桜が散った後のうた♪

一条真也です。

桜がどんどん散りはじめましたね。
小倉紫雲閣の「月の広場」の桜も、わが家の桜も散りはじめています。
地面にはピンクの花びらが積もってゆきますね。
もうすぐ、ピンクのカーペットが出来上がるでしょう。



                  小倉紫雲閣の桜も散りはじめ


  
                   わが家の桜も散りはじめる


桜が散りはじめると、必ず思い出す歌があります。
風の「ささやかなこの人生」です。
何を隠そう、わたしが生まれて最初に自分ので買ったレコードです。
先日のブログにも書いたように、あおい輝彦の「あなただけを」を一緒に買いました。
ちなみに、親から最初に買ってもらったレコードは、ザ・ドリフターズの「誰かさんと誰かさん」とソルティー・シュガーの「走れコウタロー」でした。
でも、「ささやかなこの人生」と「あなただけを」の2枚こそは、正真正銘、あくまで自分の小遣いで買ったレコードなのです!
「ささやかなこの人生」は、伊勢正三の作詞で「花びらが散ったあとの桜がとても冷たくされるように・・・」というフレーズが印象的でした。
「やさしかった恋人たちよ〜」というサビのフレーズも心に沁みました。



「風」といえば、バンド名ではなく、曲名もありましたね。
そうです、はしだのりひことシューベルツの「風」ですね。
よく、学校の文化祭などで歌ったイメージがありますが、わたしがよく記憶しているのは、キャンディーズが自身のアルバムでカバーしたものです。
たしか小学生の終わり頃だったと思うのですが、キャンディーズの歌で初めてこの曲と出会いました。「あ〜、すごく良い曲だな〜」と思ったことを憶えています。



やはり、北山修の歌詞が素晴らしいですね!
わたしは、北山修の作品が大好きです。
福岡在住だとお聞きしていますので、ぜひ一度お会いしたいですね。
戦争を知らない子供たち」や「花嫁」なんかも、よくカラオケで歌います。
でも最高傑作は、フォーク・クルセイダースの「あの素晴らしい愛をもう一度」でしょう。
これも、学園祭の定番ソングでした。



いま聴いても、感動する名曲ですね。
われらが桑田佳祐も、カバーで歌っていましたね。
作詞が北山修で、作曲が加藤和彦という黄金コンビです。
わたしはミュージシャンとしての加藤和彦も大好きだったのですが、昨年、自ら命を絶ったのは本当に驚きました。
彼のライフスタイルも好きでした。心から御冥福をお祈りいたします。


あの素晴らしい愛をもう一度」には、「あのとき同じ花を見て、美しいといった二人の」というフレーズが出てきます。
わたしは、散り行く桜をながめながら、「あのとき同じ花を見て」を「あのとき同じ桜を見て」と替え歌で口ずさみました。
また、「あのとき風が流れても、変わらないといった二人の」というフレーズも出てきますね。その後の「心と心が、今はもう通わない」というフレーズが悲しいですね。
いくら悲しくても、わたしたちは生きてゆかなくてはなりません。

さあ、桜が散っても生きていきましょう!
風立ちぬ』を書いた堀辰雄は、「風立ちぬ、いざ生きめやも」と言いましたが、
わたしは「桜散りぬ、いざ生きめやも」と言いたいと思います。
また、来年も桜は綺麗に咲くでしょう。


2010年4月7日 一条真也

直葬を考える

一条真也です。

日本人の葬儀のスタイルが変化してきています。
家族葬、密葬から、現在は「直葬」が増えてきています。
直葬」というのは、通夜や告別式を行わなず、火葬場に直行する送り方のことのです。
行政などがその費用を負担しますが、この直葬、一昨年で9000件もありました。
この10年間で、じつに2倍以上に増えています。
直葬」が増えている背景はいろいろあるでしょうが、最大の原因は日本社会全体が「無縁社会」になってきているということだと思います。
この「無縁社会」は、NHKスペシャルで2010年1月31日に放映されて大変な反響を呼びました。1年間に3万2000人もの人たちが無縁死されているそうです。
その前の1月12日には、「無縁社会直葬」が放映されています。



