「法」とは何か

一条真也です。

ついに、尖閣ビデオの投稿者がわかったようですね。
10日、神戸海上保安部の43歳の海上保安官が映像の投稿を認めたそうです。
報道によれば、巡視艇「うらなみ」のナンバー3のベテランである主任航海士で、問題の映像を隠蔽する政府に対して義憤を募らせ、神戸の漫画喫茶から送信したとか。


菅首相は、尖閣ビデオ映像が「YouTube」に流れはじめた当初から、今回の行為は刑事罰に相当するものであると述べていました。
警視庁は、国家公務員法守秘義務違反の疑いで事情聴取を開始しています。
一方で、神戸海上保安部には多くの国民から激励メールが届いているそうです。
自民党をはじめとした野党は、「最初から映像を全面公開していれば、流出そのものが起こらなかった」として、菅首相ら政権中枢の責任を追及しています。
これに対し、政府側は流出経緯の捜査や再発防止策の検討などで対応するようです。



ブログ『「礼」とは何か』に書いたように、領土問題から「礼」について考えました。
そして今夜、ビデオの投稿者が特定されたニュースから「法」について考えています。
「礼」と「法」は、ともに秩序ある社会の創造をめざしています。しかし、「礼」とは性善説、「法」とは性悪説に拠っているところが大きな違いだと言えるでしょう。
わたしは、わが社の顧問弁護士でもある辰巳和正先生のお招きで、毎年、司法修習生の方々に講演をさせていただいています。その際には、いつも「礼」と「法」の違いを説き、人間社会にはともに必要であることを説明します。最後は、みなさんへのメッセージとして、「よく学び法を修めし人なれば 礼も学びて鬼に金棒」という短歌を詠みます。



考えてみると、現実世界において最も影響力のあるものは法律かもしれません。
古代中国の孟子は、人間はもともと良い性質を持っているという性善説を唱えました。
それに対して荀子は、人間の本性は悪であって、善というのは「偽り」であるとの性悪説を主張しました。ここで言う「偽り」とは、現代の日本人が言う「偽(にせ)」ではなく、ニンベン(つまり、人)にタメ(為)と書く「人為」、つまり後天的という意味です。
先天的には人間の性は悪であるが、後天的に良くなるのだというのです。そこで悪を抑えるものとしての「法」が重視されました。
荀子の門下からいろいろな弟子が出ました。彼らは「法家」と呼ばれました。
韓非子』の韓非や秦の政治を支えた宰相の李斯などが有名です。
そして商鞅が法律万能、厳罰主義を政治の基本とし、その法治主義で秦が強くなり、始皇帝の中国統一を可能としました。



その秦は14年しか存続しませんでした。
西洋では、ローマ帝国が長きにわたって繁栄しました。
そのローマ帝国も「法」によって治められていました。世界中に影響を与えたローマ法は有名ですが、初代皇帝アウグストゥスが何よりも「法」を重んじました。
たとえば、ローマ帝国で深刻な問題となっていた離婚と少子化を食い止めるために、彼は2つの法律を成立させて、これらを見事に減少させています。
作家の塩野七生氏は、「古代の西欧世界において人間の行動原理の正し手を、ユダヤ人は宗教に、ギリシャ人は哲学に、そしてローマ人は法律に求めた」と述べています。
ローマ人は、現実世界に対する法律の影響力の大きさを証明したのです。



近年、「コンプライアンス」という言葉をよく見たり、聞いたりします。
いわゆる「法令遵守」という意味です。偽装表示、欠陥隠蔽、詐欺的販売、個人情報漏えい・・・消費者の信頼を揺るがす不祥事が続発しています。
こうした企業の多くが法令違反を問われ、社会から厳しい批判にさらされています。
行政処分によって、業界の最大手企業が忽然として消滅する事態も現実に起こっています。まさに、正しいことをしないと損をするのです!
企業においては、消費者保護をより一層重視する姿勢が求められています。
消費者に対して儀式サービスを提供する冠婚葬祭互助会業界も例外ではなく、わが社では、これまで以上に消費者保護を意識し、コンプライアンス委員会を設置しました。



もともと日本は法治国家ですから、法令遵守は当たり前の話。
これからの企業は、法律を超えて消費者の視点に立ち、国民が安心して暮らせる社会づくりを目指さなければならないと思います。
ただ、法律とは法律なるがゆえに正しいのではなく、正義を尊重する社会を創造し、人々を幸福にすることができる限りにおいて正しいのだとも思います。
わたしは、今回の尖閣ビデオのネット流出問題に関して、一言だけ言いたいです。
「法」に勝る「義」もあるのではないか、と。


2010年11月11日 一条真也