マネジメント講義

一条真也です。

金沢に来ています。
北陸大学で「ドラッカー研究」の講義をしました。
第1回目は、「ドラッカーとは何者か」と題して、ピーター・ドラッカーの生涯と思想を振り返りました。第2回目の今日は、「マネジメント」について話をしました。
今日も、300名にもおよぶ学生たちが大教室を埋め尽くしました。



               ドラッカーの「マネジメント」を語りました

                300名の学生たちが真剣に聴きました


「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされています。
ドラッカーが発明したマネジメントとは何でしょうか。
ドラッカーは、『新しい現実』(上田惇生訳・ダイヤモンド社)で、こう述べています。
「マネジメントとは、人にかかわるものである。その機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。」
「マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である。」
このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのです。



にもかかわらず、わが国のビジネス・シーンには、ナレッジ・マネジメントからデータ・マネジメント、はてはミッション・マネジメントまで、ありとあらゆるマネジメント手法がこれまで百花繚乱のごとく登場してきました。その多くは、ハーバード・ビジネス・スクールに代表されるアメリカ発のグローバルな手法です。
もちろん、そういった手法には一定の効果はあるのですが、日本の組織では、いわゆるハーバード・システムやシステム・アナリシス式の人間管理は、なかなか根付かないのもまた事実です。情緒的部分が多分に残っているために、露骨に「おまえを管理しているぞ」ということを技術化されれば、される方には大きな抵抗があるのです。



日本では、まだまだ「人生意気に感ずる」ビジネスマンが多いと言えるでしょう。仕事と同時に「あの人の下で仕事をしてみたい」と思うビジネスマンが多く存在するのです。そして、そう思わせるのは、やはり経営者や上司の人徳であり、人望であり、人間的魅力ではないでしょうか。会社にしろ、学校にしろ、病院にしろ、NPOにしろ、すべての組織とは、結局、人間の集まりに他なりません。人を動かすことこそ、経営の本質なのです。つまり、「経営通」になるためには、大いなる「人間通」にならなければならないのです。


               ハートフル・マネジメントを語りました


ハートフル・ソサエティにおいては、人々を幸福にできる心ある企業の存在が不可欠です。そのために必要とされるものが「心の経営」としてのハートフル・マネジメントです。
ハートフル・マネジメントとは、いわば、人間を幸福にする技術そのものです。
データ・マネジメントやナレッジ・マネジメントには、その本質に利己的なものが潜んでいますが、これから求められるのは、人の心の成長をどう支えていき、生きがいを共有できるかという利他的なハートフル・マネジメントなのです。
マネジメントというものは、単なる理論的な手法や分析的な手法を超えて、人間の総合力が問われる最高のアートになり得るのです。
それはもう総合的な「人間関係学」さらには「幸福学」とさえ呼べるものです。
経営者と従業員、上司と部下のみならず、先輩と後輩、コーチと選手、教師と生徒、医師と患者、親と子、夫と妻、そして恋人同士、といったようにありとあらゆる人間関係においてマネジメントの視点が必要とされるのです。
スポーツも教育も医療も恋愛も、これからはハートフル・マネジメントです! 
そのことを、エリフ・ルート、アンリ・ファヨ―ル、フレデリック・テイラー、ウラジミール・レーニンヘンリー・フォードアドルフ・ヒトラーチャーリー・チャップリン、サン=テグジュぺリ、エイブラハム・マズロー、ダグラス・マクレガーなど、多くの人々のエピソードを紹介しながら話しました。そして、その中心にあるのは、もちろん、ピーター・ドラッカーです!


               「利益」について学生たちと一緒に考えました


もちろん心の経営といっても、利益は大問題です。利益とは何でしょうか。
日本初の経営コンサルタントとして知られる堀紘一氏は、利益とは影のようなものであると述べています。例えば、太陽のような意味のある実態を考えてみましょう。太陽は照るときもあれば、照らないときもあります。
しかし、地球上のどんなところでも、冬の北極でも南極でも一年中一度も太陽が照らないということはありません。そして太陽が照ると、影ができます。そんなものは要らないと言っても、太陽という実体が照れば影はできるのです。
ビジネスにおいて、世の中の人に役立つような商品あるいはサービスを提供する。場合によっては、人々はそれに見向きもせず、買ってくれないかもしれない。利用してもらえないかもしれない。でも本当に価値のある商品、意味のあるサービスであれば、必ずその値打ちを認めてくれる人が現われる。そういう認めてくれる消費者、ユーザーが必ず出てくる。それは、いわば太陽のような存在です。
真価を認めてくれる人がいれば、売上は必ず立ち、そういう人がたくさんいれば、要らないと言ってもできる影のように、必ず利益があがるのです。
ドラッカーは『現代の経営』(上田惇生訳・ダイヤモンド社)で、「事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者も同じように答える。この答えは間違いなだけでない。的はずれである」と述べています。



わたしが思うに、ドラッカーが言いたかったことは、実体と影を混同するなということではないでしょうか。目的は、あくまでも実体である太陽が光を放つことです。
金儲けということに極意があるとすれば、それは意味のある、価値のある商品・サービスを提供することであり、それに尽きるのです。そして、低成長時代を迎えた今日、かつての高度成長期に燦燦と輝いていた太陽の光を求めるのには無理があります。
バブル期には灼熱の太陽がビジネス社会を照らしあげ、非常に濃い影ができました。しかし、あまりの暑さのため、また日射病を避けるため、人々は木陰や建物のなかに逃げ込み、影そのものが消えてしまうという結末になってしまったのです。
バブル崩壊とは、濃い影が一瞬にして消滅することではないでしょうか。


               月光経営こそ「ハートフル・マネジメント」


そこで現在のような低成長期には太陽よりも月が必要となります。
暑くもなく、日射病になる心配もない月光はいつまでも地上に浮かびあがっています。
また、高度成長期において、私たちはいたずらに「若さ」と「生」を謳歌してきました。
しかし、来るべき超高齢化社会の足音は、「老い」と「死」に正面から向かい合わなければならない時代の訪れを告げています。
太陽から月への主役交代とは、それらを見事に象徴しているのです。
慈悲の光を放ち、おだやかな影をつくるものこそ月光経営です。
各企業がそれぞれの社会的使命を自覚し、世の人々の幸福に貢献し、徳業となることをめざすならば、その結果として利益という月の影ができるのです。
今日は、そんなことを学生たちに語ってきました。
明日は、ドラッカーの5回目の命日です。


2010年11月10日 一条真也