希望のうた♪

一条真也です。

この国には何でもあるが、希望だけがない。
ブログ『希望のつくりかた』に書いたように、希望とは他人任せではなく、自分でつくるものです。まずは、希望について意識的にイメージしなければいけません。
そこで、希望をテーマにした歌を紹介したいと思います。


最初は、岸洋子の「希望」です。
若い人はあまり知らないかもしれませんね。
でも、中高年でこの歌を知らない人は少ないでしょう。
『希望のつくりかた』にも登場する有名な歌です。
岸洋子は1935年生まれのシャンソン歌手、カンツォーネ歌手です。
東京藝術大学大学院の声楽専攻科を卒業した本格的な歌手として知られていました。
もともとはオペラ歌手をめざしていましたが、膠原病のため断念しました。



絶望の病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、シャンソンに転向したそうです。「希望」という歌は、彼女の人生そのものだったのです。
膠原病から再起した彼女が、70年に歌った曲が「希望」です。
この歌で、第12回日本レコード大賞歌唱賞を受賞します。
翌71年には、「希望」が第43回選抜高校野球大会の入場行進曲に採用されました。
同世代の越路吹雪が“魅せる歌手”と呼ばれたのに対して、岸洋子は“聴かせる歌手”と呼ばれたそうです。「日本のエディット・ピアフ」は2人いたのですね。
越路吹雪は80年11月7日に56歳の若さで亡くなります。それからは岸洋子が日本のシャンソンを支えてきましたが、92年の秋頃に自宅玄関で転倒し骨折して入院します。
その後も、膠原病の後遺症等により闘病生活を送っていました。
きっと、病魔と闘っている間にも、自身の代表作である「希望」を口ずさんでいたことでしょう。しかし、同年12月11日に敗血症のため、岸洋子は57歳の若さで亡くなりました。
「日本のエディット・ピアフ」は2人とも50代で人生を卒業していきました。


さて、最近の歌で、「希望」をテーマにした名曲があります。
FUNKY MONKEY BABYSの「希望の唄」です。
地元・八王子で個々に音楽活動をしていたファンキー加藤モン吉、DJケミカルの3人が04年元旦に結成した2MC1DJのヒップホップ・ユニットですが、次から次に名曲を連発し、今や日本のヒップホップ・シーンを代表するグループとなりました。
彼らの曲は、ファーストシングル「そのまんま東へ」以来、すべての曲がとにかくポジティブです。前向きな人生の応援ソングを作り続けているところが素晴らしいですね。
「希望の唄」は、09年に発売されたサード・アルバム「ファンキーモンキーベイビーズ3」に収録されています。岸洋子の「希望」からじつに40年が経って、日本にまた新しい「希望」の唄が生まれたわけです。


そして、日本を代表する「希望のうた」といえば、何と言っても、この一曲。
そうです、サザンオールスターズの「希望の轍」です!
この年末、何が嬉しいって、桑田佳祐サンが紅白で復帰することです。
8月に食道がん手術をして以来、療養を続けていた桑田サンですが、明日の紅白歌合戦に都内から中継で出演することになりました。
明日はソロ曲を2曲歌うそうですが、本当はこの「希望の轍」を歌ってほしかったですね。
希望の轍」は、桑田サンが自ら監督した映画「稲村ジェーン」の挿入歌です。
もう聴くだけで、全身に希望が湧いてくる名曲です。
昨日のサザンオールスターズの公式HPに、出演の経緯や現在の心境などを綴った長文が掲載されています。そこには「一日も早く皆様の前でハシャいでみたがる節操なしの男です」とユーモアで全快がアピールされていました。
今から、紅白で彼の元気な姿を見るのが本当に楽しみです。
桑田サン、あなたの歌で、日本中の人々に希望を与えて下さい!


2010年12月30日 一条真也