門司港レトロ

一条真也です。

ランチタイムに門司港レトロを散策しました。
かつての門司港は、アジアの玄関口として繁栄をきわめました。
なにしろ、横浜港・神戸港とともに「日本三大港」と呼ばれたほどです。


                  門司港レトロを散策しました


わたしは、今後なるべく北九州市内の観光地を視察したいと思っています。
というのも、わたしは(社)北九州観光協会の理事を務めているのです。
また、今年の11月24日〜25日に「全国商工会議所 関門観光振興大会」が開催されるのですが、そこで行われるパネルディスカッションにわたしも参加することになったからです。主催は日本商工会議所、北九州商工会議所、下関商工会議所です。
パネルディスカッションのテーマは「新しい時代の観光とは」です。
いわゆる、多様化するニーズと今後の観光を考える内容です。
全国の商工会議所の会員事業所や観光産業関係者などが多く参加するそうです。
東日本大震災以後の日本の観光を構想する、非常に重要なイベントになることが予想されますが、わたしもパネリストの1人としてベストを尽くしたいと思います。



というわけで、今日は門司港レトロ地区をわずかな時間ですが、歩き回ってみました。
もともと、このレトロ地区の開発には、サンレーグループ佐久間進会長が大きく関わっています。開発の主体は門司港レトロ倶楽部という組織でしたが、その初代会長を佐久間会長が務めたのです。任期は1995年(平成7年)12月〜2000年(平成12年)5月まででしたが、その間に門司港レトロ地区の主たる開発は完了しました。
なぜ佐久間会長が門司港レトロ倶楽部の初代会長になったかというと、ちょうど、1994年5月〜2000年5月まで(社)北九州観光協会の会長を務めていたためです。
開発直後の門司港は全国から大勢の観光客が訪れ、大変な賑わいでした。
それが最近は人の出も少なくなったようで、寂しい限りです。


                     門司港駅前で

                  人力車がやって来ました


最初に「わたせせいぞうギャラリー」が入っている旧大阪商船ビルを訪れた後、わたしは門司港駅に向かいました。映画やテレビの撮影などでも有名な門司港のシンボルです。
三脚の上にカメラを据えて、駅を撮影している老人がいました。
わたしも駅前の噴水をバックに写真を撮っていたら、ちょうど人力車がやって来ました。
写真といえば、ブログ「藤原新也さん」で紹介した写真家の藤原新也氏は門司港のご出身です。藤原さんの生家は旅館だそうですが、今度、わが社の社員の結婚式に参列するために松柏園ホテルに来られるそうです。


                 お腹が空いたと思ったら看板が!

                 これが門司港名物・焼カレーだ!


それから、お腹が空いたと思ったら、「門司港 焼カレー」の看板を発見しました。
はっと気づくと、街中いたるところに「焼カレー」の看板やノボリが見えます。
そう、焼カレーは門司港が発祥で、土地の名物料理なのです。
つい最近も、「全国カレー選手権」で門司港・焼カレーが優勝したと聞きました。
今日は「ドルチェ」という喫茶店に入って食べましたが、すごく美味しかったです!
ブログ「贅沢カレーできました!」にも書いたように、わたしはカレーには超うるさい人間です。今日の焼カレーは、そんなわたしを大満足させてくれました。
このブログは基本的に料理の写真は掲載しないのですが、特別にお見せします。


                  旧門司三井倶楽部の前で

                  庭に咲くバラが綺麗でした


ランチの後は、腹ごなしに旧門司三井倶楽部まで歩きました。
旧門司三井倶楽部は、けっこう多くの人で賑わっていました。
どうやら、修学旅行の中学生たちのようです。
庭園には、綺麗なバラの花がたくさん咲いていました。
そのバラを見て、わたしは再び、わたせせいぞうの描いたバラの絵を思い出しました。
また、なつかしい「ハートカクテル」vol.1「バラホテル」も連想しました。
あの名作「バラホテル」の舞台も、門司港のような気がします。
一日中、ずっとバラの香りを嗅いでいたかったのですが、そうもいきません。
13時半からは、サンレーの来年度採用者の最終選考があります。
わたしは門司港を後にして、小倉の松柏園ホテルまで車を走らせたのでした。


2011年5月19日 一条真也