『隣人の時代』

一条真也です。

ついに、『隣人の時代』(三五館)の見本が出ました。
本当は今日から東京に出張するはずでしたが、急遽予定を変更して出張をキャンセルしました。見本は、東京から三五館の中野さんが送ってくれました。

               
                    有縁社会のつくり方


隣人の時代』の見本がようやく出て、わたしは感無量です。
サブタイトルには「有縁社会のつくり方」とあります。
帯には、「なんだ、答えはすぐそばにあった!」と大書され、「日本一“隣人祭り”を開催する 冠婚葬祭互助会社長が提案する解決策」とのコピーが記されています。
「すぐそば」というのは、すぐ近くの隣人という意味もあります。
また、「お世辞・お節介・お手伝い」といった日常の人間関係の智恵も示しています。
ブログ『無縁社会』で紹介した本は、夕暮れの大都会の写真を表紙にしています。
しかし本書は、朝日を浴びる地方都市の写真を表紙に使いました。
日本人なら、誰でもこの写真を見て、懐かしさと温かさを感じると思います。
この街は北海道の小樽だそうです。前方に海が見えます。
いま、海といえば、津波を連想してしまうのが哀しいです。
津波で壊滅した岩手県陸前高田市宮城県南三陸町や荒浜の街並みは、どんな光景だったのでしょうか。そこには、どんな人々が生活していたのでしょうか。
それを思うと、とても胸が痛みます。



もともとは「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生するために本書を書きました。
でも、今このタイミングで本書を上梓することは、とてつもなく大きな意味があると思います。それは言うまでもなく、東日本大震災が起こったからです。
現在でも死者や行方不明者の数が増える一方であり、まったく予断を許しません。
でも、この大地震によって、日本に「隣人の時代」が呼び込まれるかもしれません。
思えば、1995年の阪神淡路大震災のときに、日本に本格的なボランティアが根づきました。つまり、あのときが日本における「隣人の時代」の夜明けだったわけです。
今また、多くの方々が隣人の助けを必要としています。
無縁社会」や「孤族の国」では、困っている人を救えません。
各地で、人々が隣人愛を発揮しなければ、日本は存続していけないのです。



実際、東日本大震災の発生から、多くの人々が隣人愛を発揮しています。
ブログ「人と人とのつながり」で紹介した「豪雪人情」のような出来事が各地で相次いでいるのです。もちろん被災地で大変な状況に巻き込まれた人たちの悲惨なニュースも入ってきますが、一方では救援に尽力する人たちの様子も伝わってきています。
東北の避難所では、ボランティアの人々がおにぎりを握っています。
11日の東京では、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちに暖を取ってもらうために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店がありました。また、道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配った和菓子屋さんもありました。
今日から関東では停電が実施されますが、「自分たちも節電に努めよう」というチェーン・メールが日本中を回っています。
日本の各地で、誰かを助けようとして必死になっている人々がいるのです。
いわば、多くの人々が隣人愛を発揮しているのです。



隣人愛の発揮は、国内だけではありません。
先月の大地震で犠牲者多数を出したニュージーランドのキー首相は12日、日本の要請を受けて、総勢54人の災害救助隊を2陣に分けて日本へ派遣すると発表しました。
さらに、東日本大震災は各国でも話題になっています。
Twitterでは、海外から「#PrayforJapan(日本のために祈ろう)」というハッシュタグで被災者の無事を祈るツイートが世界中から寄せられているそうです。
そして、100近くの国々が被災国・日本の支援に名乗りをあげています。
まことに不謹慎な言い方かもしれませんが、わたしは今度の地震によって「無縁社会」への流れが変わる可能性があるように思います。
いろんな面で、わたしたちの社会は大きく変化しようとしています。



