鎮魂

一条真也です。

今朝、新聞各紙にわが社の意見広告が掲載されました。
「長崎原爆の日」にあわせた「鎮魂」の広告です。


「朝日」「毎日」「読売」「西日本」新聞8月9日朝刊広告



今日は、わたしにとって、1年のうちでも最も重要な日です。
わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。
小倉とは何か。それは、世界史上最も強運な街です。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。


朝礼で長崎原爆の話をしました



今朝、サンレー本社の朝礼に参加しました。
そして、社員のみなさんに長崎原爆の話をしました。
67年前、原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。
広島の原爆では約14万人の方々が亡くなられていますが、当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、広島以上の大虐殺が行われたであろうとも言われています。


犠牲者の御冥福を祈って黙祷しました

社員全員で犠牲者の冥福を祈りました



当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。
死んだはずの人間が生きているように行動することを「幽霊現象」といいます。
考えてみれば、小倉の住人はみな幽霊のようなものです。
そう、小倉とは幽霊都市に他ならないのです! 


社員の中には、長崎県人もいました



それにしても数万人レベルの大虐殺に遭う運命を実行当日に免れたなどという話は古今東西聞いたことがありません。普通なら、少々モヤがかかっていようが命令通りに投下するはずです。当日になっての目標変更はずっと大きな謎でした。
ブログ『原爆投下は予告されていた』で紹介した本を読み、ようやく納得しました。
いずれにせよ小倉がアウシュビッツと並ぶ人類愚行のシンボルにならずに済んだのは奇跡と言えるでしょう。その意味で、小倉ほど強運な街は世界中どこをさがしても見当たりません。その地に本社を構えるわが社のミッションとは、死者の存在を生者に決して忘れさせないお手伝いをすることだと、わたしは確信しています。


みんな神妙な顔で話を聴いていました



今日の朝礼では、社員全員による長崎原爆犠牲者への黙祷を捧げました。
小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。
いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。
なぜなら、長崎の方々は命の恩人だからです。
しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多く存在します。
そこで長崎原爆記念日にあわせて、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各紙に広告を掲載しています。ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきました。



新聞広告には満月のイラストをバックに「鎮魂」と大きく書かれ、「昭和20年8月9日−−小倉に落ちるはずだった原爆。」と続きます。
そして「平和への願いを込めて、長崎に祈りを」として、次のように書いています。
「それは67年前のこと。昭和20年8月9日、長崎に第2の原子爆弾が投下されました。広島に人類最初の原爆が落とされた3日後のことです。
長崎型原爆・ファットマンは8月6日にテニアン島で組み立てられました。
そして、8月8日にアメリカ陸軍在グアム第20航空軍司令部野戦命令17号において、小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、8月9日に投下する指令がなされました。
8月9日に、ソ連が日本に宣戦布告。この日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。
第2目標であった長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。
小倉の軍需工場が原爆投下の第1目標であったことを、皆さんはご存知でしたか。長崎ではこの原爆によって74000人もの尊い生命が奪われ75000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでいます。
もし、この原爆が小倉に投下されていたら、あなたの家族や知りあいの方々が命を失い、あるいは大きな痛手を受けたことでしょう。もしかすると、この新聞を読んでいるあなたは、この世に存在していなかったかもしれません。
絶対に戦争の悲惨さを風化させないためにも、私共は原爆の犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに、恒久平和への祈りを捧げていきたいと思います。
古来、世界各地で月はあの世に見立てられていました。夜空に浮かぶ月を見上げて手を合わせ、亡くなられた方々を想ってみてはいかがでしょうか。
私たちは、『人間の尊厳』を見つめながら、全国各地で真心を込めて、鎮魂と慰霊のお手伝いをさせていただきたいと願っております」



そして、9月29(土)18時からサンレーグランドホテルで行われる「月への送魂」のセレモニーの案内をさせていただきました。ぜひ、今年も多くの方々にご参集いただき、月を見上げてなつかしい故人を偲んでほしいと思います。
今朝、わたしは例年通りに自宅で次の短歌を詠みました。
「長崎の身代わり哀し 忘るるな 小倉に落つるはずの原爆」
死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません。
長崎の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2012年8月9日 一条真也