また、島田裕巳著『葬式は、要らない』という本が非常に売れているといいます。
こうした「葬式無用論」も現在のキーワードになってきています。
わたしは、「無縁社会」も、「葬式無用論」も、その背景は同じだと思います。
それは、従来の日本におけるコミュニティーが崩壊しつつあるということ。
そして、それゆえに人間関係が希薄化してきているということです。
以前の人間関係というのは、地縁、血縁、学縁があり、職縁もありました。いま、そのすべてが希薄になっています。
同窓会も少ないですし、何よりも会社を定年退職して、そこからまた20年、30年以上生きなければならないという時代になりました。
80代でお亡くなりになっても、参列者はいないという方も結構いらっしゃいます。



葬儀は「家族でします」、「身内だけでします」という方に、こちらが「葬儀というのは社会的なものですから、できるだけ多くの方にお知らせした方がいいですよ」とお話しても、「そうしなくていい」と言われる方が増えています。
これは、ある意味で人間関係に自信がないからではないかとわたしは思うのです。いくら広くお知らせしても、もし来てくれなかったら寂しい、恥ずかしいといった気持ちがあるからではないかと思うわけです。
わたしたちは「良い人間関係づくりのお手伝いをする」ということを会社のミッションにしていますので、地域社会の方々の食事会である「隣人祭り」や「婚活塾」など、良い人間関係づくりをお手伝いするイベントなどをたくさん開催しています。
わたしは、人間関係がどんどん希薄になってきている中で、瑣末な演出ばかりやっていても、冠婚葬祭業界の未来はないと思っています。
冠婚葬祭業のインフラはやはり豊かな人間関係につきます。
まずは、そのインフラを整備しなければいけないと考えてやっています。



『最期のセレモニー』(PHP)という編著の「あとがき」にも書きましたが、わたしは、これまで多くの葬儀に立ち会ってきました。
中には、参列者が1人もいないという孤独な葬儀も存在します。
そんな葬儀を見ると、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありません。
亡くなられた方には、家族もいただろうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。
なのに、どうしてこの人は1人で旅立たなければならないのかと思うのです。
もちろん死ぬとき、人は1人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに1人で旅立つというのは、あまりにも寂しいではありませんか。
映画「おくりびと」が大きな話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。
1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。
その意味で葬儀の場とは、人生のグランドフィナーレであるとともに、良い人間関係の檜舞台に他なりません。
わたしは、自分の仕事や立場とは関係なく、人間として生まれたからには1人でも多くの「おくりびと」に送られて旅立つことが幸福な人生であると確信しています。
直葬」を少しでも減らすことは、一種の「世直し」だと思っています。 

              メモリアルスタッフが見た、感動の実話集


2010年4月7日 一条真也

隣人祭り

一条真也です。

無縁社会」が非常に大きな話題となっています。
NHKでの一連の放送や、雑誌での特集記事など、その波紋は広がる一方です。
では、わたしたちは「無縁社会」にどう向き合えばよいのか。
さらに言うなら、どうすれば「無縁社会」を乗り越えられるのか。
わたしは、その最大の方策の一つは、「隣人祭り」だと思います。
隣人祭り」とは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人たちが年に数回、顔を合わせます。


                    [隣人祭り」は食事会


隣人祭り」は、今やヨーロッパを中心に世界30カ国以上、1000万人もの人々が参加するそうです。
その発祥の地はフランスで、パリ17区の助役アタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。
きっかけは、パリのアパートで1人暮らしの女性が孤独死し、1ヵ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1ヵ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。
同じ階に住む住民に話を聞くと、「1度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。
大きなショックを受けたペリファン氏は、「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。
そして、NPO活動を通じて1999年に「隣人祭り」を人々に呼びかけたのです。



第1回目の「隣人祭り」は、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。
そのとき初めて知り合い自己紹介をした男女が、その後、結婚するという素敵なエピソードも生まれました。
最初の年は約1万人がフランス各地の「隣人祭り」に参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には約800万人が参加するまでに発展し、同年5月にはついに日本にも上陸しました。
4日間、新宿御苑で開催され、200人以上が集まったそうです。



