「ありがとう」の日

一条真也です。

3月9日になりました。
そうです、今日は「サンキュー」の日です。
ブログ「サンキュー!」からもう1年、早いですねぇ。


たった今、「かっこちゃん」こと山元加津子さんからメールが届きました。
そのメールには、「ありがとうございます」と3回も書かれていました。
わたしは35万部発行の「サンデー新聞」に「ハートフル・ブックス」という書評コラムを連載しているのですが、今回は山元さんの著書『満月をきれいと僕は言えるぞ』(三五館)を紹介させていただいたのです。そのお礼メールを頂戴したのです。
ちなみに前回は、大浦静子さんの『あなたにあえてよかった』(北國新聞社)を紹介させていただきましたが、やはり大浦さんから「ありがとう」メールが届きました。
人から「ありがとう」と言われるのは、やはり嬉しいですね。
なんだか、心にエネルギーを与えられて、不思議な力が湧いてくるような気がします。



そして自分も、いつも素直に「ありがとう」と人に言える人間でありたいと思います。
いつでも、誰にでも、感謝することができるということ。
それは、その人にとって、とても大きな「力」となります。
わたしは「月刊フューネラルビジネス」(総合ユニコム)に「経営十二力」というテーマで連載しているのですが、今日は新しい原稿を書きました。タイトルは、「感謝力」です。
数年前、「引き寄せの法則」というものが流行しました。「成功したい」とか「お金持ちになりたい」とか「異性にモテたい」といったような露骨な欲望をかなえる法則です。
しかし、いくら欲望を追求しても、人間は絶対に幸福にはなれません。なぜなら、欲望とは今の状態に満足していない「現状否定」であり、宇宙を呪うことに他ならないからです。
ならば、どうすれば良いのでしょうか。「現状肯定」して、さらには「感謝」の心を持てばよいのです。そうすれば、心は落ち着きます。
コップに半分入っている水を見て、「もう半分しかない」と思うのではなく、「まだ半分ある」と思うのです。さらには、そもそも水が与えられたこと自体に感謝するのです。



では、何に感謝すればよいのか。まずは、親に感謝すればよいのです。
人間とは「本能」が壊れた動物であり、その代わりに「自我」をつくりました。
その自我が、死の恐怖を生み、さまざまな欲望を生み、ある意味で人間にとっての「不幸」の原因をいろいろと生んできたわけです。
人間の自我は、まず自分を人間だと思うところからスタートしなければなりません。
そして、自分を産んだ親こそは、自分を人間だと思わせてくれる存在です。
なぜなら、親とは自分をこの世に出現させた根本原因としての創造主だからです。    
つまり、親に感謝することは、自分を人間であると確信することであり、自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになるのです。親に感謝するという意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのです。それさえ知ってしまえば、誰でも自然に感謝のサイクルの中に入っていけるのではないでしょうか。



この世に「当たり前」は何一つとしてありません。すべてが「有り難い」ことなのです。
たとえば商店の場合なら、今は苦しくても、お店がまがりなりにもここまでやってこれたのは、「来てくださらない」はずのお客様がわざわざ買いに来てくださり、「商品を卸してくださらない」はずの取引先が卸してくださり、「お金を貸してくださらない」はずの金融機関が融資してくださった「有り難い」お力添えのお陰があったからこそです。
その「ありがとう」の根本がわかれば、自ずからお客様のため、地域のために役立つよう一生懸命働こうという気持ちになってきます。
それがまたお客様や地域の人々の共感を呼び起こし、お店はますます繁盛へと好循環していくことになるのです。



そして、冠婚葬祭という営みこそ、感謝を「かたち」にしたものに他なりません。
最近では自分たちを主役と勘違いした新郎新婦が増えてきましたが(それとともに離婚も増えましたが)、結婚披露宴とはもともと両親や参列者に対して新郎新婦が感謝を表明する行事です。また葬儀は、故人に対して哀悼の意とともに感謝の意を表す儀式です。
ですから、結婚式の花嫁の手紙でも、葬儀の友人代表の弔辞でも、最後の一文は「ありがとうございました」という言葉が圧倒的に多いわけです。
通過儀礼もしかり。初宮参りにしろ、七五三にしろ、成人式にしろ、いずれも神様に「ありがとうございます」と感謝を述べる儀式です。
冠婚葬祭こそは、人々が「ありがとう」と言う最大の機会となっています。
つまり、冠婚葬祭業とは「ありがとう」産業なのですね。
冠婚葬祭業に従事する者にとって、一番必要なのは「感謝力」だと思います。
いや、冠婚葬祭業者に限りません。どんな仕事に就いていても、どんな人でも、感謝力を身につけた人ほど強い存在はないのです。


異色の哲学者として多くの指導者を教えた中村天風は、「ありがとう」という気持ちを持ち続けていれば、不平、不満、怒り、怖れ、悲しみは自然に消えてなくなると述べました。そして、「とにかく、まずはじめに感謝してしまえ」とも教えました。
わたしたちは、感謝すべき出来事があって、その後に感謝するのが普通です。
「感謝を先にしろ」といわれても、なかなかできるものではありません。でも、天風によれば、いま、ここに「生きている」というだけでも、大きな感謝の対象になるというのです。
ブログ『こころの手足 中村久子自伝』で紹介した中村久子という方は、両手両足を切断したにもかかわらず、「いのち、ありがとう」という言葉をいつも唱えていました。
わたしには、感謝しなければならないものは本当に多いです。
でも今日は、最初に「いのち、ありがとう」と言ってみたいと思います。


                  3月9日は「ありがとう」の日


2011年3月9日 一条真也