40回目の憂国忌

一条真也です。

東京に来ています。今日は、40回目の憂国忌です。
1970年11月25日、昭和の文豪・三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自決を遂げました。彼の最後の絶叫は、自衛隊員らの野次や怒号によってかき消され、ほとんど聞こえなかったそうです。しかし現在の日本人を見たとき、彼のメッセージは、いま大きな説得力を持って立ち上がってきます。
北朝鮮や中国やロシアと日本との関係を見ても、然りです。
40年前、三島は「日本は悪くなる」と言いました。40年後、彼の言う通りになりました。


わたしは、高校生の頃から三島由紀夫に心酔していました。
ブログ『三島由紀夫の家』に書いたように、自宅の玄関ホールや書斎を三島邸に模したぐらいです。もちろん、その著作はほとんど全部を読んできました。
北九州から東京へ向うスターフライヤーの機内で、『三島由紀夫の戦後』中央公論特別編集(中央公論新社)を読んだのですが、あらためて三島由紀夫という個性の巨大な存在感と時代の先を読む先見性に驚嘆しました。
無縁社会」と呼ばれる現代日本社会を民俗学者柳田國男南方熊楠が予見していたように、三島由紀夫も今のダメな日本を予見した人でした。
しかし、三島には「世直し」の具体的なプランがありました。
それを40年前に自衛隊員らに訴えたわけですが、その声は彼らに届きませんでした。
わたしは、40回目の憂国忌の今日、市ヶ谷の防衛省を訪れました。
三島由紀夫が割腹自決をした自衛隊駐屯地の跡です。
その場所で、わたしは三島由紀夫の最期の檄文を全文朗読し、さらに日本・中国・韓国の三国による「隣国祭り」の必要性を訴える演説をするつもりでした。
本当は、ブログ『「無縁社会」という呪い』に書いた「暴力装置」という呪いの言葉や一連の外交政策に対しても一言申したかったのですが・・・・・。


                  市ヶ谷の防衛省の正門前で


しかし、ある人物に演説そのものを止められました。
出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんです。防衛省の近くに三五館があるので、この後、中野さんとランチ・ミーティングをする予定だったのです。
その中野さんが、わたしのサングラス姿は強面に見えるし、憂国忌の日の防衛省前というシチュエーションから、何を言っても、必ず右翼に間違えられるというのです!
「そんなことないよ〜!」と言ったわたしは、中野さんを無視して、防衛省の前にいた人々に向って「みなさん!」と叫ぼうとしました。
その「みな」のところで、いきなり中野さんがわたしの前に両手を広げて仁王立ちして、「おやめなさい!」と叫んだのです。その声の大きさに周囲の人々は驚いていました。
わたしは、「馬鹿野郎! なぜ、わかってくれんのか!」と彼を怒鳴りつけました。
すると中野さんは、わたしに殴りかからんばかりの迫力で、「いいかげんにして下さい! 一条さんはハートフル作家なんですよ!」と言うのです。
その言葉にわたしはグッときました。そして結局、演説はしませんでした。ただ手をあわせ、三島の英霊に追悼の祈りを捧げ、歌を一首詠んで、その場を立ち去りました。
それにしても、仁王立ちした中野さんの顔の怖かったことといったら!
青年将校」という異名の通り、2・26事件の首謀者のような雰囲気でした。
はっきり言って、わたしよりもずっと防衛省に似合うと思いました。


                  まさに青年将校のたたずまい


しかし、わたしの「世直し」への想いは「強い」などというレベルを通り越して、重症です。今日、UPされた「ムーンサルトレター」第64信にその想いを書きました。
文通相手の鎌田東二さんも、「無縁社会」を乗り越える提言をして下さっています。
わたしたち2人の共著『満月交感 ムーンサルトレター』上・下巻(水曜社)は現在、最終校正中ですが、今回の最新レターでも「世直し」への想いを互いに熱く語りました。ちなみに鎌田さんも、三島由紀夫については関心が深く、多くの著書で語っています。



今日は、これから都内の某ホテルで伊藤忠商事の方々とお会いします。
ホテルや病院というビジネスのイノベーションとなる大型プロジェクトについての打ち合わせです。まだ詳しい内容は書けませんが、日本人の「生老病死」観を大きく変えるビッグ・プロジェクトです。これも、一種の「世直し」ではないかと思います。
やはり、わたしには会社経営を通じての「世直し」が向いているようです。
わたしには、街頭演説は向きませんね。中野さん、あなたのお節介、もとい、著者を思う編集者魂には胸を打たれましたよ。ありがとうございました。
美に殉じ、国を憂いつつ自らの命を散らした三島由紀夫よ、永遠なれ!


防人(さきもり)に語りかけたる武士(もののふ)の
                   言葉今こそわれら聴くべし (庸軒


2010年11月25日 一条真也