コラム(血縁)

一条真也です。

昨日、小倉でも初雪が降りました。今日も、非常に寒いです。
そんな中、新しい「中外日報」が送られてきました。
リレーコラム「時感断想」連載第3回目のコラム掲載紙です。
今回のタイトルは、「『家』意識失い『自我』肥大」です。


今年の夏、千葉県にある本家の法事に出かけました。
そこで、わたしの祖母の三十三回忌と伯父の十三回忌の法要が行われました。
本当に久しぶりに、多くの親族が集まりました。
なつかしい方々との再会に、さまざまな思い出がよみがえります。
「この人たちは、みんな自分の親戚なのだ」と思うと、家族がいっぺんに増えたようで、ものすごく心強い気分になりました。


法事の後は、みんなで墓参りをしました。
みんなで線香をあげて、みんなで饅頭を食べ、茶を飲みました。
それから、近所の寿司屋さんに場所を移し、法宴が行われました。
料理をつつき、酒を注ぎ合いながら、お互いに挨拶しました。
親戚のみんなと近況報告をしたり、世間話をしたり、とてもリラックスできました。
やはり、血縁というものは良いものです。親族たちと一緒にいて、わたしは祖母のこと、伯父のこと、そして遠い先祖たちのことを考えました。
わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。
遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちに他なりません。
というわけで、今回のコラムでは「血縁」の大切さを訴えました。
いくら趣味やネットで他人とつながろうとも、血縁こそは最強の「縁」です!


2010年12月17日 一条真也