何が、要らない?

一条真也です。

新しい「ムーンサルトレター」がUPしました。第68信です。
今回は、鎌田東二先生の60回目の誕生日、すなわち還暦の日である20日にレターを書いてお送りしました。鎌田先生も20日のうちに返信を書かれたようです。


鎌田先生は、わたしの新刊である『隣人の時代』に触れて下さいました。
そして、次のような過分なお言葉を頂戴いたしました。
「Shinさんが新著『隣人の時代〜有縁社会のつくり方』(三五館)を出版して、昨日、その本が届きました。『無縁社会』に対して『有縁社会』を、『孤族の時代』に対して『隣人の時代』を、という、Shinさんの年来の主張が実に明確なメッセージで説かれていますね。『生きることはつながること』であり、『となりびと』との関係をむすんでいくことである、そして、『有縁社会』を作る方法として、隣人祭りなどの新しい互助行為の実践がさまざまな事例とともに紹介されていますが、最後の方で、『観光力』(美点凝視力)、『沖縄力』(「いちゃりばちょーでい=一度会ったら兄弟」、先祖と隣人を大切にする心と行為と生き方)に加えて、わたしが子供から学んだ『礼能力』(他者を大切に思える能力)のことも取り上げ紹介してくれています」



鎌田先生は当然ながら、このたびの大震災の甚大な被害に心を痛められています。
そして、自身のレターに次のように書かれています。
「『無縁社会』などと言っている場合ではない。この大震災と大津波によって亡くなった方々をどう供養し鎮魂し、そしてこれからの社会をどう築いていくのか、極めて激烈に問われているのだと感じました。そして今、緊急に必要なのは、人命救助、治療と健康管理、ライフラインの確保と救援物資の輸送・供給、最悪事態回避の適切な措置(特に原子力発電所の事故)、適切な情報伝達、励ましや支え合い、避難施設の仮設(テントや簡易ベッドや簡易風呂など)、そして同時に、復興施設の建設と生活再建、心のケアへの取り組みです。中長期的には、新しい社会づくり、21世紀の新らしい文明の創造、7世代先の子供たちのために残しできることを問いかつ実践していくことが必要となります」



最初に、「『無縁社会』などと言っている場合ではない」とあります。
これは、大震災発生以来のわたしの口癖でもあります。
はっきり言って、「無縁社会」では日本はこのまま滅亡します。
地震は、「無縁社会」や「孤族の国」を崩壊させました。
津波は、「人はひとりで死ぬ」や「葬式は、要らない」などの妄言を流し去りました。
もうすぐ死者の数は1万人を超えようとしています。
一昨日、東京で開催された業界の緊急会議に出席しました。
その会議で、岩手県で冠婚葬祭互助会を営んでいる同業の仲間と会いました。
彼は、「うちの社員が疲弊しています」と言っていました。
葬祭スタッフが、とても大量の葬儀をこなしきれないというのです。
体育館などに安置されている遺体を遺族の方自らがセレモニーホールに運んで来て、「頼むから、葬式をあげてやって下さい」と言われるのだそうです。
もちろん、そのホールの施行能力にも限りがありますから、社員の方も「申し訳ございません」とお断りしなければならないのだそうです。
そんな状況がいま現在も続いています。自身も被災者であり、家族の安否も確認できない社員が毎日そういう極限のことをやっているわけです。「あれでは、社員の心身がもたない」と、彼は目を赤くしながらつぶやきました。
わたしは、それを聞いて胸が張り裂けそうになりました。
そして、「そこまでして人は愛する者を弔おうとするものか」と、人間にとって葬儀がいかに必要なものかを再確認しました。
いま、「葬式は、要らない」などと思っている人がいるでしょうか?


