「菊次郎とさき」

一条真也です。

博多座で、ビートたけし原作の舞台「菊次郎とさき」を観ました。
ダンディ・ミドル」こと大迫益男さんからチケットを頂戴したのです。
じつに久々の観劇でしたが、その内容に感激しました。
現代日本人が忘れがちな「家族」と「隣人」の大切さを描いていたからです。


博多座ホームページによれば、この舞台の「みどころ」は以下のようになっています。
「4月の博多座は、ビートたけし原作の『菊次郎とさき』の舞台版です。
この作品は、2001年に新春スペシャルドラマとして放送され、その後、2003年に連続ドラマ化されました。2005年には第2シリーズ、2007年に第3シリーズが放送され、大変な人気を博しました。
まるで落語の登場人物のように破天荒な生き様の菊次郎と、教育熱心なさきの夫婦を中心に、少年時代の北野大ビートたけし兄弟の実家である北野家と、その周囲の下町の人々をコミカルに描いていきます。
腕のいいペンキ屋(塗装業)ですが、気が小さく酒を飲んでは暴れる、しかし、どこか憎めない性格の父・菊次郎をテレビドラマから引き続き陣内孝則が演じます。また、甲斐性なしの夫とは違い、働き者で「貧乏の輪廻を打破するには学問しかない」が持論の、異常なまでに教育熱心な母・さきを、こちらもドラマから引き続いて室井滋が演じます。その他、風間トオル、梨本謙次郎、濱田マリつまみ枝豆安原義人音無美紀子と豪華共演者が華を添えます。
今の日本人が忘れかけた温かい“家族の絆”、そして、“天才ビートたけし”を生み出した父と母の強烈な生き方、強烈な個性のぶつかり合いを、笑いと涙いっぱいのエピソードを通して皆様にご覧いただきます。どうぞお楽しみに!!」



また、同じく博多座ホームページによれば、「あらすじ」は以下のようになっています。
「大正12年、菊次郎(陣内孝則)とさき(室井滋)は所帯をもった。さきにとっては義理の母にあたる北野うし(音無美紀子)の強い勧めによる結婚だった。しかしその結婚生活は前途多難。漆職人の菊次郎は、ふだんは借りてきた猫のようにおとなしいが、酒を飲むと豹変し、大暴れする。おまけに金遣いも荒く、さきが頑張って繁盛させてきた日暮里の洋品店もとうとう人手に渡る羽目に・・・・・。一家は夜逃げ同然に足立区梅島へ移り住むことになる。新天地で再出発のつもりだったが、菊次郎は仕事にあぶれ、なんとかさきが内職で一家を支える貧しい暮らしが続く。それでもさきはへこたれない。やがて菊次郎はペンキ職人に転向、ようやく仕事にもありつけるようになっていくが、日本は暗い時代へ突入する。日中戦争、やがては太平洋戦争へと。
時代の荒波に飲み込まれ、赤貧洗うが如しの北野家だったが、子宝には恵まれた。総領息子の重一(川口真五)、長女の安子(渋谷飛鳥)、次男の大(三澤康平)、そして三男武(大嶋康太/中島来星)。一家7人は終戦後の貧しい時代を逞しく生き抜いていく。やがて日本は高度成長期へ――。
迎えた昭和32年、時代の波に乗り損なったか、北野家は相も変わらず貧乏だった。『貧乏は輪廻する』という独自の哲学のもと、貧乏から脱するには学問しかないと信じ、貧しい暮らしの中でも子供の教育には金を惜しまないさきは、遊ぶことばかり一生懸命の小学5年生になった武をどやしつけ、勉強させようと躍起になる。だが、素直に母の言いつけに従った兄姉とちがい、武はそんなさきに猛烈に反抗する。さすがのさきも手を焼く。一方、『職人の倅に学問なんか要らねえ』と菊次郎は、子供の教育にばかり熱中して二言目には『父ちゃんみたいになりたくないだろ』と子供達をどやしつけるさきが気に入らず、酒を飲んで大暴れする毎日だった・・・・・」



