東京のうた♪

一条真也です。

東京から北九州へ戻ってきました。
一昨日は何かと忙しく、山手線に総武線、銀座線、東急東横線、丸の内線、東京メトロ新宿線半蔵門線などに乗って、都内の各所を移動しまくりました。
久しぶりに見た東京の光景もたくさんありました。
両国の街や渋谷駅前のスクランブル交差点も歩きました。
翌朝、ホテルから見た東京の空は晴れ渡っていました。


                     東京の空は晴れ


その空の下で、新しい首相も誕生しました。
ということで、今日は東京の歌を聴きたいと思います。
まずは、われらが桑田佳祐の「東京」です。
この歌そのものもですが、PVが素晴らしい。
中尾彬小島聖がじつに良い味を出しています。


次は、桑田佳祐も大好きというザ・ピーナッツの「ウナ・セラ・ディ東京」です。
ピーナッツの歌は、「恋のバカンス」にしろ、「情熱の花」や「可愛い花」にしろ、いま聴いても全然古くない。それどころか、ものすごく新鮮な印象さえあります。
やはり高い歌唱力と双子ならではのハーモニーのせいでしょうか。
東宝映画「モスラ」で歌った「モスラの歌」も忘れられない名曲です。
この「ウナ・セラ・ディ東京」も、アンニュイな歌い方にたまらない魅力がありますね。
ちなみに、「ウナ・セラ・ディ東京」とは、イタリア語で「東京のある一夜」(Una Sera di Tokio)という意味です。


最後に紹介するのは、ザ・ピーナッツの一人の伊藤エミと結婚していた人の歌。
そうです、沢田研二の「TOKIO」です。
わたしが高校生の頃、よく「ザ・ベストテン」などで歌っていました。
わたしは東京の大学に必ず行くと思っていましたので、なんとなく大学生活への誘いのようなイメージで「TOKIO」を聴いていました。
それにしても、パラシュートをつけた沢田研二はカッコよかったですね!
その後、この歌のパロディで、KABUKI−ROCKSが「OEDO」を歌いました。
こんな格好で歌ってもキッチュにならず、相変わらずカッコいいジュリーは凄い!


今頃、スーパーシティは舞い上っているのでしょうか?
それでは、おやすみなさいzzz。


2010年6月5日 一条真也

『メメント・モリ』

一条真也です。
北九州に戻ってきました。藤原新也さんにお会いしたのを契機に、『メメント・モリ』(三五館)を再読しました。
25年にわたって読み継がれてきた「生」と「死」の聖典が21世紀エディションとして蘇りました。これまで愛読されてきた情報センター出版局版にはなかった新しい写真が22点、コピーが21点加えられています。


生と死を謳う現代の聖典


最初に、この本を読んだのは、たしか大学生の終わり頃でした。ものすごい衝撃を受けました。
なにしろ、インドで撮影したという人間の死体が写っているのです。それも、人間の死体が犬に食われている写真まであります。しかも、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」というコピーがついているのです!
もう、ぶっ飛びました。



本書を開くと、最初のページに、「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」とあります。
そこから、いちいち読む者の心に揺さぶりをかけるようなインパクトの強い言葉が並んだ序文がスタートします。
「いのち、が見えない。」
「死ぬことも見えない。」
「今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、消える。」
「街にも家にもテレビにも新聞にも机の上にもポケットの中にもニセモノの生死がいっぱいだ。」
「死は生の水準器のようなもの。」
「死は生のアリバイである。」
そして、この後、「メメント・モリ」という言葉が初めて登場し、著者は述べます。
「この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。その言葉の傘の下には、わたしのこれまでの生と死に関するささやかな経験と実感がある。」
序文を通過して、読み進むと、見たこともないような圧倒的な写真たちが次々に目に飛び込んできます。
キラキラとひかる夜の海、天国にも地獄にも見えるオレンジ色の世界、祭りの日の聖地に転がる人間の死体、燃やされる人間の死体、カラスにつつかれる人間の死体・・・。
ふと、羊のような動物の死体に花輪が手向けてある写真に目がとまりました。人間以外の「いのち」にも礼が尽くされている場面は感動的でした。羊の足には蹄(ヒズメ)があります。そうです、口蹄疫にかかって殺処分された宮崎の牛たちと同じです。殺された無数の牛たちは、もちろん花など捧げられず、人間から食べられることもなく、ただ殺されました。その処分の光景など、わたしたちの目からまったく隠されています。
人間の死体も動物の死体も隠されている日本。
人間の死体も動物の死体も晒されているインド。
どちらが自然に近いかは一目瞭然でありましょう。


