いじめられている君へ

一条真也です。

今朝の「朝日新聞」を読んで、とても感動しました。
「いじめられている君へ」というシリーズで、ボクシング元世界王者の内藤大助さんの言葉が紹介されています。大津市のいじめ問題を受け、改めて「いじめ」に対する関心が全国的に高まっています。わたしにも中学生の子がいますので、胸が痛みます。
「相談はカッコ悪くない」という内藤さんの談話は、心に響きました。


朝日新聞」7月14日朝刊より



以下、「朝日新聞」に掲載された内藤さんの談話を紹介いたします。



■相談はカッコ悪くない


いいか、絶対にあきらめるな。
いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ? 
俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。
俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。
北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。 家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。
中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだって叱られた。理由も聞いてもらえず、つらかったな。あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだど・・・・・。
高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。
強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。
暴走族に誘われたら、入っていたよ。たぶん。
そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。 入ってみたらさ・・・・・楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。
ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。
「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。
でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。
俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。
(ボクシング元世界王者) 以上、「朝日新聞」7月14日朝刊より引用


今日の朝刊の1面に掲載されています



わたしは、もともと内藤大助というボクシング選手を高く評価していました。
ボクシングの技術もそうですが、かの亀田一家から理不尽な挑発を受けたときの態度が立派だったからです。
あのとき、見せかけの強さではなく、本物のハートの強さを感じました。
その内藤選手が、過去にいじめに遭っていたとは全然知りませんでした。
「いじめられた君へ」はこれまでにも何度か読んできましたが、この内藤選手の言葉ほど自身の内から滲み出した言葉はないでしょう。まさに、魂の叫びです。
わたしは、まずます内藤選手を素晴らしい人物であると思いました。


加地伸行先生と



ブログ「儒教講演」に書いたように、昨日は儒教研究の第一人者である加地伸行先生とお話する機会がありました。わたしにとって、待ちに待った時でした。
そこでも大津のいじめ事件の話題が出ましたが、加地先生は「全校集会のとき、まず最初に亡くなった生徒のために黙祷をすべきだった」と言われました。まったく同感です。
ブログ『祖父が語る「こころざし」の物語』で紹介した加地先生の著書に、とても印象的なエピソードが紹介されています。
その出来事は、かなり昔、ある中学校で起こりました。
教師が突然、「これから小テストをやるぞ」と言ったのです。
まったく予告されていない、抜き打ちのテストでした。
教室内にはざわめきが起こりました。すると、前から2列目に座っていた1人の男子生徒が何を思ったのか、教室の外に飛び出して行ったのです。
教室に戻ってきたとき、彼は水が入ったバケツを持っていました。
そして、なんとそのバケツの水を教室にぶちまけ、床を水浸しにしたのです。
教室はパニック状態となり、当然ながら教師は烈火のごとく怒りました。
彼に雑巾で床を拭かせてから、予定通りにテストは実施されました。その後で、教師は「なぜ、あんなことをやった?」と問い詰めましたが、彼は何も答えませんでした。
その真意を最後まで同級生にも明かさず、彼は中学校を卒業していきました。
真実がわかったのは、それから数十年も経過してからです。
ある女性の告白から真相が判明しました。その女性は、彼のクラスメートで一番前の席に座っていました。ちょうど、彼のすぐ前の席です。
彼女は精神的にナイーブな人で、抜き打ちでテストをやると教師が言ったとき、驚きと緊張のあまり失禁したというのです。皆にばれることを思うと、死にたくなりました。
彼女の椅子の下の床が次第に濡れていくことに彼は気づきました。そして、そのことが皆にわからないように、教室の床に水を撒くという行為に出たのです。
彼はそのことを卒業するまで、また卒業した後も、けっして人に話しませんでした。


他者の幸せのために生きよ〜人間の器を広げる人生の授業



わたしは、この話を加地先生の本で読んだとき、涙が止まりませんでした。
これほど勇気のある「男の中の男」が、かつての日本にはいたのです。
まさに、『論語』に出てくる「義を見てせざるは勇なきなり」の実践です。
わたしは、大津のいじめ事件に関わった当人、父兄、そして学校関係者全員に『祖父が語る「こころざし」の物語』を読んでほしいと思います。大津だけではなく、全国の学校関係者、また教育委員会関係者にも読んでほしいです。
最後に、いじめている君へひと言。
いじめは、「こころの自殺」です。
他人をいじめている君は、君自身の心を殺していることを知りなさい!


2012年7月14日 一条真也



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