この舞台を観て、まず思ったのは「陣内はメチャクチャ芝居がうまいなあ!」でした。
もともと、わたしは学生時代から陣内孝則が好きで、博多のロッカーズ時代も良かったですが、役者に転向してから大ファンになりました。
それも「君の瞳をタイホする!」などのトレンディ・ドラマではなくて、「ちょうちん」とか「疵」といったヤクザ映画の主役を演じる姿にシビレました。
わたしが東急エージェンシー時代に、「疵」の製作打ち合わせに来社したときに見かけたことがあるのですが、それはもう信じられないほどカッコ良かったです。
今では年齢を重ねて、往年のギラギラした輝きはありませんが、そのかわりにじつに良い役者さんになりました。やはり、陣内孝則は今でもわたしの憧れの男性です。
それに比べて、風間トオルはずいぶん腹が出て、中年の哀愁が漂っていましたね。



ミュージカル仕立ての舞台で、最後には出演者全員で、「菊次郎とさき、おかしな夫婦♪」と歌い、それから「菊次郎とさき、愉快な夫婦♪」とも歌います。
そう、菊次郎とさきは、おかしくて愉快な夫婦、つまりお似合いの夫婦だったのです。
そのお似合いの夫婦が誕生したのは、菊次郎のおばであり、さきの義母であった北野うしが強引に縁組したからです。2人とも最初は戸惑いながらも、だんだん本物の夫婦になっていきます。これを観て、わたしは今風の恋愛結婚だけでなく、このような昔風の縁組というのも大きな意味があったのだと再確認しました。
同じような場面は、NHKドラマ「ゲゲゲの女房」にもあったように思います。
水木しげる夫妻もまた、親によって決められた縁組でしたが、結局は幸せになりました。
自由な恋愛結婚が増加するにつれ、日本人の離婚率も上昇する一方です。
わたしたちは、この意味をもう一度考えてみる必要があるでしょう。



ブログ『相性』で、夫婦にとって最も大事なものは相性であると書きましたが、結局、菊次郎とさきの夫婦は相性が良かったのでしょう。
そして、相性は夫婦だけでなく、人間関係、さらには会社同士の間でも必要です。
ブログ「新しい仲間たち」に書いたように、20日の夜に北九積善社からサンレーに入社した方々の歓迎懇親会を開催しました。
そのとき、元北九積善社のベテラン社員の方から、こんな話を聞きました。その人は、越智英晶社長に、「社長、なんでサンレーさんだったんですか?」と聞いたそうです。
わが社の他にも、北九州には同業他社も多いし、大手互助会も他にある。
その中で、なぜサンレーを選んだのかと質問したというのです。
その問いに対する越智社長の答えはひとこと、「相性やね」だったそうです。
それを聞いて、わたしは本当に嬉しかったですよ!
越智社長、素敵なメッセージをありがとうございました。



話を「菊次郎とさき」に戻しますが、この芝居に登場する北野一家は貧乏でした。
東京下町の長屋に住み、喧嘩しながらも、家族が助け合って暮らしていました。
何気ない日常の中に、家族愛や兄弟愛がありました。
そして、そこには近所の人々との隣人愛もありました。
北野一家を取り巻く人々の、なんと大らかで、優しいことか!
この観劇チケットを下さった大迫さんは、(株)ゼンリンプリンテックスの会長さんです。
今は亡き大迫さんのお父様は、住宅地図最大手のゼンリン創業者でした。
ゼンリンとは、もともと「善隣」すなわち「善き隣人」という意味だそうです。
この「菊次郎とさき」は、まさに善き隣人たちを生き生きと描いた「善隣劇」でした。
大迫会長、素晴らしい観劇の機会を与えていただいて、ありがとうございました。


2012年4月22日 一条真也