大相撲とは何か?

一条真也です。

東京に来ています。
昨日の東京は非常に寒かったのですが、今日は12度ぐらいで過ごしやすいです。
さて、大相撲の八百長問題が大変な騒ぎになっていますね。


                   「朝日新聞」2月3日朝刊


昨夕、日本相撲協会の放駒理事長(元・大関魁傑)の会見をテレビ中継で見たとき、「ああ、これは野球賭博問題どころの話ではないな」と思いましたが、今朝のマスコミの過熱報道は相撲界が非常事態に入ったことを示すものでした。
警視庁が大相撲の野球賭博事件で押収した力士らの携帯電話から八百長相撲を疑わせるメールが見つかりました。
2日午後、協会はメールをやり取りしていたとされる力士らから事情聴取しました。
十両力士の千代白鵬九重部屋)が、「八百長をやりました」と関与を認めましが、その他にも八百長を認める力士が続出しているようです。


ずいぶん長いこと角界八百長は噂されてきましたが、「いよいよ時が来たか」という印象です。もともと相撲に似た競技は、中央アジアで王の葬礼として始まりました。
日本では、『古事記』の中に、建御雷神と建御名方神が出雲の国をかけた力競べをして、建御雷神が勝ったという記述があります。
これが相撲の起源とされますが、「国ゆずり」のように重大な事件がこれによって決せられたということは、相撲が一種の神占いであったことを示しています。
時代が進むと相撲はいつしか闘いよりも、豊作を願い神に奉納する神事として、また余興として取られるようになりました。
『日本書記』によると、紀元前642年皇極天皇百済の使者をもてなすために宮廷の兵士を召集して相撲を取らせたとあります。日本における相撲はこうして始まりました。



それが、大相撲という興行になってから、相撲は大きく変化しました。
「興行」という日本語は「ショー」という意味です。
そう、大相撲とは最初からショーなのです。
だから、力道山以前の「プロレス」は「西洋相撲」と呼ばれていたのです。
作家の村松友視氏は1980年刊行の『私、プロレスの味方です』(情報センター出版局)で、大相撲の本質がプロレスとほとんど変わらないことをすでに明言しています。
わたしは、外国人力士を土俵に上げた瞬間から、相撲は「ショー」であり「エンターテインメント」であることをカミングアウトしたのではないかと思っています。
日本文化としての大相撲の存続に関しては、かつてテリー伊藤氏と二宮清純氏がテレビ番組で激しく意見を戦わせ、一触即発の状態になったことを記憶しています。


プロレスといえば、わたしが熱狂していたアントニオ猪木の全盛期から比べるとウソのように超マイナーなジャンルになってしまいました。
最近、藤波辰爾長州力の一番が話題を呼んだようですが、お互いに50代半ばを過ぎた者同士の試合が人気を呼ぶこと自体がジャンルとして終わっています。
また、プロレスを衰退させた張本人である総合格闘技も、PRIDEの消滅以降、かつての栄光はまったく見られません。昨日も、格闘技団体であるSRCの大会が中止され、活動そのものが休止するというニュースが流れていました。



わたしは、プロレスも、総合格闘技も、大相撲も、みんな大好きだったので、悲しい限りです。八百長が事実と明らかになれば、日本相撲協会の役員全員は即刻退陣すべきでしょう。そして、新しい協会の理事長として貴乃花光司氏が理事長に就任すればよいと思います。貴乃花こそは、「ガチンコ相撲」の代名詞であり、象徴的存在でした。



ブログ「いまだ木鶏たりえず」でも紹介しましたが、ある霊能者によれば、貴乃花双葉山の生まれ変わりだそうです。
ちなみに、双葉山は昭和43年に亡くなり、貴乃花は昭和47年に誕生しています。
そういえば、新興宗教との関わりなど、両者の共通点は多いですね。
それはともかく、貴乃花親方は角界の改革を真剣にめざしています。
彼が日本相撲協会の理事長になれば、大相撲も変わるような気がします。
わたしは、これから両国国技館内にある日本相撲協会に行こうと思います。
そこで、日本人の「こころ」を守る平成心学塾の塾長として貴乃花親方の理事長就任を直訴してくるつもりです。


2011年2月3日 一条真也