人生の卒業式入門

一条真也です。

今日は、朝から門司港に行きました。
10時半から講演をすることになっているのです。
会場は、門司港レトロの中心部にある「MINATO HOUSE」でした。


門司港レトロの「MINATO HOUSE」で講演しました



今日の講演はボランティア団体「一期の会」の主催です。
もともとは、一期会の会長である八坂和子氏のお声がけによるものです。
八坂氏は、旧門司市の名物市長として知られた柳田桃太郎氏のお嬢さんです。
ブログ下書き「大僧正のお別れ会」で紹介したように、世界平和パゴダのウ・ケミンダ大僧正を看取られ、その「お別れの会」では実行委員長を務められました。
最後の八坂氏の謝辞には、とても感動したことを憶えています。


多くの方々がお越しになられました



会場には、多くの方々がお越しになられました。高齢者の方が多かったですが、三木恭一氏という94歳になられる方もおられました。三木氏は、宗教法人・世界平和パゴダの責任役員で理事会副会長を務めておられます。
また、門司を代表する名門企業である吉田時計店の吉田清春社長、公益財団法人・出光佐三記念美術館の館長代理である佐々邦昭氏、さらには衆議院議員山本幸三氏の奥様である山本寛子氏など、じつに多くの地元を代表する方々にご参集いただいて、感激しました。また、みなさん、熱心に聴いて下さいました。


テーマは「人生の卒業式入門」でした



今日のテーマは、ずばり「人生の卒業式入門」です。
わたしは、「死」を「人生の卒業」、「葬儀」を「人生の卒業式」と呼んでいます。
まず、「死」についてのわたしの考え方をお話しました。
政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学・・・・・人類が生み、育んできた偉大な営みは、「人間を幸福にするため」という一点に集約されます。
さらにはその人間の幸福について考え抜くと、その根底には「死」が厳然として存在するのです。その「死」を、日本では「不幸があった」と表現することが、わたしには納得がゆきません。人間は、みな必ず死にます。
「死」が不幸なら、人生は最初から負け戦なのでしょうか。
わたしは、「死」を絶対に「不幸」とは呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来必ず「不幸」になるからです。
死は決して不幸な出来事ではないのです。


「人間の幸せ」についても話しました



葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化である。
いや、葬式は人類の存在基盤だと言ってもよい。
昔、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」というポスターの標語があったが、わたしは、「葬式やめますか、そして人類やめますか」と言いたい。
日本人が本当に葬式をやらなくなったら、人類社会からドロップアウトしてしまう。
あらゆる生命体は必ず死ぬ。もちろん人間も必ず死ぬ。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことだ。でも決して不幸なことではない。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければならない。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえるのである。
葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになる。
葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思う。以上のようなことを話しました。


仰げば尊し」について



卒業式というものは、本当に深い感動を与えてくれます。 それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからだと思います。 わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。 七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。 そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのですね。
結婚式というものも、やはり卒業式だと思います。
なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからです。
そして、葬儀こそは「人生の卒業式」です。 最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。
ブログ「小学校の卒業式」にも書きましたが、「仰げば尊し」という歌にも触れました。
卒業生たちが「仰げば尊し」を合唱するとき、会場の感動は最高潮に達します。
もともと、この歌は、わたしの大好きな歌です。
この名曲は、師弟の縁・学友との縁を歌った「有縁社会」の歌だと思います。
葬儀の場面において「今こそ別れめ いざ さらば」と堂々と言えたら素敵だと言いましたら、会場のみなさんも賛同して下さいました。


「月面葬」をプレゼンしました



さらに、「さまざまな送られ方」として、新時代の葬儀についても話しました。
日本の葬儀は、実にその9割以上を仏式葬儀によって占められています。
ところが最近になって、仏式葬儀を旧態依然の形式ととらえ、もっと自由な発想で故人を送りたいという人々が増えています。今のところは従来の告別式が改革の対象になって、「お別れ会」などが定着しつつありますが、やがて通夜や葬儀式にも目が向けられ、故人の「自己表現」や「自己実現」が図られていくに違いありません。
新しい葬儀のスタイルとしては、まず自然葬を思い浮かべる人が多いでしょう。
これは、火葬後の遺灰を海や山にまくという散骨のことです。
海に遺灰をまく方法は、一般に「海洋葬」と呼ばれています。
また、「死んだら木になって森をつくろう」という考えの「樹木葬」も最近よく耳にします。
さまざまな葬儀スタイルを紹介した後で、わが社が構想している「月面葬」についてもプレゼンさせていただきました。みなさん、たいへん興味深い様子で聴いて下さいました。


ほとんどの方が、わが社の会員様でした



最後に、『思い出ノート 』(現代書林)の話をし、その意味や使い方についてお話したところ、大きな反響がありました。今日は会場に数十冊の『思い出ノート 』を用意して販売させていただきましたが、すべて売り切れました。
講演が終了すると、盛大な拍手を頂戴し、感激しました。もっと感激したのは、今日来ていただいた方々のほとんどがサンレーの互助会会員様だったことです。
ブログ「門司港紫雲閣・地鎮祭」で紹介したホールが7月にオープン予定ですが、みなさん楽しみにしていると言って下さいました。本当に、ありがたいことです。


ランチの後で、みんなで手をつなぎました



講演終了後は、お隣りにある「門司港地ビール工房」のレストランに場所を移して、「一期会」の主要メンバーの方々とランチをしました。
門司港の素晴らしい景色を眺めながら、「合馬のタケノコづくし」のイタリアン・ランチをいただきました。タケノコのサラダにはじまり、天ぷら、刺身、パスタ、ピッツア、そして門司港名物の焼カレーと、すべて美味でした。本当は、ビールも飲みたかった!
うららかな春の日に、春の海を眺めながら、春の味を堪能しました。
みなさんとの会話もはずみ、とても有意義で楽しい時間を過ごさせていただきました。ちょうど、わが社の「和のこえ」の話題が出ました。山本幸三議員が、わが社を訪れたとき、「和のこえ」に非常に感激されたそうです。
それで、みなさんで手をつないで「和のこえ」をやって記念撮影しました。
帰りには、地ビールのお土産まで頂戴して、たいへん恐縮しました。
八坂和子氏をはじめ、一期会のみなさまに心より御礼を申し上げます。


2012年4月19日 一条真也