『知的余生の方法』

一条真也です。

『知的余生の方法』渡部昇一著(新潮新書)を読みました。
ブログ『論語活学』にも書いたように、渡部先生は現代日本の“賢人”です。
渡部先生の著作からは、いつも多くのことを学ばせていただいています。代表作といえば、やはり大ベストセラー『知的生活の方法』』(講談社現代新書)でしょう。
本書は、その名著『知的生活の方法』から、じつに34年目の著作です。


                老人になるのが楽しみになる本


わたしは、『知的生活の方法』を中学1年のときに読み、大変なショックを受けました。読書を中心とした知的生活を送ることこそが理想の人生であり、生涯を通じて少しでも多くの本を読み、できればいくつかの著書を上梓したいと強く願いました。
書斎にある『知的生活の方法』は、もう何十回も読んだためにボロボロになっています。
表紙も破れたので、セロテープで補修しています。
そう、この本は、わたしのバイブルなのです。
拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)は、恩書である『知的生活の方法』へのオマージュだと思っています。


                 わがバイブルと、そのオマージュ


そして、本書『知的余生の方法』も今後の人生のバイブルとなる名著でした。
帯には、「知的に生きることは、人生を何倍にも充実させる」と大きく書かれています。
日本人の平均寿命は男性が約79歳、女性が約86歳になりました。
終戦2年後の平均寿命は男女ともに50歳代だったといいますから、この60年ぐらいで日本人は約30年も長寿になったわけです。
多くの高齢者たちが、「老い」を持て余すのも当然かもしれませんね。
1976年に著者が『知的生活の方法』を出版したとき、日本はまだ高度経済成長期にありました。景気は上り調子で、社会は大変活気づいていたのです。
それから34年の時間が流れて、時代は大きく変化しました。景気は停滞し、社会にも活気がありません。そんな中、著者はあらためて現代版の『知的余生の方法』を著したわけです。著者は、「はじめに」で次のように述べています。
「IT機器や文明の利器は増えても、人間の思考や生きることの本質はそうそう変化してはいないと私は考えている。できるなら知的な生活を送りたい、という思いは人の根源的な欲求ではないだろうか」
知的な欲求こそ最も人間らしい特色であり、それが今こそ、これまで以上に求められているというのです。



第1章「年齢を重ねて学ぶことについて」には、著者の母親の話が出てきます。
著者の母は、著者の姉の子、つまり最初の孫を抱いたとき、「これで私もおばあさんになれた」と言って喜んだそうです。
著者は、老人になったことを本当に喜ぶためには2つの条件が必要だと述べます。
1つは、若い頃に苦労して働き、一家を支える責任を負ってきたという過去があること。
著者の母は、幼少の頃に両親を失い、ドラマ「おしん」以上の苦労をして4人の子を産み3人を育てました。収入が不安定だった著者の父が長男ということで、祖母や叔母たちの面倒まで見ていた母の願いは「いつか、お婆さんのような気楽な身分になりたい」ということでした。つまり、お婆さんになることは、著者の母にとってはこの世の煉獄からこの世の天国に移ることだったのです。



老人になったことを喜ぶための条件の2つめは、「家」の制度に信頼感が持てることです。著者は、次のように述べます。
「年をとることが喜びに連なるのは『家』の制度が揺るがない時である。孫が出来た時に、『これでこの家の血統を絶やさずに住んだ』という使命感達成の気分があるからであろう。人間の霊魂が不死であるか否かは信仰の問題である。
しかし先祖代々続いてきた血統(今はDNA)を子供に確かに渡しましたぞ、という実感は、自分の不死を信ずる根拠になるであろう。しかもその子供に子供が出来れば、この感覚は更に強まることになる。これが凡人の安心立命を得る最も簡単な方法であろう。孫たちに囲まれた老人たちは安心して息を引き取った」
この考えは、拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書いた内容とも通じており、まったく同感です。
なお、20世紀を代表する歴史哲学者で名著『西欧の没落』を書いたシュペングラーは、「西洋も勃興する時は子孫のことを考え、系図を考えた」と述べています。



わたしは、かねがね著者を「比喩の達人」であると思っています。
第4章「時間と財産について」には、その達人ぶりが存分に発揮されています。
若い頃の時間はゆっくり流れますが、年を重ねるとだんだん速く流れるようになります。これについて、著者は「老化というのは、実は、時間の流れを速く感じるようになること」として、さらに次のように述べます。
「比喩で言えば、時間は二十歳の時には時速二十キロで流れ、六十歳では時速六十キロで流れると感じられると考えればいいだろう。物理的な時間の流れそのものは、若い時とちっとも変わっていないのに」



