『KAGEROU』

一条真也です。

『KAGEROU』齋藤智裕著(ポプラ社)を読みました。
言うまでもなく、俳優の水嶋ヒロの処女作であり、ポプラ社小説大賞受賞作です。
著者は、本名の齋藤智裕名義で執筆し、ペンネームは「齋藤智」としたそうです。
芸能人であることを隠し、職業欄も無記名で応募したとか。


                  水嶋ヒロ、話題のデビュー作!


じつに初版40万部刷ったという本書の帯の裏には、「哀切かつ峻烈な『命』の物語。」というキャッチコピーが踊っています。
また、本書の内容を要約する次のようなコピーが記されています。
「廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。
『かげろう』のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。
そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。
命の十字路で二人は、ある契約を交わす。
肉体と魂を分かつものとは何か? 人を人たらしめているものとは何か?
深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へと向かう。
そこで彼は一つの儚き『命』と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。」



このコピーを読んで、「なんだかマンガみたいな話だな」と思った人は多いはず。
たしかに、本書はマンガの原作そのものでした。
といっても、けっしてマンガを貶めているわけではありません。
今や、日本においてマンガは小説を超える表現ジャンルとして市民権を得ています。
その意味では、本書は残念ながら一流のマンガの原作のレベルには達していません。
では、二流なのか三流なのかといえば、それは読む人の判断でしょう。
でも、けっして一流ではないことだけは保証します。
本書を読んで思ったのは、「やっぱり、プロの小説家というのは凄い!」ということ。
本書のストーリーは、正直言って、どこかで見たり聞いたりしたことのある内容の寄せ集めの観がありますが、もし同じモチーフを使ったとしても、たとえば重松清白石一文や貴志裕介なら、もっともっと面白い小説に仕上げることが出来たでしょう。
ましてや、本書と比較されがちのベストセラー『1Q84』を書いた村上春樹ならば。



でも、わたしは本書にケチをつけようという気はまったくありません。
もともと、ベストセラーというものは賞賛するべきもので、ケチをつけると、「お前の書いた本が売れないから、ひがんでいるのだろう」と思われそうで嫌なのです(苦笑)。
わたしは、とにかく他人を妬むぐらいなら死んだほうがいいと思っている人間です。
それぐらい、「ねたみ」「そねみ」という感情はカッコ悪いものです。
ここのところ、本書をめぐる報道がすさまじいですね。
でも、著者に対するジェラシー的な次元の低い意見が多いのが気になります。
作品の評価と、一人の人間としての著者への攻撃とは無関係ですから。
著者は、怪我で断念しましたが、サッカー選手としても優秀だったそうです。
もちろん、俳優としても若手のホープ的な存在でした。
「天は二物を与えず」と言いますが、彼は二物も三物も与えられたわけですね。
一部では、彼を「パーフェクト・ボーイ」などと呼んでいるそうです。
でも、どうも日本人は基本的にマルチな才能を嫌うという国民性があるようですね。



本書は著者のデビュー作というか、生まれて初めて書いた小説ということを忘れてはなりません。それにしては、よく出来ているのではないでしょうか。
何よりも、本書は読みやすい小説です。まるで、昨今のケータイ小説のように・・・・・。
では、この作品が小説大賞に値すると思うかといえば、まったく思いません。
ポプラ社は、営利目的で有名俳優の名前を利用したと言われても仕方ないでしょう。
多くの作家志望者たちの入魂の原稿を切り捨てて選んだわけですから。



さて、本書『KAGEROU』のテーマは、「命」です。
著者は、3万人以上という日本人の自殺者の多さにとても驚いたそうです。
そして、なんとか自殺を少しでも減らしたいという思いで『KAGEROU』を書いたとか。
日本人の自殺率は、これまで先進国の中でワースト2位であるとされてきました。
ところが、最近になって世界最悪であるという結果が明らかになりました。
6月29日に経済協力開発機構OECD)が公表した統計によれば、2008年の日本の自殺者(70歳未満)は人口10万人当たり475人でした。
これは、比較が可能な加盟国中で最悪の数字だそうです。
日本では、1998年以来、12年連続で年間の自殺者数が3万人を超えています。
2009年の日本における自殺者数は3万2845人でした。
一方、年間の交通事故死数のほうは9年連続で減少し、2009年は4914人と、1952年以来じつに57年ぶりに4千人台となりました。
かつて、自殺者が2万ちょっと、交通事故死が1万人ちょっとの時代が長く続き、自殺者は交通事故死者の2倍という通念がありました。
それが今や、6.68倍にも差が開いています。これは明らかに異常でしょう。



