人と人のつながり

一条真也です。

ここ数日、“かっこちゃん”こと山元加津子さんのことをブログで紹介してきました。
山元さんとはメールもたくさん交換し、お互いに「人と人のつながり」のある社会づくりをめざしていることを確認しました。いわば、わたしたちは同志です。
わたしは、もともとメールやブログというものをそれほど信用していません。
やはり人間のコミュニケーションは会うことが基本であり、いたずらにITのみに頼っていては心が悲鳴を上げてしまうと思っているからです。
今でもその考えは変わりませんが、山元さんとメール、メルマガ、ブログでお互いにエールを送り合っていると、ITによる「つながり」も確かにあるのだなと感じました。


             メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」より


その山元さんと12日に金沢でお会いすることになりました。
同日、北陸大学で講義&試験があるのですが、夜はマリエールオークパイン金沢において「サンレー北陸 賀詞交歓会」が開催されます。
その賀詞交歓会に山元さんが来て下さることになったのです。
「こころ」の同志である山元さんにお会いできるのが今からとても楽しみです。


                  「朝日新聞」1月9日朝刊


人と人との「つながり」といえば、今朝の新聞を読んで考えさせられました。
朝日新聞」1面トップの「豪雪 人情のお年玉」という記事です。
年末年始の大雪で国道9号では1000台の車が立ち往生しました。
多くの人々が、寒さをこらえ、トイレを我慢し、お腹を空かせていました。
元日の朝、日本海を望む鳥取県琴浦町で看板公房を営む祗園和康さん(79)の仕事場を「トントントン」とノックする音がしました。開けると、50歳くらいの女性が真っ青な顔をして、「すみませんが、トイレを貸してもらえませんか」と言いました。
路地の50メートルほど先の国道には、見たこともない長い車列がありました。
驚いた祗園さんは、「こらぁ大変だ」と、仕事場のトイレを開放することにしました。
それから、お得意の看板を作りました。1メートル四方ほどの白いベニヤ板に赤いテープで「トイレ→」と書いた看板を作って、国道脇と自宅前に立てかけました。


                  「朝日新聞」1月9日朝刊


そこに次々と人がやって来ました。
その中に、赤ちゃんを連れた若いお母さんもいました。小さなポットを持ってきて、ミルク用のお湯が欲しいと言いました。
祗園さんの長男である忠志さん(50)は、お湯と一緒に毛布を手渡したそうです。
女性は、「ありがとうございます」と何度も頭を下げて車に戻ったそうです。
わたしは、この記事を読んだとき、涙が出てきて仕方がありませんでした。
無縁社会」だの「孤族の国」だのと呼ばれるこの日本に、まだこんなに温かい人の心が残っていたことに感動したのです。
また、看板業を営む祗園さんがトイレの場所を示す看板を作って人々を救ったことにも猛烈に感動しました。自分の得意なことで社会に貢献する。これぞ正真正銘の職業奉仕です。わたしは、祗園さんという方は本当に素晴らしい看板屋さんだと思いました。
わが社も近くにあったらぜひ祗園さんに仕事を発注したいです。



祗園さんの他にも、職業奉仕をした方々がいました。
まんじゅう店を営む山本浩一さん(53)は、1200個のまんじゅうを自ら配りました。
また、パン屋さんを営む小谷裕之さん(35)は、お腹を空かせた子どもたちにパンを配ろうと思いましたが、パンが足りませんでした。
それで、小谷さんは母の美登里さん(59)に「ありったけの米を炊いてくれ」と頼みました。公民館から大きな釜を2つ借りて、小谷さんの自宅にあった1俵半の米を全部炊きました。近所の女性が集まって、みんなでおにぎりを作りました。
疲れを取ってもらうため、塩を多めにしたそうです。
おにぎりを配り歩くと、大雪にもかかわらず、みんな汗だくになりました。一度着替えてから、また配りました。配り終えたときには、もう夕方になっていたそうです。
「目の前に困っている人がいたから・・・。お互い様じゃけね」という美登里さんの言葉に、わたしはまた泣きました。



