長寿祝いと隣人祭り

一条真也です。

いま、羽田空港のラウンジです。
今朝の「西日本新聞」にわたしのインタビュー記事が出ていました。
「路地裏オトナ倶楽部」のコーナーで、「長寿祝い無くさないで」というタイトルです。


                 「西日本新聞」10月29日朝刊


世界一の高齢化国である日本には、長寿祝いというものがあります。
61歳の「還暦」、70歳の「古希」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」などですね。
沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝います。
長寿祝いにしろ生年祝いにしろ人が幸せに生きていく上でとても重要です。
神道は、「老い」というものを神に近づく状態としてとらえています。
神への最短距離にいる人間のことを「翁」と呼びます。
また7歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。
つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、それゆえに神に近づく「老い」は価値を持っているのです。
だから、高齢者はいつでも尊敬される存在であると言えます。



長寿祝いというセレモニーは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれます。それは大いなる「老い」の祝宴なのです。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「哲学とは、死の学びである」と言いましたが、わたしは「死の学び」である哲学の実践として2つの方法があると思います。
1つは、他人のお葬式に参列することです。
もう1つは、自分の長寿祝いを行うことです。
神に近づくことは死に近づくことであり、長寿祝いを重ねていくことによって、人は死を想い、死ぬ覚悟を固めていくことができます。もちろんそれは自殺とかいった問題とはまったく無縁で、あくまでポジティブな「死」の覚悟です。



人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として自分は必ず死ぬという運命を受け入れる覚悟を持つ。
また翁となった自分は、死後に神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあります。
そういった意味で、長寿祝いとは生前葬でもあります。
人間は必ず老い、必ず死にます。それは不幸なことではありません。
わたしは「老い」から「死」へ向かう人間を励ます生年祝いという心豊かな文化を、世界中に発信したいと思っています。



また、記事の最後には「隣人祭り」についても触れています。
隣人祭り」にわが社が関わっていることは広く知られてきました。
わたしの大学のゼミの恩師である孫田良平先生も、拙著『隣人の時代』(三五館)を読まれて、隣人祭りに関心を持たれたようです。
そして、孫田先生は「寿齢隣人祭り」というアイデアを提案して下さいました。
「寿齢」とは、初めて接する言葉です。辞典にはない言葉ですが、古稀・米寿・傘寿など祝い歳の総称のようです。 隣人祭りの主唱者は下からの盛り上がりで町内会・農協・商工会・同窓会連合・氏神講など自由に勝手に、日取りは差し当たっては国民の祭日である9月第三月曜日の「敬老の日」に行う。ただし法律では、「敬老の日」を「老人を敬い長寿を祝う日」と古風に定義しており、高齢者自らの主体性・自立性・自尊心を励ます意味が入っていません。
同じ日本国の祝日であっても、「子供の人格を重んじ、幸福をはかる」子供の日、「成人になった青年男女を祝い励ます」成人の日に比べると、高齢者は受身の扱いにすぎません。孫田先生は、主客を逆にした法改正が望ましいとされています。
さらに孫田先生は次のように述べています。
「寿齢隣人祭りの企ては、特に高齢者・壮年層に新しい『人の縁』をつくり出して、孤独死放置の悲劇を減らすことである。東日本大震災は職も地位も財産も一瞬に失わせても、そのはかなさを救うのは『人間お互い新規の縁結び』と教えてくれた。長生きを、意味ある寿と見直す機会にしたい」
わたしは恩師の提案に感銘を受け、大いに勇気づけられました。
これからも、長寿祝いと隣人祭りを大いに広め、さらにはイノベーションとしての「寿齢隣人祭り」に取り組んでみたいと思います。
では、これからスターフライヤーに乗って、北九州に帰ります。


2011年10月29日 一条真也