内問題としての「無縁社会」を解決する糸口が見えてくるような気がしました。
尖閣ビデオの問題で、日本と中国の友好関係が危ぶまれています。
両国間に横たわる問題として靖国問題の存在がありますね。
そして、そこには韓国も加わってきています。
靖国問題が複雑化するのは、中国や韓国のあまりにも無礼な干渉があるにせよ、遺族の方々が、戦争で亡くなった自分の愛しい者が眠る場所が欲しいからであり、愛しい者に会いに行く場所が欲しいからです。
つまり、亡くなった死者に対する心のベクトルの向け先を求めているのです。わたしは、その場所を月にすればよいと思っています。
月は日本中どこからでも、また中国からでも、韓国からでも、アメリカからでも見上げることができます。その月を死者の霊が帰る場所とすればいいのではないかと思います。
これは決して突拍子もない話でも、無理な提案でもなく、古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方を、そのまま受け継ぐものです。 
世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。そして、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。
月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。



多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。
規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然です。
東南アジアの仏教国では、今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。
仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。
仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。月は「万教同根」のシンボルなのです。
また、わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていきます。
宇宙から来て宇宙に還る私たちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものと言えます。
人間も動植物も、すべて星のかけらからできている。その意味で月は、生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもある。かくして、月に「万教同根」「万類同根」のシンボル・タワーを建立し、レーザー(霊座)光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画をわたしは思い立ち、実現をめざしています。
詳しくは、ブログ「月面聖塔」ブログ「月への送魂」をお読み下さい。


                     月と死のセレモニー


月のシンボル・タワーは「月面聖塔」と名づけ、そのプランを1991年に国書刊行会から出版した著書『ロマンティック・デス』で発表しました。多くのテレビ・新聞・雑誌などで取り上げられ、海外のメディアからもたくさん取材が来ました。
月面聖塔は、そのまま、地球上のすべての人類のお墓ともなります。
月に人類共通のお墓があれば、地球上での墓地不足も解消できます。
また、世界中どこの夜空にも月は浮かびます。
それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養をすることができます。
第2次世界大戦では、310万人の日本人が亡くなりました。
世界では、なんと約5000万人もの人々が亡くなったそうです。
その中には、アウシュビッツなどで殺された約600万人のユダヤ人も含まれています。その人々の魂はどこに帰るのでしょうか。
ホロコーストが行われたアウシュビッツの夜空にも、ヒトラーが自殺して陥落したベルリンの夜空にも、真珠湾満州や南京の夜空にも、月が浮かんでいたことでしょう。
日本においても、ひどい戦災に遭った沖縄にも、まったく戦災に遭わなかった金沢にも、原爆が落とされた広島や長崎にも、落ちなかった小倉にも、夜空には月がかかり、ただただ慈悲のような光を地上に降り注いでいたはずです。
今回、「月に立つ宇宙飛行士」を観て初めて知ったのですが、アポロ15号の宇宙飛行士たちはアメリカ国旗だけでなく、国連の全加盟国名が記された絹の旗、そして米ソの宇宙開発で亡くなった両国の宇宙飛行士たちの記念メダルを月に持っていったとか。
やはり、月とは「世界平和」のシンボルであり、死者を供養する場所なのです。
当時のアメリカ大統領ニクソンは、「人類の歴史の中で、初めて全人類は一つになりました」と月面上の宇宙飛行士たちにメッセージを送りました。
もちろん、この発言が政治的なものであることは重々承知していますが、この発言を素直に、かつ前向きににとらえたいとも思います。

  
                    月を見よ、死を想え


特に、「無縁」化する社会に生きる日本人にとって、月面聖塔の持つ意義ははかり知れないほど大きいと言えます。今後は墓を守る者がいなくなり、無縁となって消える墓も多くなるでしょう。墓を持たない日本人の霊魂はどこへ行き、どこで休息し、どこで生き残った者とコミュニケーションするのでしょうか。
月面聖塔というのは、いわゆる「共同墓」をさらに「地球墓」として拡大したものだと言えるでしょう。しかも、月は地球上のあらゆる場所で眺めることができます。
あらゆる場所で月に向かって手を合わせれば、先祖供養ができるわけです。
盆の時などに大変な思いをして墓参りをしなくても、月は毎晩のように出るので、死者と生者との心の交流も活発になります。特に、満月のときはいつもより念入りに供養すればいいでしょう。満月の夜のロマンティックでノスタルジックな死者との交流です。
月を見上げて祈れば、ご先祖さまとコミュニケーションできるなんて素敵ですね。


                    月を見上げて祈る


今日は、早朝から『隣人論』(仮題、三五館)の加筆作業をしていました。
この本では無縁社会を乗り越えるための「隣人まつり」について取り上げていますが、「まつり」には2つの意味があります。「祭り」と「祀り」です。前者はフェスティバルとしての祭礼であり祭典ですが、後者は死者を偲ぶ供養のあり方です。
民族や国籍を超えて、あらゆる地球人類を月に祀ることは、まさに「隣人祀り」に他なりません。無縁社会の今後の方向は、無縁仏となる人々が増え、共同墓の存在がクローズアップされてきます。月面聖塔とは究極の共同墓に他なりません。
さらに、わたしは先の戦争で日本が多大な迷惑をかけた中国や韓国の人々と「隣国祭り」を開催することを提案したいと思います。



わたしは北陸大学の未来創造学部の客員教授として、「孔子研究」、つまり儒教の講義を担当しています。全部で300名におよぶ教え子の中には、中国や韓国からの留学生もたくさんいるのです。彼らと接していると、日本人も中国人も韓国人もない、みんな孔子の思想を学ぶ者であり、わたしの可愛い教え子たちです。
ぜひ、彼らを中心に、まずは金沢の地で「隣国祭り」を開催し、そのムーブメントを3つの国全体に拡げていければと願っています。
国と国とが仲良くする「隣国祭り」は平和の祭りに他なりません。世界史的に見て、隣国ほど仲が悪く戦争を起こしやすいものですが、それだけに「隣国祭り」の重要性は測り知れません。考えてみれば、地球レベルでの「隣国祭り」こそ、万国博覧会やオリンピックやサッカーのワールドカップかもしれませんね。



国と国との「隣国祭り」だけでなく、人と人との「隣人祭り」も平和の祭りです。
たとえ、人数が数人しかいなくとも、それは平和と親愛の集いなのです。
そして、あらゆる人類を平等に祀る「隣人祀り」としての月面聖塔が「世界平和」への大きな祈りであり、仕掛けであることは言うまでもありません。
そう、靖国から月へ。地球に住む全人類にとっての慰霊や鎮魂の問題をこれからも常にとらえ、かつ具体的に提案していきたいと思います。
なお、アポロの月面着陸についての考えは、ブログ『月面上の思索』をお読み下さい。


2010年11月7日 一条真也