                  「朝日新聞」3月24日朝刊

                  「毎日新聞」3月22日朝刊


鎌田先生も、現時点で何よりも必要なものとして、まず最初に「亡くなった方々の供養と鎮魂」であると述べられ、その後に「人命救助」「治療と健康管理」「ライフラインの確保と救援物資の輸送・供給」「最悪事態回避の適切な措置(特に原子力発電所の事故)」「適切な情報伝達」「励ましや支え合い」「避難施設の仮設(テントや簡易ベッドや簡易風呂など)」「復興施設の建設と生活再建」「心のケアへの取り組み」を挙げています。
わたしは、この大災害で日本国民は「何が人間にとって本当に必要か」ということがわかったような気がします。
電力・ガス・ガソリン・水・食料・薬・・・・・これらは、すべて必要です。
電話(携帯電話)やトイレットペーパー、紙オムツ、歯ブラシなどが不足しました。
ホテルやコンビニが都市のインフラであることも証明されました。
そして、「葬式は必要!」ということも明らかになったような気がします。普通の火葬ができず、土葬が行われている今、多くの人が葬儀の意味を痛感しました。
ある意味で、民主党政権ではなく国民自身が「事業仕分け」をしたのです。
「この事業は絶対に必要」「これは、今のところ不要」という仕分けをしたのです。


                  「朝日新聞」3月23日朝刊


今回、電力と並んで葬儀の必要性が見直されたように思えてなりません。
いわゆる電力産業というのは、基幹産業を代表するものです。
どこの地方でも、地元産業界のリーダーは電力会社です。
九州においても然り。九州電力のトップが九州財界のリーダーです。
電力業界のサムライたちは、自らの危険を顧みず、決死の覚悟で福島原発へと向かって行きました。わたしは、あのサムライたちに心からの敬意を捧げたいと思います。
そして、被災地で多数の御遺体と向き合い、多くの方々の「人間の尊厳」を守っている「おくりびと」たちにも心からの敬意を捧げたいと思います。現地に派遣されたエンバーマーの方々は、ひとりで1日100体もの御遺体をきれいにしてあげているそうです。
遺体は、かなりの損傷を受けています。棺よりも納体袋が必要なほどです。
「面影残るうちに送りたかった」という悲しい記事が新聞に出ていました。
エンバーマーの方々は、その傷んだ御遺体を1人づつ丁寧に顔を拭き、体を洗い、亡骸を人間らしくしてあげているのだそうです。彼らのことを思うだけで、涙が出てきます。
原発で放水作業をした消防隊員は英雄ですが、現地の「おくりびと」たちも立派でした。
わたしは、葬祭業は「こころの基幹産業」であると確信しています。
もう一度、言います。いま、誰が「葬式は、要らない」と言うのでしょうか?



それでは、何が「要らない」ものなのでしょうか?
東京はもちろん、九州でさえホテルの宴会がほとんどキャンセルされています。
各種コンサートは中止され、プロ野球の開幕も揺れています。
各地の観光地やレジャー施設には人の姿が見えません。
では、それらは日本人にとって「要らない」のでしょうか。
わたしは、そうは思いません。鎌田先生も次のように書かれています。
「生きるためには何よりもご飯やベッドやお風呂が必要だけど、からだだけでなくこころも和らげ開放していくためには、歌も笑いも芝居も必要だということ。そんな自由自在な創造的な活動の中から新しい有縁社会の芽や『楽しい世直し』を粘り強く持続的に形成していくことができるのだと思っています」
鎌田先生のレターは、次のように締めくくられていました。
「どんな悲劇的な事態の中でも、歌や笑い、ユーモアを忘れずに、ともに生きぬき、そして、死んでいきたい」
この一文には、非常に心を打たれました。まったく、同感です。
鎌田先生、これからも、ともに「楽しい世直し」の道を歩んでいきましょう! 
レターの最後には以下の署名がありました。やはり、凄い方です。
「2011年3月20日 還暦の日、比叡山山頂の聖地つつじヶ丘でバク転2回した大ばか者の鎌田東二より」


2011年3月24日 一条真也