この世か、あの世か。


フランスの箴言ラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視できない」と言いました。
たしかに自分の死、1人称の死は絶対に見ることができませんが、3人称の死をこれでもかとばかりに見せてくれる本、それが本書です。
そして、写真の素晴らしさは言うに及ばず、それらに添えられたコピーの数々はまた素晴らしい。
「死の瞬間が、命の標準時。」
「死体の灰には階級制度がない。」
「死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最期の授業。」
「死人と女には花が似合います。」
「水はバイブルである。」
「火はアナキズムである。」
「赤子は黙って人権宣言。」
「眠りは、成仏のための、日々の錬磨のようなもの。」
「母の記憶は、子供の記憶。」
「父の記憶は、青年の記憶。」
「歩みつづけると、女は子供を孕むことがあります。
歩みつづけると、男は自分の名前を忘れることがあります。」
「極楽とは、苦と苦の間に一瞬垣間見えるもの。」
そう、著者のコピーは箴言そのもの。
藤原新也現代日本ラ・ロシュフーコーなのです!


あまねく照らすもの


わたしの魂を強く揺さぶったコピーが3つあります。
「太陽があれば国家は不要。」
「月の明りで手相を見た。生命線がくっきり見えた。」
「ひとはみな、あまねく照らされている。」
ラ・ロシュフーコー箴言の通りに、太陽と死はともに直視できません。それに加え、太陽と死はともに、人間に対して「最大の平等」を与えてくれるものです。
太陽はあらゆる地上の存在に対して平等です。それゆえ、太陽光線は世界中の人々に等しく降り注ぎます。
わが社の社名はサンレーですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、太陽光線(SUNRAY)という意味を持っています。
「死」も平等です。「生」は平等ではありません。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人・・・・・「生」とは差別に満ち満ちています。
しかし、どんな人にも「死」だけは平等に訪れます。ですから、上の3つのコピーは、太陽光を冠した社名の会社を経営し、月を基軸とした平等な葬送を志しているわたしにとって、涙が出るくらいに共感できるものなのです。しかも、「ひとはみな、あまねく照らされている。」が添えられている写真は、雲の間からチラリと姿を見せている天体が太陽なのか満月なのか、よくわからないのです。それは、まるで天国か地獄かよくわからない写真のようです。
わたしは、藤原新也という写真家が天才であることの最大の証明は、天国にも地獄にも見える、太陽にも月にも見える、そんな世にも不思議な陰陽一体の作品を生み出したことにあると思います。それは、もう、天使も悪魔も超越した、光も闇も包みこんだ存在。そう、限りなく神そのものに近い世界ではないでしょうか。


死後の世界はイメージ・アート


本書のラストに登場する写真が、わたしは大好きです。
一言でいえば、絵に描いたような楽園。
青い空、白い雲、赤い花、緑の芝生・・・・・。
この写真以上に楽園をイメージさせる写真は、なかなか撮れないでしょう。
いわば、「完璧な写真」としか表現できません。
こんな美しい写真を毎日ながめて、死後の世界をイメージすると良いかもしれませんね。
わたしは、「死後の世界」とは一種のイメージ・アートだと考えています。臨死体験者の報告を聞いても、亡くなった人は、「死んだら、こんな世界に行くのだ」という生前のイメージ通りの世界に行くのではないかと思います。
だから、キリスト教徒は天国に行くし、仏教徒は浄土へ行く。
この楽園をいつも想い続けている人は、この楽園へ行く。
他の写真に添えられたものですが、「死のとき、闇にさまようか 光に満ちるか 心がそれを選びとる」というコピーが、本書にも出てきます。「死後の世界」とは、心が選びとった世界、心が編集したイメージなのです。
わたしは、本書の写真を展示した「メメント・モリミュージアム」の設立を夢見てしまいます。そこを訪れた者は、自然と死を想い、知らない間に死が怖くなくなるようなミュージアム。そんな空間が、できれば著者の故郷である門司港に誕生すれば素敵だと思います。



それにしても、本書は贅沢な本です。
この過剰な写真に過剰なコピー。
こんな過剰な本が他にあるでしょうか。これほど心が乱され、これほど心が休まる本が他にあるでしょうか。
こんな凄い本が他にあるでしょうか。


