葬儀と人間尊重

一条真也です。

東日本大震災の死者の数は、増加する一方です。
その中で、遺体の埋葬が追いついていないのが現状です。
施設の損壊や灯油不足などで火葬が進まず、土葬が行われています。


                  「読売新聞」4月4日朝刊


宮城県内の3市3町では、仮埋葬として1000人以上の遺体が土葬されました。
南三陸町では8日から、身元不明者の土葬を始めます。
岩手県でも大槌町が5日から約260体の土葬を始める予定です。
身元不明者を埋葬する場合、警察がDNAや歯型などのデータを保管しており、遺族の照会があれば身元は確認できるそうです。


                  「朝日新聞」4月4日朝刊


今回の大震災における遺体確認は困難を極めています。
津波によって遺体が流されたことも大きな原因の一つです。
阪神淡路大震災のときとは、まったく事情が違います。これまでの日本の災害や人災の歴史を見ても、史上最悪の埋葬環境と言えるかもしれません。
そんな劣悪な環境の中で、日夜、必死に頑張っておられるのが自衛隊の方々です。
今回の震災において、自衛隊は多くの遺体搬送を担っています。
統合任務部隊」として、最大で隊員200人が「おくりびと」となっているのです。
災害派遣では初めての任務とのことで、整列、敬礼、6人で棺を運ぶという手順を現場で決められたそうです本来は人命を守るはずの自衛隊員が遺体の前で整列し、丁寧に敬礼をする姿には多くの人が感銘を受けています。
そこには、亡くなった方に敬意を表するという「人間尊重」の姿があります。
そして、埋葬という行為がいかに「人間の尊厳」に直結しているかを痛感します。



わたしは、大震災の発生以来、日航機123便墜落事故のことを考えています。
1985年8月12日、群馬県御巣鷹山日航機123便が墜落、一瞬にして520人の生命が奪われました。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。
ブログ『沈まぬ太陽』にも紹介しましたが、山崎豊子著『沈まぬ太陽 御巣鷹山篇』(新潮社)には、次のような墜落現場の描写が出てきます。
「突然、眼前の風景が一変した。幅三十〜五十メートル、長さ三百メートルの帯状に、唐松が薙ぎ倒され、剥き出しになった山肌は、飛行機の残骸、手足が千切れた遺体、救命胴衣、縫いぐるみ、スーツケースなど、ありとあらゆるものが粉砕され、巨大なごみ捨て場の様相を呈していた。千切れた遺体には、既に蠅がたかっていた。」
また、地元の体育館には遺体が次々に運び込まれて22面のシートを埋めました。
山崎豊子は、次のように書いています。
「下半身のみの遺体や、頭が潰れ、脳味噌が飛び出した背広姿の遺体、全身打撲で持ち上げると、ぐにゃぐにゃになり、腹部から内臓が流れ出る遺体もあった。そんな中で、とりわけ憐れを誘ったのは、全身擦過傷だけの子供の遺体で、今にも起き上り、笑いかけてきそうな死顔であった。それだけに鑑識課員は『俺の息子と同じぐらいだ・・・・』と声を詰まらせ、カメラのシャッターを切る手を止めた。看護婦たちも涙を浮かべながら、男の子の体も洗い清め、髪の毛も、きれいに梳ってやった。」
「中ほどのシートで、騒めきが起った。そこでは、割れた大人の頭蓋の中から、子供の顎が出てきたのだった。そこで、柩の中の遺体は必ずしも一体ではなく、二体の場合もあり得ることが解り、新しい別の柩に入れて、『移柩遺体』として扱われることになった。」
沈まぬ太陽』という小説は基本的にフィクションですが、御巣鷹山の墜落事故についての記述はほぼ事実に沿っているようです。
それにしても、「移柩遺体」などという言葉、わたしも初めて知りました。
遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、この世の地獄でした。



ブログ『墜落遺体』『墜落現場』に紹介したように、当時、遺体の身元確認の責任者を務めた群馬・高崎署の元刑事官である飯塚訓氏の著書『墜落遺体』と『墜落現場 遺された人たち』(いずれも講談社)を読むと、その惨状の様子とともに、極限状態において、自衛隊員、警察官、医師、看護婦、葬儀社社員、ボランティアスタッフたちの「こころ」が一つに統合されていった経緯がよくわかります。
看護婦たちは、想像を絶するすさまじい遺体を前にして「これが人間であったのか」と思いながらも、黙々と清拭、縫合、包帯巻きといった作業を徹夜でやりました。
そして、腕1本、足1本、さらには指1本しかない遺体を元にして包帯で人型を作りました。その中身のほとんどは新聞紙や綿でした。
それでも、絶望の底にある遺族たちは、その人型に抱きすがりました。
亡き娘の人型を抱きしめたまま一夜を過ごした遺族もおられたそうです。
その人型が柩に入れられ、そのまま荼毘に付されました。
どうしても遺体を回収し、「普通の葬儀をあげてあげたかった」という遺族の方々の想いが伝わってくるエピソードです。



人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものなのです。
そして、葬儀をあげる遺族にはどうしても遺体が必要でした。
このたびの大震災では、これまでの災害にはなかった光景が見られました。
それは、遺体が発見されたとき、遺族が一同に「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べ、何度も深々と礼をしたことです。
従来の遺体発見時においては、遺族はただ泣き崩れることがほとんどでした。
しかし、この東日本大震災は、遺体を見つけてもらうことがどんなに有難いことかを遺族が思い知った初めての災害だったように思います。



儒教の影響もあって日本人は遺体や遺骨に固執するなどと言われますが、やはり亡骸を前にして哀悼の意を表したい、永遠のお別れをしたいというのは人間としての自然な人情ではないでしょうか。飛行機の墜落事故も、テロも、地震も、人間の人情にそった葬儀をあげさせてくれなかったのです。
さらに考えるなら、戦争状態においては、人間はまともな葬儀をあげることができません。先の太平洋戦争においても、南方戦線で戦死した兵士たち、神風特攻隊で消えていった少年兵たち、ひめゆり部隊の乙女たち、広島や長崎で被爆した多くの市民たち、戦後もシベリア抑留で囚われた人々・・・・彼らは、まったく遺族の人情にそった、遺体を前にしての「まともな葬儀」をあげてもらうことができなかったのです!
逆に言えば、まともな葬儀があげられるということは、今が平和だということなのです。
わたしはよく「結婚は最高の平和である」と語るのですが、葬儀というものも「平和」に深く関わった営みなのですね。



また、わたしは、つねづね、「死は最大の平等である」と語っています。
すべての死者は平等に弔われなければなりません。
価格が高いとか、祭壇の豪華さとか、そんなものはまったく関係ありません。
問題は金額ではなく、葬儀そのものをあげることなのです。葬儀とは、人間の「こころ」に関係するものであり、もともと金銭の問題ではないからです。
御巣鷹山日航機墜落事故東日本大震災の遺体埋葬を重ね合わせたとき、あらためて冠婚葬祭とは「人間尊重」の実践であるという思いを強くしました。
葬式は必要!』(双葉新書)に書いたことは間違っていなかったと確信しています。
東北の地で、1人でも多くの犠牲者の「人間の尊厳」が守られることを祈るばかりです。
最後に、大津波は「葬式は、要らない」という妄言を流し去ったように思います。


                 葬儀とは「人間の尊厳」を守ること
 

2011年4月4日 一条真也