直葬を考える

一条真也です。

日本人の葬儀のスタイルが変化してきています。
家族葬、密葬から、現在は「直葬」が増えてきています。
直葬」というのは、通夜や告別式を行わなず、火葬場に直行する送り方のことのです。
行政などがその費用を負担しますが、この直葬、一昨年で9000件もありました。
この10年間で、じつに2倍以上に増えています。
直葬」が増えている背景はいろいろあるでしょうが、最大の原因は日本社会全体が「無縁社会」になってきているということだと思います。
この「無縁社会」は、NHKスペシャルで2010年1月31日に放映されて大変な反響を呼びました。1年間に3万2000人もの人たちが無縁死されているそうです。
その前の1月12日には、「無縁社会直葬」が放映されています。



また、島田裕巳著『葬式は、要らない』という本が非常に売れているといいます。
こうした「葬式無用論」も現在のキーワードになってきています。
わたしは、「無縁社会」も、「葬式無用論」も、その背景は同じだと思います。
それは、従来の日本におけるコミュニティーが崩壊しつつあるということ。
そして、それゆえに人間関係が希薄化してきているということです。
以前の人間関係というのは、地縁、血縁、学縁があり、職縁もありました。いま、そのすべてが希薄になっています。
同窓会も少ないですし、何よりも会社を定年退職して、そこからまた20年、30年以上生きなければならないという時代になりました。
80代でお亡くなりになっても、参列者はいないという方も結構いらっしゃいます。



葬儀は「家族でします」、「身内だけでします」という方に、こちらが「葬儀というのは社会的なものですから、できるだけ多くの方にお知らせした方がいいですよ」とお話しても、「そうしなくていい」と言われる方が増えています。
これは、ある意味で人間関係に自信がないからではないかとわたしは思うのです。いくら広くお知らせしても、もし来てくれなかったら寂しい、恥ずかしいといった気持ちがあるからではないかと思うわけです。
わたしたちは「良い人間関係づくりのお手伝いをする」ということを会社のミッションにしていますので、地域社会の方々の食事会である「隣人祭り」や「婚活塾」など、良い人間関係づくりをお手伝いするイベントなどをたくさん開催しています。
わたしは、人間関係がどんどん希薄になってきている中で、瑣末な演出ばかりやっていても、冠婚葬祭業界の未来はないと思っています。
冠婚葬祭業のインフラはやはり豊かな人間関係につきます。
まずは、そのインフラを整備しなければいけないと考えてやっています。



『最期のセレモニー』(PHP)という編著の「あとがき」にも書きましたが、わたしは、これまで多くの葬儀に立ち会ってきました。
中には、参列者が1人もいないという孤独な葬儀も存在します。
そんな葬儀を見ると、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありません。
亡くなられた方には、家族もいただろうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。
なのに、どうしてこの人は1人で旅立たなければならないのかと思うのです。
もちろん死ぬとき、人は1人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに1人で旅立つというのは、あまりにも寂しいではありませんか。
映画「おくりびと」が大きな話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。
1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。
その意味で葬儀の場とは、人生のグランドフィナーレであるとともに、良い人間関係の檜舞台に他なりません。
わたしは、自分の仕事や立場とは関係なく、人間として生まれたからには1人でも多くの「おくりびと」に送られて旅立つことが幸福な人生であると確信しています。
直葬」を少しでも減らすことは、一種の「世直し」だと思っています。 

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2010年4月7日 一条真也