おにぎりといえば、わたしには忘れられない事件があります。
わたしの住む北九州市で、52歳の男性が生活保護を申請したにもかかわらず断られ、「おにぎりが食べたい」と書き残して亡くなったという悲しい事件です。
この男性は2007年7月10日に発見されました。
ここ数年は肝臓をわずらい、弟さんが亡くなってからは様子もおかしくなっていたそうですが、市の職員は「働くように」というアドバイスをするだけで、生活保護の申請を却下、男性の自宅では最後は水道も止められていたそうです。
当時、わたしの長女が中学3年生でしたが、テレビのニュースでこの事件を知り、大変なショックを受けていました。 長女は、事件を報道した新聞記事の前に自分で握ったおにぎりを置き、手を合わせて祈りを捧げていました。
彼女は、自分なりに亡くなった方の供養をしたようです。
「おにぎりが食べたい」という亡くなった男性の最後の言葉はあまりにも気の毒でやりきれませんが、わたしは「おにぎり」には何か意味が込められているように感じました。
なぜ、ラーメンやハンバーガーではなく、おにぎりだったのか。
おにぎりは、人間の手で直接握られる食べ物です。もしかすると、その男性は単なる食料だけではなく、人の手の温もりが欲しかったのかもしれません。
考えてみれば、災害の時も、葬儀の時も、何かあったら近所の人が集まってきて、おにぎりを作って、みんなに配る。おにぎりとは、助け合いのシンボルではないでしょうか。
また、おにぎりは「おむすび」とも呼ばれます。おにぎりによって、多くの人々、いわば隣人たちの「こころ」が結ばれていくことを昔の人たちは知っていたのかもしれません。


                  「朝日新聞」1月9日朝刊


琴浦町の感動的な記事とともに、「朝日新聞」には悲しい事件も報道されていました。
8日午前10時頃、大阪府豊中市曽根西町2丁目のマンションで、60歳ぐらいの女性2人が死亡していたというのです。この2人はマンションを所有する姉妹だったようですが、部屋の電気やガスも止められていました。
2人とも、栄養失調のようにやせ細っており、餓死や病死した可能性があるそうです。
じつは、今日の昼、わたしは小倉の蕎麦屋さんで昼食を取ったのですが、そこで働く中年の女性たちが、この事件について以下のような会話をしていました。
「この人たち、子どもはおらんかったんかねぇ?」
「子どもなんかおっても関係ないよ。いま、子どもは親のことなんか心配せんもん」
「マンションを持ってたそうだけど?」
「下手にそんなもの持ってたから、そんな死に方をしたんかねぇ。いくら財産があっても、命がなくては仕方ないねぇ」
「そうやねぇ。財産なんか無いほうがいいかもねぇ」
このような会話を聞きながら、わたしは複雑な思いでワカメ蕎麦を啜りました。



朝日新聞」は昨年末からずっと「孤族の国」というキャンペーンを張っています。
「人と人のつながり」は期待するだけでは実現しません。
山元加津子さんや琴浦町のみなさんのように自らの行動で実現するものです。
琴浦町といえば、今回の素晴らしい出来事について、地元の人は「琴浦はそんな土地柄です」と言っているそうです。「朝日」には次のように書かれていました。
日本海で難破した船が漂着するたびに、地元の人が総出で船員を助けた。今も、葬儀では隣近所が料理を準備し、祭りの出し物をみんなで集まって考える」
わたしは、これを読んで、間違いなく「葬儀」と「祭り」における協同作業というものが町の人々の心をつなげているのだと確信しました。
そして、まだまだ日本も捨てたものではないと思いました。
けっして、「無縁社会」でも「孤族の国」でもないとも思いました。
大阪の事件では心が痛みましたが、琴浦での出来事には心が洗われました。
「朝日」がこういう良いニュースをトップに持ってきたことは最大限に評価したいです。
こういった1つの記事から、新たな「人と人のつながり」が生まれることもあります。
今年こそ、「人と人のつながり」の大切さにみんなが気づくようになればいいと思います。
「隣人の時代」が始まったような気がしてなりません。
いつの日か、ぜひ、琴浦町に行ってみたいです。


2011年1月9日 一条真也