『蛇鏡』

一条真也です。

『蛇鏡』坂東眞砂子著(文春文庫)を読みました。
死国』『狗神』に続いて、地方社会の隠微な風習を下敷きに描いたホラーです。
「ホラー」というよりは、「長編伝奇小説」と呼んだほうがいいかもしれません。


                 日本人のための長編伝奇小説


主人公の玲は、婚約者の広樹と共に故郷の奈良に帰ります。姉の綾の七回忌に出るためでした。綾は、かつて結婚を目前にして自らの命を絶ったのです。
玲は、姉が首を吊った蔵で、古ぼけた鏡を見つけます。
それは、蛇の浮き彫りのある珍しいものでした。
その日を境にして、玲の心の中では変化が起こります。
そして、蛇神をまつる「みぃさんの祭り」がやってきます。



奈良という一種の閉塞感のある地域に、太古から伝わる伝説と信仰。
著者が得意とする「土俗的な雰囲気」にあふれた小説です。
気になるのは、「血縁」や「地縁」の負の側面を強調しすぎている点です。
つまり、古き「有縁社会」が人間の心に与えるストレスを過剰に描いているのです。
本書には、先祖より受け継いできた神社の跡継ぎに苦悩する宮司が登場します。
彼の存在は、「血縁」や「地縁」の煩わしさのシンボルとなっていました。
もともと神社とは、「血縁」や「地縁」を強化する機能があると思います。
この作品では、神社が非日常的な恐怖の舞台として設定されています。
物語そのものも、『古事記』や『日本書記』などに代表される古代神話時代の日本が絡んできて、なかなか読み応えがありました。
一種の「神道ホラー」とでも呼ぶべきジャンルを開拓したのかもしれません。



本書の最後には、さまざまな「参考文献」が紹介されています。
そのほとんどが、わたしも愛読しているものばかりでした。
古事記』や『日本書記』はもちろん、たとえば、バーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』(大修館書店)など。また、蛇の信仰についての第一人者である吉野裕子の『日本人の死生観』(講談社現代新書)、『蛇』(法政大学出版局)、小島瓔禮の『蛇の宇宙誌』(東京美術)、森浩一編の『鏡』などです。
いずれも非常に資料的価値のある素晴らしい本ばかりです。
著者がこういった文献を読みながら、本書のような読み応えのある小説を書いているのかと思うと、なんだか親しみが湧いてきました。



それにしても、著者の筆力には相変わらず感心します。
登場人物の心理描写が抜群にうまく、読み出すと一気に感情移入してしまいます。
この『蛇鏡』でも、結婚を目前にして揺れ動く女性の心理が見事に描かれていました。
ある意味では、蛇鏡にまつわるエピソードよりも興味深かったです。
それから、著者の作品には一貫して日本人の「あの世」観が描かれています。
「この世」と「あの世」は別世界ではなく、「この世」の延長が「あの世」なのだという死生観が背景にあって、それが物語に厚みを与えているのではないでしょうか。
その死生観は日本人の深層心理とつながっています。
だから、著者のホラーを日本人が読むと一層怖いのです。
まさに、日本人のための恐怖作家が坂東眞砂子なのだと思います。


2011年6月2日 一条真也