フルベッキ写真

一条真也です。

今朝の「スポーツ報知」の最終面に不思議な写真が大きく掲載されていました。
坂本龍馬高杉晋作勝海舟西郷隆盛大久保利通岩倉具視伊藤博文・・・・・幕末維新の英雄が一同に会して撮影されたという、いわゆる「フルベッキ写真」です。


                  12月17日付「スポーツ報知」


「フルベッキ写真」とは、1859年(安政5年)に来日したオランダ人宣教師のフルベッキとその子どもを中心に撮影された写真です。親子の周囲には、50人近い幕末の英雄たちが写っているというのです。この写真は、坂本龍馬が縁台にもたれかかった有名な写真と同じ、長崎の上野彦馬のスタジオで撮影されています。
「フルベッキ写真」の細部および詳しい説明は、ここをクリックして下さい
これまでモノクロだった「フルベッキ写真」ですが、写真製版や印刷を手がけるサンメディア社が独自の技術でカラー化に成功したそうです。
NHK大河ドラマ龍馬伝」の人気で「幕末・維新ブーム」が巻き起こっているようなので、話題を呼ぶかもしれませんね。


                   最上級の歴史ミステリー


わたしも、以前から「フルベッキ写真」には関心を抱いていました。その存在を知ったのは、作家の加治将一氏の著書『幕末維新の暗号』(祥伝社)を読んだからです。
読み終わるのが惜しいほどにスリリングで知的好奇心を刺激する小説でした。
まさに最上級の歴史ミステリーという感想を持ちました。特に、加治氏は「龍馬=フリーメイソン説」を唱えていたので、そのへんの興味も加わり、本当に面白かったです。



しかし、わたしは基本的に「フルベッキ写真」はトリック写真だと思っています。
というよりも、古写真というものは、もともと、そういうものなのです。
イギリスの美術史家・芸術理論家であるジョン・ハーヴェィに『心霊写真』(松田和也訳、青土社)という名著があります。
ハーヴェィによれば、カメラという機械は「片足を科学の陣営に置きながら、もう一方の足は依然として宗教とオカルトの領域に置いて」います。
訳者の松田氏は、「それは常に時代の最先端の科学機械でありながら、一方では目に見えぬその暗箱の中で妖しげな練成作業を演ずる、錬金術師の窯の末裔のような不気味さを秘めている」と書いています。
もともと写真は、錬金術における科学と超自然の結合から生じました。
15世紀の錬金術師は、銀と海塩を混ぜ合わせて露光させると、その白っぽい色が黒く変化することを発見しました。
それから3世紀後、現在の写真の原型が誕生したのです。
それから間もなくして、心霊写真が生まれました。



ブログ『心霊写真』にも書きましたが、コナン・ドイルが騙された妖精写真あるいは心霊写真の類は、基本的に捏造です。というよりも心霊写真が誕生した当初、多くのプロの心霊写真師たちが生まれましたが、彼らは職業的に死者の姿を生者と並べて写真に浮かびあがらせ、多くの「愛する人を亡くした人」たちを慰めてきたのです。
心霊写真専門の写真館まで存在したといいます。高い技術を持つ心霊写真師たちは、いくらでも有名人を含めた死者を甦らせることができました。
初期の写真であるダゲレオタイプは、著名な人物の写った手札型写真として普及しましたが、それは絵画や版画から複製した肖像を、他の歴史上の人物と並べて座らせたものでした。それを本物のように見せるために、「二重プリント」「陰画合成」「肖像合成」などの方法が用いられたのです。
各地の観光地では土産物の幽霊写真が売られましたが、それらは多重露光と陰画の重ね焼きによって作られたものでした。
そういえば、くだんの「フルベッキ写真」も、日本各地の観光地の土産物屋で売られていました。わたしは3年ほど前に龍馬ゆかりの土佐の桂浜を訪れましたが、そこの土産物屋でもしっかり売られていました。



それにしても、わたしは、死者が写るという心霊写真を生み出した人間の「こころ」の不思議さを思わずにはいられません。
心霊写真とは、ハーヴェィがいうように「そこに写し出された生者と死者の悲嘆と哀惜、諦念と期待、憧憬と情愛の『物質化』に他ならない」のでしょう。
心霊主義と心霊写真は、厳密な論証と詐術の暴露によって一度は消え去る運命にありました。しかし、20世紀における2度の世界大戦で息を吹き返したのです。
この悲しい事実は、多くの遺体もない状態で愛する家族の葬儀をあげなければならなかった遺族の心情がそれらを強く求めたことを示しています。
当時の大衆にとって、心霊写真とは、グリーフケアのためのイコンだったのです。
そこに、亡き愛する人との再会への祈りを込めていたのです。
人間にとって葬儀が必要であるように、彼らにとっては心霊写真が必要だったのです。



そして、「フルベッキ写真」の正体とは、心霊写真なのです。
おそらく、この写真が完成したのは、そこに写っている英雄たちの多くはすでに亡くなっていたでしょう。死者の生前の写真が後から合成されたのではないでしょうか。
ですから、「フルベッキ写真」には幽霊たちが写っているのです。
そして、大切なことは、その写真は当時の大衆の願望から生まれたということです。
民衆は、偉大なる明治維新を成し遂げた英雄たちの集合写真、すなわち「オールスター写真」を欲しがったのです。維新後は複雑な仲になった薩長の良好な関係を願う気持ちも込められていたかもしれません。さらには、旧幕府側の人間と討幕派の人間を結びつけたいという思いもあったでしょう。
いずれにせよ、そこには民衆の無意識が反映されていたのではないでしょうか。
その意味で「フルベッキ写真」の背景には、ヨーロッパにおけるトリノの聖骸布ルルドの奇蹟画などにも通じる世界があります。いやはや、人間とは面白いものですね。


2010年12月17日 一条真也