「マイマイ新子と千年の魔法」

一条真也です。

東京から北九州へ戻ってきました。
昨夜は、ホテルの部屋でDVD「マイマイ新子と千年の魔法」を観ました。
ブログ「癒しのコトリンゴ♪」でも紹介した2009年製作の日本のアニメ映画です。
いやあ、アニメを観て久々に泣きました。素晴らしい名作です。


マイマイ新子と千年の魔法」のDVD



原作は、郄樹のぶ子氏の自伝小説『マイマイ新子』です。
わたしはまだ読んでいませんが、日本版『赤毛のアン』と呼ばれる名作だとか。
郄木氏は、2009年に紫綬褒章を受章した芥川賞作家です。
自らの少女時代を小説の中で見事に再現しましたが、アニメ化によって、舞台となった昭和30年の山口県防府の風景が圧倒的に美しい映像で描かれました。
豊かな自然の中、空想好きで多感な少女・新子は、日々を真剣に送っています。
時に辛い思いをしながらも、彼女は仲間たちとゆっくり成長していくのでした。


郄樹のぶ子氏による原作本



「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイトの作品紹介のページにある「ストーリー」には以下のように書かれています。
「想像の翼をぐんぐん広げ、千年前の町の姿やそこに生きる幼い姫まで思い描く。
そんな少女・新子が、転校生・貴伊子や仲間とともに過ごす、楽しくも切ない季節。
ゆったりとした自然に囲まれた山口県防府市国衙。平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。
この物語の主人公は、この町の旧家に住み、毎日を明るく楽しく過ごす小学3年生の少女・新子だ。おでこにマイマイ(つむじ)を持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の様子に、いつも想いを馳せている。
彼女は“想う力(ちから)”を存分に羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます女の子であり、だからこそ平安時代の小さなお姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の光景のようにいきいきと思い起こすことができるのだ。
そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。
都会とは大きく異なる田舎の生活になかなかなじめない貴伊子だが、好奇心旺盛な新子は興味を抱き、お互いの家を行き来するうち、いつしかふたりは仲良くなっていく。
一緒に遊ぶようになった新子と貴伊子は同級生のシゲルや、タツヨシたちとともに、夢中になってダム池を作る。そして、そこにやってきた赤い金魚に、大好きな先生と同じ「ひづる」と名前をつけ、大切に可愛がるようになる。やがて新子たちは、学校が終わるとこのダム池に集まって過ごすようになっていた。しかし、ふとしたことから『ひづる』が死んでしまい、それを機に仲間たちとの絆も揺らぎ始めていく。
そんななか、新子は『ひづる』そっくりの金魚を川で見かけたという話を聞き、貴伊子や仲間たちと金魚探しを始めるのだった。
そして、みんなの心が再びひとつになりかけたその時・・・・・」


この映画は、09年に片渕須直監督によって作られ、文部省特選作品となりました。
一見すると、誰でもスタジオジブリの作品風だと思うのではないでしょうか。
じつは、スタジオジブリ魔女の宅急便」のスタッフが参加しています。
そう、片岡須直監督は、「魔女の宅配便」で監督補を務めていたのです。わたしは、観終わって、「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」に似ていると思いましたけれども。
片渕監督は、TVシリーズ「名犬ラッシー」(96)では監督として勇気と感動のシリーズをまとめあげ、劇場用映画「アリーテ姫」(01)などを監督も務めた実力派です。
それでも「マイマイ新子と千年の魔法」は無名な映画で、配給宣伝もほとんど行われませんでした。また、各種メディアもその存在を伝えることはありませんでした。



無名なまま上映公開が始まり、当初の集客は低迷しましたが、有志がネット署名など集めるようになりました。その結果、インターネットなどを通じて徐々に評価が広まり、結果的には1年以上のロングランとなりました。山口県防府市が舞台で、地元との良好な関係が話題となったそうですが、わたしはまったく知りませんでした。
東京の「ラピュタ阿佐ヶ谷」で上演されたときは、朝から多くの人が並び、補助席まで埋まる熱狂ぶりでした。この「ラピュタ阿佐ヶ谷」は各国の名作アニメを上映する映画館として知られ、わたしも何度か訪れたことがあります。
たしか、「霧につつまれたハリネズミ」などで知られるロシアの映像詩人ユーリ・ノルテンシュタインの映画祭にも行きました。



マイマイ新子と千年の魔法」は、また海外映画祭でも絶賛されました。
「第20回 シネ・ジュニア映画祭」(仏)観客賞、「第29回 ブリュッセル・アニメーション映画祭」大人向け最優秀観客賞、BETV作品賞を受賞したほか、ロカルノ映画祭、ハワイ国際映画祭、ロンドン子供映画祭などにおいて高い評価を得ました。
この作品には、子どもたちの生き生きとした姿が描かれています。
そして、そこには国境を越えた普遍的なメッセージがあります。
この映画には、夢あふれる子ども世界だけでなく、汚い大人の世界も出てきます。
それも、水商売、不倫、借金、ヤクザといったディープな世界が登場するのです。
そういった大人の世界の闇を垣間見た子どもたちは、当然のことながら失望します。
でも、そこから子どもたちは「生きる」ことを学んでいくのです。
この映画ほど、子どもが大人になる過程を残酷なまでに描いた作品をわたしは他に知りません。まさに、「通過儀礼」映画とでも呼ぶべきジャンルではないでしょうか。



通過儀礼」といえば、みんなで可愛がっていた金魚が死んだとき、新子は涙をぬぐいながら「お葬式をしなくちゃ!」と叫びます。
この場面で、不覚にもわたしの涙腺は決壊しました。幼いながらも、「死ぬとは何か」、そして「なぜ、弔うのか」という意味をよくわかっていたからです。
主人公の新子や紀伊子たちは9歳、小学3年生です。ということは、まる子(「ちびまる子ちゃん」)やワカメ(「サザエさん」)と同じです。でも、昭和30年の防府で暮らす新子には、まる子にもワカメにもない輝く魅力があります。
1000年前の平安時代の人々に想いを馳せるという設定も斬新で、良かったです。
1000年前も、昭和30年も、そして今も、大人も子どもも基本的に同じ「こころ」を持っていることがよくわかります。時代は違えど、人間は変わりません。


じつは、この映画、夕食を共にした長女と一緒に観ました。
観ながら、わたしは長女や次女が9歳の頃を思い出していました。そして、わたし自身の9歳の頃を思い出しました。当時の悪友たちの顔まで浮かんできました。
わたしは、「ドラえもん」に出てくるジャイアンみたいな少年でしたね(笑)。
この映画のおかげで、つかのまの間、子ども時代に返ることができました。
ラストのコトリンゴによる主題歌「こどものせかい」も素晴らしかったです。
DVDでも発売されていますので、この名作をぜひ御覧下さい!


2012年7月6日 一条真也