上海万博

一条真也です。

今日は月初なので、サンレー本社での総合朝礼、本部会議などがありました。
また昨日、NHKから連絡があり、「無縁社会」や「葬式」についての討論番組を作りたいので、スタジオ出演できないだろうかとの打診がありました。
今日の14時にNHKのディレクターの方がサンレー本社に来られて、打ち合わせをすることになっています。まだ詳細がわからないので、出演するともしないとも言えませんが、上海で旗を掲げた「天下布礼」にプラスになるならば出てみようと思います。
そういえば、いよいよ上海万博がオープンしましたね。
わたしの大学の教え子たちには中国からの留学生も多いのですが、彼らもずいぶんと心待ちにしていたようです。
まあ、テーマ曲やマスコット・キャラクターを始め、盗作のオンパレードのようですが、せっかく世界中から多くの人々を集めるわけですから、成功してほしいものですね。


                   上海万博開幕を報じる各紙


わたしは以前、広告代理店に勤めていました。
もともと博覧会の仕事がやりたくて、広告業界に入ったのです。
入社した頃は、ちょうど空前の地方博覧会ブームで、「国際花と緑の博覧会」、「横浜博覧会」、「アジア太平博覧会」など、さまざまな博覧会の仕事の末端に関わらせていただきました。



博覧会とは何でしょうか。
よく、博覧会というのは博物館と遊園地の中間のような存在であると言われます。
教育と娯楽の両方の顔を持っているというわけですね。
それがどうにも娯楽の方にばかり比重がかけられすぎているようです。
博覧会プロデューサーの泉眞也氏は、「そもそも博覧会は儲かる事業ではないし、儲けることを目的としてもいない。本来それは人類の知識の開発と啓蒙の方法であり、一種の社会教育的役割を担うべきはずのものである」と述べています。まったく同感です。
博覧会は産業革命期のイギリスで誕生したことから、様々な新技術を披露してきました。単に新技術を普及させることが目的ではなく、新技術を応用することによってできる豊かな生活を大衆に体験させ、未来世界のプレゼンテーションを行ってきたのです。



大衆は博覧会によって未来をシミュレーション体験してきました。
博覧会において初めて登場したものでは、1851年のロンドン万国博におけるクリスタルパレスと1889年のパリ万国博におけるエッフェル塔の二つがあまりにも有名ですが、その他にも、シンガーのミシン、コルトピストル(1851年ロンドン)、オースチンのエレベーター(1853年ニューヨーク)、ジーメンスの発電機(1867年パリ)、ベルの電話機、プルマンの寝台車(1876年フィラデルフィア)、ナイロン、プラスチック(1939年ニューヨーク)などがあります。
また、1933年のシカゴ万国博には多くの無窓建築物が建てられ、蛍光灯とエアコンディションで保たれる人工的な環境を大衆は初めて体験しました.
作家の堺屋太一氏などは、「もし、シカゴ博の大胆な無窓建築の実用実験がなかったならば、世界の建築は30年ぐらい進歩が遅れたに違いない」と、著書『イベント・オリエンテッド・ポリシー』で述べています。
1939年のニューヨーク博に登場した高速道路についても、街の中に長々と橋を連ねて自動車交通をさばくという発想は、万国博のような短時日に大量交通需要が発生するという条件のもとで初めて考えられたことだとし、堺屋氏は、「おそらくこの行事がなければ、都市内の高架高速道路の建設は戦後までできなかっただろう」と述べています。
1970年、日本万国博で話題になったリニア・モーターカーにしても実用化されようとしています。博覧会は、わたしたちに未来の夢を見せてくれる場所なのです。
今回の上海万博に行く予定はありませんが、わが社の創立40周年記念旅行をはじめ、わたしも上海にはもう何度も行きました。
現時点でも「未来都市」のイメージをプンプン漂わせている上海が、どんな未来の夢を見せてくれるのでしょうか。