先日、わたしは「自殺のない社会」を考えるフォーラムにパネラーとして出演しました。
主催は、“自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい”という団体でした。
代表の茂幸雄さんは、福井県東尋坊で自殺防止活動をされています。
これまで、全国から東尋坊を訪れた291人の自殺未遂者の話を聞いてきました。
そして、この人々が口を揃えて言っていた言葉は次のような叫び声でした。
「しばらくの間で良いんです、『心の整理』ができるまでの間、誰か『安らぐ』場所を提供してくれませんか?」
「今、苦しいんです! この悩み事を解決するまで、誰か寄り添ってくれませんか?」
「わたしの悩み事を聞いてください。そして、一人歩きできるまでの間で良いんです。誰か、わたしを支えてくれませんか?」
茂さんによれば、この人々の求めている「相談に乗る」「支える」「一時避難所」を提供することにより、多くの人々の命が救われている現実があるそうです。



自殺という重要なテーマを語るには、はっきり言って、本書の内容は軽過ぎます。
たしかに読みやすくて、すぐに読めるのですが、後に残るものがない。わたしの場合、残ったものといえば、皆川おさむのヒット曲「黒猫のタンゴ」が登場したことぐらいでした。
ある意味で、『1Q84』の「シンフォニエッタ」のように、『悪の教典』の「モリタート」のように、「黒猫のタンゴ」は本書にふさわしい曲ではないかと思います。
本書の最大の不幸は、あまりにも話題になり過ぎ、売れ過ぎたことかもしれません。
「出版不況」が叫ばれ続けた今年は、不思議なベストセラー続出の年でもありました。
もしドラ』に『葬式は、要らない』など、「なんで、この本が売れるの?」という疑問が何度か生じました。まあ、あまり、わたしが言うと問題があるかもしれませんね(笑)。
その「どうしてベストセラー」の年の最後の最後に本書が超ベストセラーになったことで、うまく一年の幕を引いてくれたような気もします。
来年からは、本格的に電子書籍の年がスタートするでしょうから。
誤解されては困りますが、基本的に、わたしは著者の味方です。
「死」というテーマを正面からとらえる若き作家の出現を喜んでいる人間です。
間違いなく豊かな才能の持ち主である著者の次回作に期待したいと思います。


2010年12月16日 一条真也

石原進氏

一条真也です。

JR九州の石原進会長が、北九州市立大学の次期理事長に就任されるそうです。
嬉しいニュースです。石原会長は、九州の財界人の中で、最も尊敬するお一人です。


                  12月16日付「朝日新聞」より


石原会長は、東京大学卒業後、旧国鉄に入られました。
JR九州専務、社長を経て、2009年6月から会長に就任されています。
ずっと、九州経済界のリーダーとして活躍してこられました。
社長時代の08年には、トルコ・ドバイの経済視察団の団長を務められました。
ブログ「グレート・ダディ」でご紹介した伊藤忠商事の九州支社長である高嶋正次さんと出会った視察団で、わたしも参加させていただきました。
また、高嶋さんの前には、ブログ「知のダンディ」北九大ビジネススクール教授の齋藤貞之先生をご紹介しました。つい一昨日のことです。
石原会長が北九大の理事長に就任されるということで、お二方を紹介した直後ということもあり、不思議な縁を感じました。まさに、「シンクロニシティ」とでも呼ぶべき現象です。いやぁ、人の縁というのは、つながってゆくものなのですね!


