死刑と少年

一条真也です。

いま、新幹線の中です。のぞみ19号で東京から新大阪に向っています。
裁判員裁判で初めて少年に死刑が言い渡されましたね。
宮城県石巻市の男女3人殺傷事件で殺人罪などに問われた19歳の少年に対するものです。鈴木信行裁判長は、「犯行の残虐さや被害の結果からすれば、責任は重大。被告の反省などを最大限考慮しても、極刑を回避すべきではない」と述べました。


              11月26日付「朝日新聞」より


わたしは、裁判員制度というものをまったく認めていません。
裁判とは法律のプロフェッショナルが行うべきであり、アマチュアが携わるものではないと思っています。アメリカをはじめとして取り入れている国が多いということですが、それは民主主義への過信であり、民主主義の悪しき誤用ではないでしょうか。
もし、わたしが裁判員をやらなくてはいけなくなった場合、どうしようかと考えています。
ソクラテスは「悪法もまた法なり」と言いましたが、現在の日本には見直すべき法律がたくさんあります。孤独死の増加も、明らかにある法律の成立が影響しています。
裁判員制度も、いつか見直されるべき時期が来るのではないかと思います。



さて、わたしは、日頃から「死」について考えています。
孤独死」や「無縁死」や「殺人」が明らかに避けるべきものであるという確信を抱いている一方で、「自殺」についての考え方の難しさをいつも実感します。
昨日、40回目の命日を迎えた三島由紀夫の自決などの場合はなおさらです。
それから、いわゆる「安楽死」や「尊厳死」についても、一筋縄ではいかない厄介さを抱えています。しかし、もっとも取り扱いが厄介な死に方は「死刑」でしょう。
死刑に対するわたしの考え方を詳しく述べるのは控えますが、1人の人間として、家族や愛する人を殺された場合、犯人に極刑を求めるのは自然な人情だとは思います。



死刑を宣告された少年は19歳でしたが、19歳ならセーフで20歳ならアウトというのは、やはり違和感があります。
それよりも、更正の機会を与えずに極刑に処することには考えさせられます。
1997年、かの神戸の連続児童殺傷事件が起きました。あの時の衝撃は今もおぼえています。事件の異様さは当時の日本社会を震撼させました。
犯人は、中学校の正門前に被害者の遺体の一部を残し「酒鬼薔薇聖斗」を名乗って、警察への挑戦状をマスコミに送りつけました。
逮捕されたのは、なんと中学3年生の少年でした。
当時14歳だった彼は、もちろん少年法により死刑にはなりませんでした。
彼は、6年5ヵ月の矯正教育を経て21歳になり、医療少年院を仮退院しました。
彼は犯行当時、他人を傷つけることによって快感を得る「性的サディズム」といわれる倒錯した心理にあったといいますが、事件直後から「心の闇」という言葉が流行しました。
彼の「心の闇」は一体どのような構造をしており、どのようなプログラムの更生教育を受けたことで、その闇がほどけたのか。
そして、どんな経緯をたどって社会復帰が可能と判断されたのか。



愛娘の山下彩花ちゃんを奪われた母親は、「あなたを決して許すことはできません。その一方で、どんなに時間がかかっても、あなたを更生させてやりたい」と述べました。
娘が生きた時間が社会に人間への絶望を残すだけではつらいというのです。
成人になった男性が真に人間としての再生の道を歩むならば、それは私たちに人間への希望をよみがえらせます。彼は途方もないミッションを背負っているわけです。
では、石巻の19歳の少年にはミッションは与えられないのか。
これはもう、わたしごときが安易に語れない重大な問題です。
ただ、裁判員制度をこのまま続ければ、死刑判決は必ず増加するでしょう。
事の善悪は別として、アマチュアを起用するということは、そうなるはずです。
そして、死刑が増えるとしたら、それはそれで民意なのではないでしょうか。



今回の死刑判決は、「永山基準」に沿って検討されたそうです。
1968年に、当時19歳だった永山則夫元死刑囚による連続ピストル射殺事件をめぐり、最高裁が83年に示した死刑の基準です。
わたしは高校時代に、永山則夫著『無知の涙』を読み、いろいろと考えさせらました。
三島由紀夫と並んで、永山則夫もまた、若き日に影響を受けた1人かもしれません。
自殺と死刑の是非を問うことは、本当に難しい問題です。でも、人間の「死」について考え続けていく以上、絶対に避けることのできない問題でもあります。


2010年11月26日 一条真也