また、第5章「読書法と英語力について」でも、「比喩の達人」ぶりが見られます。
これは、最近の著者の本にはよく出てくる内容ですが、iPadやキンドルなどの新しい電子書籍と従来の紙の書籍の違いについて次のように述べています。
「インターネットの情報と、読書から得る知識とは本質的に違うのではないだろうか。その違いを比喩で表現したら、食物とサプリメントの関係になるのではないだろうか。サプリメントは栄養を補うには実に便利な、また実に有効な方法である」
「しかし、身体も頭脳も、サプリメントだけでは成長にはつながらない。飯を炊き、味噌汁や漬物を作り、果物の皮をむいて食べる行為が身体を作っていくように、電子書籍だけでは本当の知的な生活を送れる脳は作れない。必要な情報のみなら間に合うが、実際にはきちんと書物を選び出し、カバーから本の扉を開けて、読んでいくという行為が、読書の本道であり、そのような読書を通じてインターネットで得られる情報を使いこなせる脳を持った人間ができあがるのである」



また、パスカルの『パンセ』に触れた部分が非常に秀逸です。ちょっと長い引用になりますが、著者は宗教と信仰と人間の関係について次のように述べています。
「非常に簡単に言ってしまえば、死後の世界や奇跡や神というものは、確率論的には、絶対に存在すると考えて生きたほうがいい、ということなのだと思う。彼はそのことを、信仰の立場ではなく、科学者としての立場で立証しようとしたのだと私は考えている。どういうことか。
例えば、死後の世界や神様などというものは存在しないと考えて生きたとする。そう思って死んでみて、本当になかったのなら、それでいい。何ら問題はない。また死後の世界や神様があると信じて生きていたが、死んだらなかったとしても、その場合は死んだ当人も何もわからないのだからそれでよい。
しかし死後の世界や神はわれわれ生きている人間には見えない。だから、あるかどうかは、それこそ死んでみなければわからない。だから、あるかもしれない。そして、本当に存在したとするとどうなるか。そんなものは存在しないと考えて、生前、好き放題なことをし、他人に迷惑をかけたり、悪いことばかりして生きてきて、いざ死んでみて、死後の世界や神様がいることに気づいても、もう遅い。ひょっとすると、神様に生前の悪事をこっぴどく罰せられるかもしれないし、それこそ閻魔大王みたいなのがいて、審判されるかもしれない。そうなったら大変なことになる。だから、今は全くわからないけれど、死後の世界も神も存在すると考えて生きたほうがいい。確率論から見てもそうなる、というのがパスカルの考えである」
わたしも確率論から考えても、発想法から考えても、死後の世界や神はあると信じたほうが絶対に幸福に生きることができると思います。この考えは、じつは、パスカル、そして著者から受け継いだ思想的DNAかもしれません。



さらに第6章「恋愛と人間関係について」では、著者は夫婦について次のような卓越した意見を述べています。
「夫婦というのは、簡単にいってしまえば、組み合わせだ。別の組み合わせだったとしたら、必ずしもうまくいったとは限らない。だから、結果が良ければ、いい夫婦なのである。いい女といい男が結婚しても、いい夫婦になるとは限らないのは、結婚が組み合わせで、しかも結果のみが問題だからだ。そしてその結果というのは、男の場合で言えば、どういう業績を残したのかが目安になる、というわけだ」
この発言を読んだだけでも、著者がいかに人生の達人であるかがよくおわかりいただけると思います。



そして最後に、現代の賢人のまなざしは「最期のとき」へと向かいます。
本書の「あとがき」で、著者は次のように理想の死に方について述べています。
「平和な聖代の逸民である私の理想としたいのは誰か。それはスイスの哲人とも賢人とも称されたカール・ヒルティの死に方である。その時七十六歳(今なら百歳以上に相当)のヒルティは、いつものように朝の著述をして、ジュネーヴ湖畔のいつもの小径を娘のエディットと散歩した。十月中旬のスイスの秋空は澄み切っていた。そして宿泊していたホテルに帰ると、いつもよりも疲れを感じたので、娘にミルクをあたためてもってくるように頼んでソファに横になった。まもなく娘が暖かいミルクを持ってきた時、彼は苦しんだ様子もなく息をひきとっていた。机の上には平和論の原稿があった。彼は平生こう言っていたという。
『人生の最後の一息まで精神的に活動し、神の完全なる道具として仕事中に死ぬことが、秩序正しい老年の生き方であり、人生の理想的な終結である』と。
彼はその平生自分が理想としていた死に方をした。お見事と尊敬している」
読書、結婚、老後・・・賢人の言葉は、どれも、わたしたちの行く先を照らしてくれます。
本書は、80歳を迎える著者が、人生で学んだことをまとめた集大成のような「幸福論」かもしれません。かつて、わたしは『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)という本を書きましたが、本書こそ「老いの豊かさ」を大いに語った本であると思いました。本書を読むと、老人になるのが楽しみにさえなってきます。


                 人は老いるほど豊かになる


2011年2月13日 一条真也