                    未来都市のような上海


博覧会ブームの佳境にあった広告マン時代の著書『遊びの神話』(PHP文庫)でも、いろいろと博覧会のもつ意味と可能性について書きました。
メディアには、テレビやラジオなどの「送達型」と、集会やコンサートなどの「集人型」があります。いま、インターネットの発達で「送達型メディア」が圧倒しているようですが、博覧会という「集人型メディア」のチャンピオンがどう巻き返しを図るか、注目したいです。
まあ、個人的には「今さら博覧会の時代でもないでしょ」と思っていることも事実ですが。
大量の人数を一箇所に集めるよりも、「隣人祭り」のように少人数を集めるイベント、すなわち集人型メディアの時代だと思っているからです。


                 博覧会の意味と可能性をさぐる


2010年5月1日 一条真也

『銀河鉄道と星の王子』

一条真也です。

小学5年生の次女が通っている小学校から、「親が子どもに読ませたい、一緒に読みたい本」というアンケートが来ました。
父兄からアンケートを募り、審査の結果、100冊を選んで学校図書館に収めるのだそうです。そこで、ここ数日いろいろ考えましたが、わたしが子どもに最も読んでほしいのは次の2冊だと思い至りました。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。


                 最も子どもに読ませたい本


どちらも、人類の「こころの世界遺産」とも呼ぶべき素晴らしい本だと思います。
著書『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも2冊について書きましたが、どちらも「幸福」と「死」を考えるための童話だと思います。
子どものみならず、大人のための童話でもあります。
また、わたしにとっての最大の愛読書でもあります。
そして、2冊の接点を論じた『銀河鉄道と星の王子』高波秋著(ジャン・ジャック書房)という本を再読しました。


                  二つのファンタジーの接点


この本は、岩手県は花巻の「宮沢賢治記念館」で求めました。
ここは以前にも訪れていましたが、『涙は世界で一番小さな海』の執筆にあわせて、昨年の3月に再訪したのです。
その前年、2008年の9月には箱根の「星の王子さまミュージアム」も訪れました。
わたしも以前から、『銀河鉄道の夜』と『星の王子さま』の両作品は似ているなと感じていました。

それは、ともに星々をめぐる物語だということもあります。
でも、それ以上に共通しているのは、「利他」の精神というものをコンセプトとした物語だからかもしれません。
「利他」の精神は美しいですが、悲しいものでもあります。
この二つの作品に共通する特徴は、「悲しみ」の色がもやのように立ちこめていることだとして、著者の高波氏は次のように書いています。
「朝日が昇っても、日が沈んでも風が吹いても、人や動物がさびしげに行き来し、主人公たちは、理由もなく、『悲しい』と口にします。しかし、作品は、それぞれの作者の、いくつもの層を持つ、心の世界です。ことばを通して、その世界に入って、読み返し、心に反芻していると、作品の、別の層が、いつとなく、読者の心に現れて来ます。作品の奥に、隠れていたものの匂いを、感じた、と思うのは、そのときです。それを、きっかけとして、身の回りの、もやに、光が差し込んできます。サラサラと鳴る風の音が、いつのまにか、しずかな音楽となって、広がっています。同じファンタジーが、こんどは、別の世界のように、明るく展開してゆきます。幸福を求める、二人の作者の、熱い思いが、作品のウラに、表れようとしているのです。」
ちょっと句読点が多すぎて読みにくいですが、言わんとすることは何となくわかります。
著者はまた、「(まえがき)ファンタジーに入る」で、「友情と愛は、すべての人が、いつでも、入ってゆきたいとねがう、温かい、静かな心。その心への道すじを、手に取るように教えてくれるのが、宮沢賢治サン=テグジュペリです」とも書いています。
これは、まったく同感ですね。
わたしは、宮沢賢治サン=テグジュペリの二人を心から敬愛しています。
機会があれば、また花巻と箱根を訪れてみたいです。


                宮沢賢治記念館(花巻)にて

                   銀河鉄道の停車場で

              星の王子さまミュージアム(箱根)にて

                   王子さまとともに


2010年5月1日 一条真也