なぜ、世界中の人々は隣人愛を発揮するのでしょうか。
その答えは簡単です。それは、人類の本能だからです。
「隣人愛」は「相互扶助」につながります。「助け合い」ということです。
わが社は冠婚葬祭互助会ですが、互助会の「互助」とは「相互扶助」の略です。
よく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。
互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。
チャールズ・ダーウインは1859年に『種の起源』を発表して有名な自然選択理論を唱えましたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていませんでした。
進化論が広く知れわたった12年後の1871年、人間の進化を真正面から論じた『人間の由来』を発表します。
この本でダーウインは、道徳感情の萌芽が動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのです。そのような環境下では、お互いに助け合うほうが適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだというわけです。



このダーウインの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル・クロポトキンです。クロポトキンといえば、一般にはアナキストの革命家として知られています。しかし、ロシアでの革命家としての活動は1880年半ばで終わっています。その後、イギリスに亡命して当地で執筆し、1902年に発表したのが『相互扶助論』です。
ダーウインの進化論の影響を強く受けながらも、それの「適者生存の原則」や「不断の闘争と生存競争」をクロポトキンが批判し、生命が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本です。



この本は、トーマス・ハクスレーの随筆に刺激を受けて書かれたそうです。
ハクスレーは、自然は利己的な生物同士の非情な闘争の舞台であると論じていました。この理論は、マルサスホッブスマキアヴェリ、そして聖アウグスティヌスからギリシャソフィスト哲学者にまでさかのぼる古い伝統的な考え方の流れをくみます。その考え方とは、文化によって飼い慣らされなければ、人間の本性は基本的に利己的で個人主義的であるという見解です。
それに対して、クロポトキンは、プラトンやルソーらの思想の流れに沿う主張を展開しました。つまり、人間は高潔で博愛の精神を持ってこの世に生まれ落ちるが、社会によって堕落させられるという考え方です。
平たく言えば、ハクスレーは「性悪説」、クロポトキンは「性善説」ということになります。



『相互扶助論』の序文には、ゲーテのエピソードが出てきます。
博物学的天才として知られたゲーテは、相互扶助が進化の要素としてつとに重要なものであることを認めていました。
1827年のことですが、ある日、『ゲーテとの対話』の著者として知られるエッカーマンが、ゲーテを訪ねました。そして、エッカーマンが飼っていた2羽のミソサザイのヒナが逃げ出して、翌日、コマドリの巣の中でそのヒナと一緒に養われていたという話をしました。
ゲーテはこの事実に非常に感激して、彼の「神の愛はいたるところに行き渡っている」という汎神論的思想がそれによって確証されたものと思いました。
「もし縁もゆかりもない他者をこうして養うということが、自然界のどこにでも行なわれていて、その一般法則だということになれば、今まで解くことのできなかった多くの謎はたちどころに解けてしまう」とゲーテは言いました。
さらに翌日もそのことを語りながら、必ず「無尽蔵の宝庫が得られる」と言って、動物学者だったエッカーマンに熱心にこの問題についての研究をすすめたといいます。



クロポトキンによれば、きわめて長い進化の流れの中で、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきました。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駆けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではありません。愛よりは漠然としていますが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすというのです。
クロポトキンは、ハクスレーが強調する「生存競争」の概念は、人間社会はもちろんのこと、自然界においても自分の観察とは一致しないと述べています。
生きることは血生臭い乱闘ではないし、ハクスレーが彼の随筆に引用したホッブスの言葉のように「万人の万人に対する戦い」でもなく、競争よりもむしろ協力によって特徴づけられている。現に、最も繁栄している動物は、最も協力的な動物であるように思われる。もし各個体が他者と戦うことによって進化していくというなら、相互利益が得られるような形にデザインされることによっても進化していくはずである。以上のように、クロポトキンは考えました。



クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしませんでした。
彼は、協力こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのです。
「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べています。また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあいます。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じます。



古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いました。
近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。
人間がお互いに助け合うこと。困っている人がいたら救ってあげること。
これは、人間にとって、ごく当たり前の本能なのです。
わたしは、この時期に本書を上梓することに大きな使命感を感じています。
隣人の時代〜有縁社会のつくり方』は、3月18日の刊行予定です。
240ページのハードカバーで、定価は1500円(税別)です。
どうぞ、ご一読をお願いいたします。


2011年3月14日 一条真也