日本でも孤独死は増えています。
全国に約77万戸ある都市再生機構の賃貸住宅では2007年度に589人が孤独死しました。じつに5年前の2倍で、その7割近くを高齢者が占めています。
隣人祭りが発展した背景には、孤独死の問題はもちろん、多くの人々が行きすぎた個人主義に危機感を抱いていることを示しています。
アタナーズ・ペリファン氏と共著『隣人祭り』(ソトコト新書)を書いたフランス在住のジャーナリストである南谷桂子氏は、「朝日新聞」2008年8月16日の朝刊で、「一度でも言葉を交わしていれば『感情公害』と呼ばれる近隣トラブルは減るし、いきなり刃物で刺すような事件もなくなるはず」と語っています。
また、ペリファン氏は『隣人祭り』の「著者の言葉」で次のように述べています。
「人間には、誰にでも潜在的に寛大さというものが備わっている。ではなぜ、それを覆っている殻を打ち破って寛大さを表に出さないのだろう。人は誰でも問題を抱えているものだ。その問題を解決するには、自分以外の誰かの善意がきっと役に立つはずだ。人間の良心だけが、人間を救える唯一のものだと僕は信じている」



隣人祭り」は、なぜ成功したのでしょうか。
日本経済新聞」2008年8月30日夕刊にフランスでの成功のステップが4つにまとめられているので、紹介したいと思います。

1、人と出会い、知り合う。親しくなる。
2、近隣同士、ちょっとした助け合いをする(パンやバターの貸し借りなど)
3、相互扶助の関係をつくる(子どもが急に病気になったが仕事で休めないとき、預かってもらう環境をつくるなど)
4、より長期的な視野で相互扶助をする。(複数の住民で協力し、近所のホームレスや病人の面倒をみたりするなど)



これを見ると、「隣人祭り」のキーワードは「助け合い」や「相互扶助」のようです。
それなら、多くの人は日本に存在する某組織のことを思い浮かべるのではないでしょうか。そう、互助会です。正しくは、冠婚葬祭互助会といいます。「互助」とは「相互扶助」を略したものなのです。
わたしはフランスで起こった隣人祭りと日本の互助会の精神は非常に似ていると思っています。わが社はまさに互助会であり、わたしは互助会の全国団体である全互連の副会長を務めています。
いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくすことが互助会の大きなテーマとなっているのです。
早速、互助会であるわが社では、2008年10月15日に北九州市八幡西区のサンレーグランドホテルで開催された「隣人祭り」のサポートをさせていただきました。
サンレーグランドホテルの恒例行事である「秋の観月会」とタイアップして行われたのですが、これが九州では最初の「隣人祭り」となりました。
日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での「隣人祭り」開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、大きな話題となりました。
その後も、わが社はNPO法人「ハートウエル21」と連動し、「ハートフル・フェスタ」と名づけられた「隣人祭り」のお手伝いを各地で行ってゆくことにしました。
昨年は約190回を開催し、今年は300回以上の開催を予定しています。

   

                北九州市で開催された「隣人祭り
           

隣人祭り」が起こる直前のフランスでは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が国家的事業として推進されていたそうです。
SNSといえば、日本では、ミクシィなどが代表ですね。
このサービスがフランスで大流行した反動で、リアルな対人コミュニケーションが激減しました。そして、孤独死が爆発的に増えたため、社会的要請において「隣人祭り」が生まれたというのです。
まさに、日本の現状そのものです。
ITが進歩するばかりでは人類の心は悲鳴をあげて狂ってしまいます。
ITの進歩とともに、人が集う機会がたくさんある社会でなければなりません。
隣人祭り」は、人間尊重思想の実践である「天下布礼」の大きな柱です。
でも、注意すべきは「孤独死の防止のために」とか「ストップ!無縁社会」などと、あまり肩に力を入れないことです。
季節の年中行事などを取り入れながら、隣人との集まりを楽しむことが大切でしょう。


              節分にあわせた「隣人祭り」合同厄除け祝い


なお、わたしは、「隣人祭りのススメ」というブックレットを「佐久間庸和」の本名で書きました。「隣人祭り」を開催するためのマニュアルとして実際に使える内容です。
ご希望の方には、プレゼントいたします。こちらまで、ご応募下さい。


                  さあ、「隣人祭り」を開催しよう!



2010年4月7日 一条真也