ロンドン五輪の開幕

一条真也です。

ロンドンオリンピックがついに開幕しましたね。
27日午後9時(日本時間28日午前5時)、ロンドン市東部の五輪スタジアムで開会式を行い、4年に1度のスポーツの祭典が幕を開けました。


開幕式典は、英国を代表する映画監督のダニー・ボイルが芸術監督を務めるということで、わたしはとても楽しみにしていました。式典のテーマは、「驚きの島」です。中世から産業革命を経て現代に至る歴史絵巻などが繰り広げられました。「ミスター・ビーン」で知られるローワン・アトキンソンのパフォーマンスも面白かったですね。



しかし、最も心躍らせたのは「ピーター・パン」「不思議の国のアリス」「メリー・ポピンズ」、そして「ハリー・ポッター」といった英国産のファンタジーに基づいたショーでした。
これは、演出としても見事でしたし、「イギリスという国は、これまで世界中に夢を届けてきたのですよ」というメッセージの発信にもなっていました。



そして、各国の入場行進です。
日本はジャマイカに続いて95番目に登場しました。旗手は、レスリング女子55キロ級で日本女子初の五輪3連覇を目指す吉田沙保里選手が務めました。
旗手の吉田選手を先頭に、1964年の東京五輪と同じ赤のジャケットと白のズボンに身を包んだ選手、役員らが晴れやかな笑顔で観客に手を振りました。
このロンドンオリンピックには204の国と地域から約10500人の選手が参加し、8月12日までの17日間、26競技302種目で頂点を争います。


オリンピックの本質について書いた2冊



かつて『遊びの神話』(東急エージェンシー、PHP文庫)にも書いたのですが、オリンピックの入場行進を見るたびに、「こんな国があったのか」という発見があります。
また、日々の大会では、「こんな競技があったのか」という発見もあります。オリンピックは、「国家と民族の博覧会」であり、「スポーツの博覧会」でもあるわけです。
近代オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンによって1500年ぶりに復活しました。
詳しいことは『遊びの神話』に書きましたが、古代ギリシャにおけるオリンピアの祭典は、勇士の死を悼む葬送儀礼として発生したそうです。そこには、戦争の代用としてのスポーツで競い合うことによって「平和」を願う心があったように思います。


産経新聞」1992年1月22日朝刊



1992年にスペイン・バルセロナ夏季五輪が開催されたとき、わたしは「産経新聞」に「冷戦終結後の五輪」というタイトルで寄稿したことがあります。
その文章は、『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)に収録されています。
その冒頭に、わたしは「今年(1992年)のオリンピックは湾岸戦争で亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬儀という非常に重要な意味を持つと思う。また、両大会は東西の冷戦終結後、初のオリンピックとして長く記憶にとどめられるだろう」と書きました。



また最後には、次のように書いています。
「言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典だ。ノーベル平和賞受賞者で第7回アントワープ大会の陸上銀メダリストでもあるイギリスのノエルベイカーは、オリンピックを『核時代における国際理解のための最善のメディア』と述べた。古代のオリンピア祭典は民族統合のメディアとして利害の反する各ポリスの団結を導いた。現代のオリンピックは世界の諸民族に共通する平和の願いを集約し、共存の可能性を実証しながら発展を続けている。最大のコンセプトは、やはり『平和』。われわれ宇宙船地球号の全乗組員は、諸宗教を超える普遍的な『平和教』の信者であるべきだ。4年に1度のオリンピックからその未来宗教が垣間見える」
あれから、もう20年が経過したわけですが、わたしの考えはまったく変わりません。
「驚きの島」に続々と入ってくる中国や北朝鮮ブータンやその他多くの国々の国旗を見ながら、わたしは「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮澤賢治の言葉を思い出していました。


2012年7月28日 一条真也