飯塚紫雲閣・地鎮祭

一条真也です。

今日は、「飯塚紫雲閣」の地鎮祭(新築工事起工式)が行われました。
福岡県の飯塚市といえば、かつて炭鉱で栄えた街として有名です。
また、麻生太郎元首相のお膝下でもありますね。


地鎮祭のようす



飯塚市で営業していた飯塚紫雲閣は長い間、地元の方々に愛されてきました。
しかし、かなり老朽化してきて、お客さまには不便をおかけしていました。
そこで、もっと立地の良い場所に新しく新築することになったのです。
設計管理はスズキ設計さん、施工は日本建設さんです。


わたしが斎鍬之儀を行いました

玉串奉奠は二礼二拍手一礼で



地鎮祭では、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場とします。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬(ひもろぎ)を立てて祭壇とします。神籬とは、大榊に御幣・木綿を付けた物です。これに神を呼ぶのです。
さらに祭壇には、酒・水・米・塩・野菜・魚といった「供え物」を供えます。
そして地鎮祭では、「鍬入れ之儀」が行われます。今日は佐久間進会長が「斎鎌之儀」を、わたしが「斎鍬之儀」を、スズキ設計の鈴木社長が「斎鋤之儀」を、日本建設福岡支店の出水支店長と下総所長が「杭打之儀」を行いました。
玉串奉奠では、佐久間会長に続いて、わたしも二礼二拍手一礼しました。
その後、曩祖八幡宮の宇都宮直祟神職の乾杯発声で神酒拝戴しました。


施主挨拶をしました



地鎮祭は、「安全祈願祭」「鎮地祭」「土祭り」「地祭り」「地祝い」などとも呼ばれます。
いつも思うのですが、紫雲閣で行われる葬儀は、いわゆる「仏式葬儀」と呼ばれるものがほとんどですが、これは純粋な仏教儀礼ではありません。
日本の「仏式葬儀」には儒教の要素が大きく入り込んでおり、いわば「仏・儒合同儀礼」ともいえるハイブリッド・セレモニーなのです。しかし、その舞台であるセレモニーホールを建設する際には、神道による「地鎮祭」が執り行われるというのが面白いですね。
やはり、仏教や儒教に関わる儀式の舞台を作る上でも、その土地の神様(氏神)に土地を使わせていただくことの許しを得なければならないのです。ここに、わたしは日本人の「こころ」が神道・仏教・儒教の三本柱によって支えられていることを痛感します。
みんなで神酒を頂いてから、最後はわたしが施主挨拶をしました。



今日は、スズキ設計の鈴木社長と色々お話ししました。鈴木社長は浄土真宗の寺院や天理教の神殿をはじめ、多くの宗教建築を手掛けられた方です。
設計の際に最も心掛けていることは、「いのち」を大事にすることだそうです。
たとえば、土地の地面の下には小さな生き物が生きている。
その上に建物を建てれば、生き物を殺してしまうことになる。
そこまで考えながら、建築設計をされているというのです。
また、「すべての建築は住宅である」とも言われていました。
建築家は、建築雑誌に紹介されたり、新奇性で賞を受けることを目的としてはならず、ひたすら建物を使う人の立場に立つべきでるというのです。
わたしは、このような考え方をする建築家にお会いしたのは初めてです。
斎鋤之儀の際の掛け声や神事での参拝の仕方も本格的で、佐久間会長も感心していました。わたしも、「この人は、ただ者ではないな」と思いました。


飯塚紫雲閣のイメージパース(6月オープン予定)



超高齢社会を生きる日本人は、「老い」と「死」を陽にとらえる精神が求められます。
そして、「希望」や「人生の目的」という白い雲をめざして坂を上っていった人は、いつか坂を下らなくてはなりません。坂を下りきった一番下では、高貴な色をした「坂の下の雲」としての紫雲が待っています。1日の本社総合朝礼で、わたしは「紫の雲をめざして坂おりる 老いと死さへも陽にとらえて」という歌を詠みました。日本人の「こころ」を守るためにも、これからも多くの“紫の雲”を生み出していきたいと考えています。最後に、事故など起こらずに無事に飯塚紫雲閣が完成することを願っています。
生まれ変わった飯塚紫雲閣は、今年6月にオープン予定です。


竣工が迫る隣人館に来ました

隣人館の内部を見回りました

ここから、介護イノベーションを起こします!



また、この飯塚の地では2月20日、いよいよ「隣人館」の竣工式が行われます。
24、25日が内覧会で、3月1日がオープンで入居が開始されます。
地鎮祭の終了後、現地を訪れましたが、ほぼ完成していました。
今日は消防署のチェックがありますが、中も想像以上に立派に仕上がっていました。
これは、高齢者介護施設イノベーションです。
そして、「人は老いるほど豊かになる」という思想の具現化です。
老い」と「死」を陽にとらえる日本人の精神革命が、この飯塚からスタートします!


2012年2月10日 一条真也