究極の縁

一条真也です。

三五館という出版社は、本当に面白い出版社です。
ブログ「三五館の日」に書いたように、基本的には「こころの出版社」であると思っているのですが、その「こころ」の本にも色々なタイプがあります。
ブログ「サイババ死す」で、“霊能力”と“礼能力”の違いについて触れました。
大ベストセラー『理性のゆらぎ』が前者の代表だとしたら、わたしの新刊『隣人の時代』は後者の代表かもしれません。


            「月刊フューネラル・ビジネス」2011年5月号より


その『隣人の時代』の書評が「月刊フューネラルビジネス」の5月号に掲載されました。
同誌は、総合ユニコムが発行する冠婚葬祭業界におけるオピニオン・マガジンであり、ほとんどの互助会や葬儀社などが購読しています。
書評では、「昨今の日本が『無縁社会』といわれ、生涯非婚や孤独死などが社会問題化しているなか、筆者は冠婚葬祭互助会のもつ社会的役割はますます大きくなっているとし、さまざまな縁のなかでも、隣人とのつきあいである『地縁』こそが“究極の縁”であると指摘する」と書かれていました。




この“究極の縁”という言葉は、わたしにとってキーワードの一つだったので、ここに気づいていただいて嬉しかったです。いやあ、さすがは「月刊フューネラルビジネス」さん!
東日本大震災が起こるまで、「無縁社会」という言葉が流行していました。
この言葉は呪いの言葉と思いますが、日本社会が「無縁化」してきたことは事実です。
ぜひ、わたしたちの社会を「有縁社会」へと変えなければなりません。
人間には、家族や親族の「血縁」をはじめ、地域の縁である「地縁」、学校や同窓生の縁である「学縁」、職場の縁である「職縁」、趣味の縁である「好縁」、信仰やボランティアなどの縁である「道縁」といったさまざまな縁があります。



その中でも「地縁」こそは究極の縁ではないでしょうか。
なぜなら、ある人の血縁が絶えてしまうことは多々あります。かつての東京大空襲の直後なども、天涯孤独となった人々がたくさんいたそうです。
また、「学縁」「職縁」「好縁」「道縁」がない人というのも、じゅうぶん想定できます。
しかし、「地縁」がまったくない人というのは基本的に存在しません。なぜなら、人間は生きている限り、地上のどこかに住まなければいけないからです。地上に住んでいない人というのは、いわゆる「幽霊」だからです。
そして、どこかに住んでいれば、必ず隣人というものは存在するからです。それこそ、「地球最後の人類」にでもならない限りは・・・・・。



書評の最後には、「互助会が、その根本理念の『相互扶助』に通ずる隣人交流イベントを開くことで、社会に果たす役割は大きいとする」と書かれていました。
この書評を読まれた互助会の関係者のうち、1人でも多くの方に『隣人の時代』を読んでいただき、互助会の使命と可能性について考えていただくことを願っています。


2011年4月25日 一条真也