                  ドバイのホテルにて、石原進氏と


石原会長は、「すすむ会」という会の主宰者でもあります。私塾というか、個人的な勉強会というか、まあ石原会長のファンクラブのようなものですね。
地元の経済界の方々が多く参加されています。
わたしは、その「すすむ会」が開催した講演会の講師として呼ばれたことがあります。2009年10月26日で、場所はホテル日航福岡でした。
司会はRKB毎日放送アナウンサーの納富昌子さんでした。石原会長も、わたしも、ちょうど納富さんの番組「元気by福岡」に出演したばかりでした。
その日は、「ハートフルな経営」というテーマでお話させていただきました。
講演後、石原会長から丁重な謝辞をたまわり、感激したことを憶えています。


                     「すすむ会」にて



石原会長は、もちろん頭脳明晰な方ですが、周囲の人たちへの気配りを絶対に忘れない方です。視察旅行の際にも、若輩のわたしに対して優しく接して下さいました。
その石原会長が北九大の理事長になられるのは、北九州市にとっても明るいニュース。石原会長の経営者としてのキャリアとノウハウは一流ですので、今後の北九大の発展に必ずやプラスになると確信します。
わたしも来年度から、北九大ビジネススクール(北九州大学大学院マネジメント学科)の特任教授を務めさせていただきますので、石原進理事長とお会いする機会も増えるかと思います。そのことを今から楽しみにしています。


2010年12月16日 一条真也

『独言』

一条真也です。

本名の佐久間庸和で書いた、新しいブックレットが完成しました。
タイトルは『独言』です。「互助会から互助社会へ」というサブタイトルがついています。
内容は、これまで業界紙に連載していたコラムをまとめたものです。


                     ブックレット『独言』


わたしは、2002年の8月より、社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)が隔月で刊行している「互助会通信」の巻頭コラム「独言」を「一条」の名で書いています。
ブログ「つぶやき」に、ツイッターをはじめる予定はないと書きましたが、「つぶやき」ならぬ「ひとりごと」はずっと続けておりました(笑)。
コラム執筆を引き受けたのは、当時わたしが全互協の広報委員だった関係からでした。
全互協とは、冠婚葬祭互助会業界における最大の団体です。
互助会事業の法制化スタートに伴って、1973年に誕生しましたが、わが社の佐久間進会長が全互協の初代会長を務めました。

 
                   「互助会通信」の第1面


では、冠婚葬祭互助会、いわゆる互助会とは何でしょうか。
互助会はその名の通り、「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。
終戦直後に横須賀市で生まれ、全国に広まっていきました。その歴史は60年ほどですが、実はきわめて日本的文化に根ざした「結」や「講」にルーツはさかのぼります。
「結」は、奈良時代からみられる共同労働の時代的形態で、特に農村に多くみられ、地域によっては今日でもその形態を保っているところがあります。
一方、「講」は、「無尽講」や「頼母子講」のように経済的「講」集団を構成し、それらの人々が相寄って少しずつ「金子」や「穀物」を出し合い、これを講中の困窮者に融通し合うことをその源流としています。
このような「結」と「講」の2つの特徴を合体させ、近代の事業として確立させたものこそ、冠婚葬祭互助会というシステムなのです。
日本的伝統と風習文化を継承し、「結」と「講」の相互扶助システムが人生の2大セレモニーである結婚式と葬儀に導入され、互助会は飛躍的に発展してきました。
そして、全互協加盟の互助会は、社会貢献基金を立ち上げ、育ててきました。
これは、地域のさまざまな災害の救済、社会福祉事業、環境保全事業、国際協力など社会貢献活動を行う各種団体等への助成、並びに社会貢献に資する調査・研究を目的とした事業に対する助成を行うためのものです。
それによって、日本の生活文化と地域社会の発展に寄与することを目的としています。
現在、全互協では、社会貢献基金助成金交付を各種のNPOやボランティア団体などに対して行っています。そう、「互助会」から「互助社会」へ。
それはまた、あらゆる人々を縁でつなぐ「有縁社会」のモデルでもあります。
無縁社会」が叫ばれ、生涯非婚に孤独死や無縁死が問題となる中、冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命はますます大きくなると思っています。


                      『独言』の目次

                      『独言』の内容


「独言」は、2010年の8月25日号で、連載50回目を数えました。
その前月の7月より、全互協の広報・渉外委員長に就任することになり、これを記念に、「独言」全50回分を収録したブックレットを作成するはこびとなったのです。
コラムの話題は多岐に渡りますが、いずれも互助会の本来の意義、そして可能性を問うたつもりです。わたし自身、互助会の本質について考える良い機会となりました。
なお、このブログを読まれた方が希望されるなら、無料でお送りいたします。
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2010年12月16日 一条真也