2010年6月5日 一条真也

北九州のうた♪

一条真也です。

東京のうた♪」を紹介しましたので、今度は、わたしの地元である北九州の歌を紹介したいと思います。演歌ばかりですけど(笑)。
メメント・モリ』の藤原新也さんも北九州市のご出身です。
北九州市は、門司、小倉、戸畑、若松、八幡の5市が合併して誕生した都市です。
世界的に見てもきわめて珍しい5市合併により、三大都市圏以外で初の政令指定都市になりました。わたしが生まれた1963年のことです。
しかし、今でも旧5市はそれぞれの個性を放っています。
わたしの住む小倉には、小倉祇園太鼓という誇るべき文化があります。
そして、それを題材とした小説や映画があります。
小説とは、岩下俊作の「富島松五郎伝」です。
1939年に雑誌「九州文学」に掲載されました。
映画とは、あの「無法松の一生」です。
1943年の初映画化以来、主人公の「無法松」こと富島松五郎を、阪東妻三郎三船敏郎三國連太郎勝新太郎といった大スターたちが演じました。
さらには、素晴らしい歌謡曲まで生まれました。
そうです、村田英雄の「無法松の一生〜度胸千両」です。


それにしても、村田英雄はカッコいいですね!
彼は、もうひとつの名曲である「花と竜」も歌っています。こちらは若松の歌ですね。
「花と竜」は、芥川賞作家である火野葦平が1952年から53年にかけて「読売新聞」に連載した小説です。
実在した玉井金五郎という大親分が主人公です。
1954年以来ずいぶん映画化もされましたが、主人公を演じた俳優がこちらも凄い。
藤田進、石原裕次郎中村錦之助、渡哲也といった面々です。
濃厚な男の世界を村田センセイが貫禄たっぷりに歌い上げます。


村田英雄の歌が2曲続きましたが、小倉と若松が歌われています。
門司を歌った作品もあります。
山本譲二の「関門海峡」です。
非常に力強く、関門海峡の雰囲気が見事に表現されています。
彼の歌では、「みちのく一人旅」に次ぐ名曲ではないでしょうか。
わたしは、「唸るスクリュ〜関門海峡〜」という歌い出しの歌詞が好きです。
昔は、「小倉の止まり木」ことレパードでカラオケをよく歌いました。


どれも名曲だとは思うのですが、3曲とも男くさいというか、いかにも任侠関係者が好きそうな歌ばかりですね。実際、小倉の鍛冶町や堺町をはじめ北九州市内のスナックでは、よくカラオケで歌われます。
ちなみに現在、北九州市では北橋健治市長の号令によって、史上最大の暴力追放運動が展開されています。
でも、けっして北九州市は荒くれ者ばかりではありません!
わたせせいぞう村下孝蔵といったハートフルな人々を輩出したこともお忘れなく。
えっ、わたしですか? もちろん虫も殺さない優しい男ですよ(微笑)。


2010年6月5日 一条真也

ご当地ソング♪

一条真也です。

これまで沖縄や東京や北九州の歌を紹介してきましたが、いわゆる「ご当地ソング」と呼ばれる歌はたくさんあります。
わたしは、各種の業界団体の総会などに行くことが多いのですが、二次会で行ったカラオケ・スナックなどでは必ず「ご当地ソング」を歌うことにしています。
わたしが一番好きな歌は、内山田洋とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」。
われらが桑田佳祐がリスペクトしているという前川清の歌声にはシビレます。
桑田本人もDVD「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」で「長崎は今日も雨だった」を歌っていましたが、ものすごく良かったです!
わが社は北九州市に本社があるのですが、なぜか長崎出身の社員が多く、「長崎県人会」があるほどです。彼らと一緒に、この歌を口ずさめば、また格別です。


それから、「ご当地ソング」の定番といえば、美川憲一の「新潟ブルース」です。
わたし自身はあまり歌わないのですが、この歌をレパートリーにしている人は多いです。
昨年、業界の総会で新潟に行きました。
すると、二次会でしっかり歌っている人がいましたね。(笑)
哀愁を帯びた日本人好みの歌だと思います。


そして、最後は横浜です。
横浜といえば、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」。
1994年に日本テレビ系で放映されたドラマ「夜に抱かれて」で、ホスト役に扮した少年隊の東山紀之が、冒頭でこの歌を歌うシーンがありました。
その歌いっぷりが、まことに艶っぽかったのです。
それ以来、わたしの中では、なんとなく「ホストが歌う曲」というイメージがあります。
とにかく、男の色気がプンプン漂ってくる歌ですね。
この歌を発表した当時、作詞を担当した山口洋子はかなり五木ひろしを気に入っていたみたいですね。
清水アキラの物まねによって、「よこハメ・たてハメ」を連想する人もいるかもしれませんが(笑)、日本の歌謡曲を代表する名曲のひとつだと思います。


2010年6月5日 一条真也