シャーマニズムの未来

一条真也です。

NPO法人東京自由大学が13年の活動の総力を結集したイベントに参加しました。
シャーマニズムの未来〜見えないモノの声を聴くワザ」というシンポジウムです。
どしゃ降りの雨にもかかわらず、会場の「なかのZERO」ホールには500人以上の方々が続々と来場され、立ち見が出るほどの盛会となりました。


                   「シャーマニズムの未来」

                   多くの来場者がありました


今日のイベントは、以下のような内容でした。
第1部:The Butoh13:00〜13:45
   「モノ降りしトキ」
   大物主の神を祀る日本最古の聖地・三輪山の麓で育った麿赤兒の原体験を元に、鎮魂の思いとともに・・・
   舞踏:麿赤兒(舞踏家・大駱駝艦主宰)&大駱駝艦
   音楽:新実徳英(作曲家・桐朋学園大学院大学教授)
       鎌田東二

第2部:シンポジウム14:00〜17:30
基調講演:「シャーマニズムのちから」佐々木宏幹(駒澤大学名誉教授)
パネルディスカッション:パネリスト:小松和彦国際日本文化研究センター教授)
                   鶴岡真弓多摩美術大学教授)
                   松岡心平(東京大学教授)
                   岡野玲子(漫画家)
           コメンテーター:麿赤兒新実徳英大重潤一郎
                司会:鎌田東二


                   書籍販売コーナーは大盛況!


会場には書籍販売コーナーもありましたが、大盛況。
鎌田先生とわたしの共著である『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)も置かれていましたが、嬉しいことに結構売れていました。ムフフ(笑)・・・・・。
やはり、こういうイベントに来られる方は本好きの方が多いのですね。


               『異界が覗く市街図』と『日本異界絵巻』


今日、わたしは佐々木宏幹、小松和彦鎌田東二の三氏が勢揃いされるというので、本当に楽しみにしていました。わたしが若い頃に愛読していた『異界が覗く市街図』(青弓社)に登場されていた先生方だったからです。
この本は、わたしの大学のサークル(早稲田大学幻想文学会)の先輩である浅羽通明さんが企画されたイベントの記録でもありました。
その後、出版界には「異界」ブームが巻き起こり、小松先生や鎌田先生は『日本異界巡礼』(河出書房新社)という本も出されました。


                 『憑霊の人間学』と『ケルトと日本』


今日は、「縁の行者」である鎌田先生の豊富な人脈が総結集した日でもあります。
鎌田先生は、本来は基調講演をされるはずだった(体調不良のため欠席)佐々木宏幹先生と『憑霊の人間学』(青弓社)、今日のシンポジウムでもひときわ異彩を放っておられた鶴岡真弓先生と『ケルトと日本』(角川選書)という本も出されています。
いずれも大変な名著で、わたしも強い影響を受けました。
それにしても、こんな凄い先生方と共著を出してこられた鎌田先生とともに『満月交感』を出すことができて、まことに光栄です。鎌田先生に感謝です!



最初の麿赤兒さんの舞踏はインパクト大でした。
まさに「死と再生」のイメージで、未来の葬儀さえ連想しました。
それから、基調講演者である佐々木先生が出演されなかったのは残念でしたが、そのメッセージを鎌田先生が代読してくれました。
それによれば、シャーマニズムとは、「見えないもの」(諸精霊)の力を借り、操って、社会を平安し、幸せにすることであるそうです。
そして、それはすべての宗教者に当てはまることだと言われました。
さらに、「このたびの東日本大震災後こそ『見えないもの』の出番である」という言葉が非常に印象的でした。福島原発の作業者の詰所には神棚があるというのです。
科学技術の最先端にある人々が「見えないもの」に頼っているわけです。



シンポジウムでは、とにかく鶴岡先生、岡野さんの2人の女性の存在感が圧巻でした。
お二方とも完全に時間も空間も超越されており、まさにシャーマンそのものでした。
「つい1ヵ月ほど前に、わたくしは人生で最愛のものを亡くしました」という第一声から始まった鶴岡先生のお話は、死者へのまなざしに溢れていました。
また、岡野さんは「福島第一原発の御霊に祈りをささげた」 と発言され、仰天しました。
もともと原発とは、人間が生みだしたものであり、ずっとお世話になってきた存在です。
それなのに、多くの人々から嫌われ、強く憎まれ、そして、この暴走を自分で求められない悲しみ・・・・・。その原発の声が聞こえ、その原発のために祈ったというのです。
ちなみに、その原発の御霊は小さな男の子の姿をしていたそうです。
それを聞いて、わたしは鉄腕アトムのような男の子を連想しました。
それにしても、想像を絶する話です。鎌田先生は、「司会者とは制御不可能な時間と空間を操る者」との名言を吐かれ、会場は大きな笑いに包まれました。
ちなみに、わたしは「葬儀」とは制御不可能な時間と空間をコントロールする技術(ワザ)に他ならないと思います。わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。
誰かの愛する人が亡くなるということは、その人の住むこの世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、かならず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことなのではないでしょうか。



シンポジウムの最後には、わたしも意見を求められて発言しました。
わたしは、東日本大震災の大量の死者にどのように接していけばいいのか。
どのように彼らの霊魂を供養すればいいのか。
そんなことを聴衆のみなさんに問いかけました。
それから、本来の葬儀にはシャーマニズムの要素が不可欠であり、「葬式は、要らない」とまで言われた現在の葬儀はそれを取り戻す必要があると述べました。
その背景には、基調講演予定者だった佐々木宏幹先生の存在がありました。
佐々木先生は、被災地である宮城県気仙沼曹洞宗の寺院のご出身です。この地の葬儀には、僧侶と「オガミサン」と呼ばれる女性シャーマンが欠かせないそうです。僧侶もオガミサンもいなければ、葬儀は完成しないというのです。



日本の葬儀のほとんどは、仏式葬儀です。これは完全な仏教儀礼かというと、そうではありません。その中には、儒教の要素が多分に入り込んでいるのです。
儒教を開いた孔子の母はシャーマンだったとされています。雨乞いと葬儀を司る巫女だったというのですが、儒教の発生はシャーマニズムと密接に関わっていたわけです。
わたしは、「葬式は、要らない」とまで言われるようになった背景には、日本における仏式葬儀の形骸化があると思っています。
日本人で、「いまの葬儀は、本当に死者を弔う儀式になっているのか」という疑問を抱く人が増えてきたのではないでしょうか。それを打破する1つのヒントは、本来の葬儀が備えていたシャーマニズムを取り戻すことにあるように思います。
すなわち、現在の日本の葬儀は「シャーマニズム不足」である!
そんなことをお話し、わたしにとっての「シャーマニズムの未来」とは「葬儀の未来」であると語ったところ、会場から大きな拍手をいただき、感激しました。



今日は、鎌田先生と同じく「義兄弟」の造形美術家の近藤高広さんにもお会いできました。ブログ「義兄弟」で書いたように、天河でお会いして以来でした。
近藤さんは、なんと、福島第一原発を「聖地」にする計画を立てられているそうです!


                   「なかのZEROホール」前で


2011年4月23日 一条真也